第三十八話 熱狂のC/その血の意味は
昨日はほぼ部屋にいっぱなしだったので、日記さぼっちゃった、テヘ。
先日の日記でシルバーパゴダとして伝えていた建物ですが、国立博物館でした。そりゃそうだ、あんだけ展示してるし。
こっちがシルバーパゴダです。
本日はキリングフィールドに歩いて行ってきたよ。
片道12キロだって、昨日休んだからね。
ごみとハエにまみれた道を歩くこと2時間ちょっと、着きましたよ、キリングフィールド。こちら象徴の慰霊塔。
入場時に音声ガイドがデフォルトでついてくる親切設計で、渋いおっさんが解説してくれる。
しかしやはり内容は重い。
ポルポトによる、社会主義化の過程における、知識層(つっても、メガネかけているだけでもそっちと判断されたりもあるわけだが)の虐殺。
敷地内のどこで、なにが行われていたかを解説してくれる。
こちらは450体の死体が埋まっていた地帯。
ここだけでなく、敷地内は掘り返された穴だらけなのである。
(だいぶ土がなだれ込んでるけどな )
有産者=農民を頂点におくといいながら、彼らには最小限の食料で強制労働をさせていたわけで、そんなことをして国が成り立つと思っていたのが頭悪いにもほどがある。
こちらは慰霊塔の中。
人骨画像なので、閲覧注意か?
解放後、敷地内から出てきたものを、年齢や死因ごとに分けている。
とにかくあちこちに埋まっているので、今でも骨やら衣服やらが出てくるのを、毎月回収しているようだ。
それくらい、多くの人間が一方的に殺されている。
帰り道で立ち寄ったのが、トゥール・スレン虐殺博物館。
元、第21収容所であったところである。
囚人の時系列でいうと、トゥール・スレン→チュンイク(キリングフィールド)に移送され、殺される、という流れになる。
元高校の校舎を無理やり牢や拷問施設に改装したこちら。
ここを生きて出ることができたのはわずか7人、という壮絶さである。
自国民同士で虐殺を行わせた狂気が、ほんの40年前まであったという事実は、重く心にのしかかる。
沖縄と交流があるためか、沖縄戦の展示もなされていた。
そういえば、昔英語の参考書で、「我々が歴史から学ぶことは、我々が歴史から学んでいないということである」というパンチの利いたものが例文として掲載されていたが、
それが事実であると納得することはしたくないものである。
行き帰りと合計30キロ近く歩いたが、交通マナーの面では前二国より圧倒的にいい。
しかし、貧国であることは事実で、ゴミ漁りをする人々など、道程で格差を垣間見ることも多かった。
明日はシアヌークビルへの移動である。
水着持っていないのにリゾートビーチってどないやねん!ってとこだが、さて。