第一話 Jからの脱出/愚者はそれを我慢できない
【会社を辞めて~出発①】
盆の休みが過ぎてしばらくの後、僕は職を辞した。
何故そんな無謀なことになったのかといえば、事は数年前にまで遡る。
入社当時の世話役の先輩は、五年目のベテランであった。
当時の彼を目標に、「五年は仕事を続け、己が道を見極めるべし」と考えていた。
それから数年後、別の先輩の辞職にあたり、クライアントを引き継ぐことになった。
彼女の辞める理由が、「世界一周」であった。入社当時から決めていたらしい。
この不況の時代に、職を辞して伊達や酔狂でなければできない真似をする……まさしく酔狂!
そして例に漏れず、沢木耕太郎の『深夜特急』を読み、五年目を終えて、この度の決断と相成ったわけである。
さて、大学を出て、五年社会人をやり、あまつさえ浪人までしていたのであるから、当年、29歳、いろんな足音がダンシング・イン・ザ・ナイト状態である。
周りではご成婚が相次ぎ、すでに娘が四歳、下の子も嫁の腹で成長中な友人までいる始末。それはそうだ、もう30歳だからな。まずまずそうなるだろうな!
そんな中で退社→しかも、その先未定で、海外に旅行とか、戯けたことをぬかしている……!
当然である。
今は良くても、戻ってからの仕事はどうするのか。この不景気で、きちんと仕事を見つけられるのか。
恋人もおらず、結婚はどうするのか。
長男なので、親の面倒を見るのは自分だが、この状態でどうするのか。
そもそも、東南アジアなど、その辺の治安は大丈夫なのか……etc……
関係各所から心配、不安を込めた温かいお言葉が寄せられるのである。ありがたい。実にありがたいですぞ!
これらの問いかけに対し、僕は有効な回答を持ちえない。
仰る通りである。すでに退職から1か月以上が経過し、前しか見えなかったころとは違う、指摘通りの不安が鎌首を持ち上げてきているのだ。
今は確かに暮らせている。だが、それはこれまでの蓄えがあったが故。
もし帰国後に職が見つからなければ、残る財産を食いつぶし、飢え、家を失い路頭に迷って虚ろな目でゴミ箱を漁る可能性だってある……!
ああ、なんて無謀なことをしちまったんだ!
少なくとも、仕事を続けていれば、例え毎日残業で、帰宅が日付を跨いでも、飢えて死ぬことはなかった。
土日祝日は休みだし、盆暮れ正月にも休みをくれた、ブラックではない、グレーな会社だった。
結婚となればいざ知らず、一人で生きていく分には不自由ない給料ももらっていたが、その後ろ盾を失うのだ!
結婚して家庭を持つという、ありふれた、故にまばゆい人生設計をかなぐり捨てちまった!
クソッ!我ながら呆れるぜ!こんなイカれた男が出てくるなんて、世の中捨てたんもんじゃないっ!!