第三百話 Pのボレロ / 金色に駆ける風
出立107日目(通算357日目)ペルー3日目 チクラヨ3日目
さて、ようやくチクラヨに来た目的果たせるというものだ。
8時半過ぎに宿を出て、「コンビー」と呼ばれる乗合のバンを捕まえる。
チクラヨは砂漠地帯にある街で、ここ自体に大きな魅力はない。まぁ、カブリートうまいけどな。
この近郊にいくつかの古代文明の遺跡があり、その発見から旅人たちにも注目されるようになったという。
まずは日本人にも関わりのある、「シカン博物館」から向かおう。
「地球の歩き方」にはふわっとしたことしか書いてなく、ツアーで行くのが一般的だとあったが、ツアー料金が50ドル前後と決して安くなく2つの文明を見るには2日必要になるため、今回は自分で行くことにした。
宿の人に聞いていたので、そのメモ片手にやっていこう。
まずは道端を走る「コンビー」で、「M.Modelo」と書かれたものに乗る。
これは先日行った市場の名前だ。運転手の他に呼び込みと料金徴収を行う兄ちゃんがいて、「モデーロモデーロ!」と叫んでいるのですぐわかる。
加えて、コンビーは公共交通機関ではなく、あくまで個人運営。乗せれば乗せただけ彼らの利益になるので、目ざとく見つけて泊まってくれる。迷うことはないだろう。
これでもって「Termninal EPSEL」というところまで乗せてもらう。メモに書いてみせれば1発だ。コンビーのほとんどはモデーロ行きのようだが、全部が行くかはよくわからない。まあ、聞けば乗せてくれるだろう。
1.2ソルでEpselへ。場所は街の東の外れ。モデーロから少し北東に進む形になるが、Maps.me上に記載はないので、コンビーで行くのが早いだろう。
ここで別のに乗り換える。
乗り継ぎを宿のおばちゃんが全部メモってくれたおかげで、かなりスムーズだ。
「Combi Ferrenafe」つまり博物館のある街行きのものに乗ればいい。
Epselにはたくさん止まっているし、乗ってきたコンビーの兄ちゃんが教えてくれたし、前述の通り向こうも客がほしいので、割かしすぐ乗れる。シカン博物館に行きたい旨を伝えれば一発だ。
ここになんと日本語が話せるペルー人がいた。5年ほど住んでいたという。彼のおかげで、この後の移動にも自信が持てた。なにせコンビー自体、アジア人は乗ってないし、というか観光客見当たらないしね。
面白いのが、ペルー人には「どこから来たの?」と聞かれることが多いことだ。
これまで散々書いてきたが、「チーノ!」と言われることが多い。とくにキューバなんて意味もなく、目の前で接客していたおばさんが突然叫ぶみたいな意味不明な事態にも遭遇していたわけだが、ここは何となくわかっていても聞いてくる。
ペルーはこれまでと比べて貧しい国だ、と書いたし、強盗もあると聞くが、かなり人の性質はイイのかもしれない。
この日本語話せる人にしても、わざわざ乗り込んで話をしてくれたくらいだし、日本語で話す我々に皆興味津々。外では
「何だ?日本人か?」「違う、中国人だから。お前あっち行ってろ」とじゃれ合う人らもいた。こういう状況を見ると、言葉や文化が違っても、同じ人間だよなーと改めて実感する。
乗員がいっぱいになると移動。これは2ソル。待ち時間も入れると1時間くらいだっただろうか。「ここ行ったらあるよー」と教えてくれ、下車。運転手が食べたいからと買ったオレンジも一国れるサービスの良さ。やはりペルー人はイイ奴が多いのか。
博物館の前に気合を入れようと、前日に市場で買ったフルーツを食べることに。
この黄色と茶色のがそれ。ね?初めて見るでしょ?
ピ……ピなんとか。名前忘れたが、クエンカであったT君が「わけわからんフルーツはとりあえず食べることにしてます」といっていたので、それに倣った形だ。
皮はトマトみたいなので無視してそのまま齧ってOKと市場の姉ちゃんも言っていたが、確かに気にならない。味はハネデユーメロンだっけ?ああいう甘い瓜系を想像してほしい。水分がかなり多く、べたつきはたいしてないので、喉も潤う。控えめに言って旨い。毎日食ってもいいくらいだ。
さて、早速シカン博物館に行こう。
外見こんな感じ。8ソル。そういえば、けっこうおつりを探しに行くことが多くなるペルー。
100ソルとかは恐らく宿での支払いとかで崩しとかないと使えないだろうな。インド程ではないが、気を付けた方がいいだろう。
シカン博物館は紀元前850年~1375年に栄えたシカン文明について取り扱う場所だ。チクラヨから約40kmのポマック森林国立歴史地区に存在する30ものピラミッド型の「ワカ」のひとつ「ワカ・ロロ」の発掘から存在が明らかになった。
ここではそこから発掘されたものや、当時の王墓を復元したものが見られる。
いやどうしてそうなったぁああああああっ?!!!
度肝を抜く衝撃の再現模型。「シカン王は首を切り落とされ、逆さに埋葬されていた」ってお前それ、罪人相手の所業だろうが。
一緒に横たわるのは同時に埋められた人たち。
こんな風に、従者や子ども、僧侶、警備兵みたいな道ずれが結構多かったらしい。まぁ、中国の王朝でもあったよね、こういうの。どんな名誉があっても絶対嫌なんだが。
当時の王?はこんな感じの格好だったようだ。何せスペイン語表記しかないので、ざっくりとしかわからんのですよ……。
土器や金細工の製造工程も展示されている。人の顔つきの壺とかが大量に展示されていたが、どうやら型を使って生産していた様だ。つまりキャスト成型。やるな、シカン文明。
そしてここからが金細工なども展示されている「TBSの部屋」。
えっ?TBS?
そう、あのテレビ局のTBS。
実はこのシカン文明の発掘はシカン遺跡調査団団長の島田泉氏が手掛け、TBSの援助によって実現したものだったのだ。おそらく、「世界ふしぎ発見」あたりだろう。さながら気分はミステリーハンター。
シカンは月の神殿を意味し、これも島田氏が名付けたとか。この博物館自体も、日本の援助で出来たようで、それもあって入り口で「ああ、日本人か」みたいな空気になった。
キャスト成型のオモシロ土器の他には
装飾品などの無数の金細工。黄金加工技術に優れた文明だったようで、後のチムー王国、インカ帝国へと流れていく。儀式用ナイフ「トゥミ」はこの時代のものと判明しており、世界中に散らばったプレ・インカの黄金のほとんどはシカンのものと言われているとか。
これがトゥミ。テンション上がって売店で買っちゃった♪
この下の半円も月を表しているのだとか。なるほど。
装身具も多いが、数cm四方に収まるものが多く、ち密さに目を見張る。
この顔も骨格から復元している様なので、かなり当時の空気は出ているだろう。
そしてここの目玉である黄金の仮面。シカン王が実際につけていたものだ。
当初は歪んで錆だらけだったものを、丹念に修復したようだ。
こんな立派なものを持っていても、断首の上逆さ吊りって、やっぱりさぁ……
施設自体はそこまで広くなく、文字はほぼ読んでないが30分ちょっとで見て回れる。そうなると、初日にも見て帰れたかもな。
しかし大変に興味深い、つーか面白いものが見られた。キーホルダーも5ソルと安いし。
ここから一度チクラヨに戻る。日本語喋るおっさんは「博物館出てすぐのところで捕まえられるよ」といっていたが、待てど暮らせど来なそうで不安になり、メイン通りまで出ようかなーと歩き出したところで発見された。2ソル。
ここで博物館に入る前に食べた果物の写真と一緒に写っていた「キンコン」というのを食べて歩いていたわけだが、これもこの辺の名物。ジャムやドライフルーツ、キャラメルやピーナッツクリームみたいなものをビスケットでサンドした、ずっしりと重いお菓子だ。
甘いが、結構パクパク食べられる。
チクラヨの町の一角にこれを売る店ばかりが並ぶ通りがあるが、個人で売っているおじさんから買った。1ソル。
さて、無事にチクラヨに戻った私は、メルカドまで戻って軽めの昼食に。
セビチェ、6ソル。
ガラパゴスでも食ったし、なんならメキシコから見かけていたが、要は魚介類を酢でさっぱり和えたもの。チヨクラは海に近いため、リマよりも安く食えるんだそうな。
何かわからないが、白身の魚。街中至る所にセビチェリアがあり、食べることができるぞ。
付け合わせはカリカリのコーン的なものや豆。左のものはコロッケみたいな感じで、中に香草が入っていた。これ単品でも町中でよく売っている。
さ、腹も満たして再び出発だ。今度は「シパン」という文明を見てこよう。
今回向かう「シパン王墓博物館」はランバイエケという街にある。一瞬猪木の顔が浮かぶこちらの街も、コンビーで向かう。
珍しく2006年版の地球の歩き方に正しい発車場所が乗っていたが、「San Jose」と「San Martin」という二つの通りの交差点辺りに、これまたコンビーが群れを成しているので、声をかければ乗せてくれる。1.5ソル。
少し離れた位置に降りるが、軽く街を見ていけばすぐに着く。
こちらが「シパン王墓博物館」。10ソル。
紀元100年~600年ごろに栄えたモチェ王国最後の王・セニョール・デ・シパンはチヨクラ東約30kmにあるワカ・ロハダのピラミッドの下から見つかった。1987年のことである。
王のミイラと一緒に膨大な量の金銀が見つかり、世界的なニュースになった。
近親関係の8人の親族と埋葬されており、金の装身具や旗なども多く見つかっている。
また、同じ場所から発見された神官と思われる人物なども併せて展示されている。
金銀細工の細かさはシカンに勝るとも劣らないだろう。
この大量の金銀のあるためか、博物館内はカメラ、携帯、カバン類の持ち込み禁止。なので情報だけです、ごめんなさい。
シカン同様、人々や生活用品、食料が王を囲むように埋葬され、警備の兵や犬とリャマまで一緒に埋められていた。
パンフレットの画像でお茶を濁すが、左上の丸いのはイヤリングで、どうやら人によって中央の柄が違ったようだ。まぁ、またスペイン語しかなかったので、ざっくりなんですが。鳥や犬もあったが、こちらは王のもの。
その下は手に持っていたので、何かの儀式で使ったのかもしれない。
右上は博物館の最後にある、当時を再現した人形。
これで何がどう使われていたか&全身に金を使っていることがわかるだろう。腕輪に足輪、服に旗までもう黄金尽くし。王なんか白鬚かターンAの見えるけどね。
層構造になった墳墓の発掘物が、各層ごとに紹介されているが、構成が同じで若干飽きる。
というか、各層に大量の金銀細工があるってすご過ぎるな。
更によくわからんが、儀式で使った衣装を紹介したコーナーでは、どう見てもそのまま70年代の特撮に登場できそうな、怪奇蜘蛛男、蟹男、魚男がいた。マジで怖い。本当に何が目的か聞いてみたい。
こちらは3階建てということもあり、結構時間がかかったが、満足のいく内容だった。
この街には他に「ブルーニン博物館」というものもあるが、流石に博物館はもういいので割愛。しかし、翌日知るが、結構面白いものがあるんだよねー。
さて、14時半を回っていたわけだが、宿のおばちゃんに「ランバイエケまで行くならその先のトゥクメまで行ってらっしゃい。ピラミッドあるから」と言われ、意を決して向かう。
ランバイエケまでコンビーまで来たところに戻ると、これまたトゥクメ行きのものが出ているので、すぐわかる。2ソル。なんかもう、コンビーマスターになりそう。
遺跡は街から2kmほど離れている。コンビーの兄ちゃんが降りたところでモトタクシーを捕まえて乗せてくれた。歩こうとも思っていたが、結構日が傾いてきていたので、結果的に良かった。ただ、料金聞く前に乗っちゃったので、交渉はしていない。2ソル。多分もう少し値切れるけど、奥まった博物館の前まで行ってくれたので、助かった。
トゥクメはモチェ文明の遺跡とされ、26ものピラミッドが広がっている。
入り口に博物館があり、大まかなことがわかる。
アメコミ風の遺跡紹介。日が暮れ始めていたので、流し見していました。
これは……昨日見たアレだな。やっぱり呪術的な使い方だったのか。藁人形的なものって、世界的にあるんだー。
変わった石器たち。アジアやヨーロッパとは違う、見慣れないものって、どういう精神性でこう作ったのか、気になって仕方ないね。
そして儀式で使うのか、牛頭の、これまた怪人風の衣装。シパンよりマイルドだが、オイルショックら辺の予算なくなって来た頃の衣装だな、これは。
動物の格好をするというのは、自然とつながるという、何か宗教的な意味合いがモチェ文明には合ったのだろう。
側面もそこもすべてに細工された器も。この辺の文明って、本当に細かい技術持ってるね。
さて、メインのピラミッドがこちらだ。
言われなければ、ぱっと見は岩山だが、周囲の岩と比べると明らかに違う。発掘作業中で詳しいことはまだわかっていないらしい。
発掘作業員が良く話しかけたり手を振ったりしてくれる。「どこから来たのー?」という質問付きだ。なんだかいいなぁ、ペルー人。メキシコの人懐っこさとはまた一味違うし、キューバのウザかわ感とも違う。国柄なんだろうな。
中央のアトベのワカと一体になった高台からは、全体が見渡せる。
おお
おおお!
上から見ると、その規則性から人工物というのがよくわかる。
見渡す270度くらいにはすべからくピラミッドがあり、思った以上にスゴイところだ。
吹き抜ける風と暮れゆく日の光が作り出す陰影。2枚目の先にはシカンのピラミッドもあったはずだ。
今は小さな都市に過ぎないこの地も、インカ以前は広大な領地に跨る都だったのだろう。時の流れの無常とロマンを感じずにはいられない。
発掘中の現場にはこんな石板も。
出た頃には17時近く。日が暮れそうだなー。慌てた帰ったが、歩いても特に問題なさそうだ。
下りた辺りでコンビーを拾う。2.5ソル。終点はモデーロ市場の辺りだった。
戻ってきたのが18時過ぎ。ギリギリ日暮れ前とはいえ、1日仕事だったなぁ。
ただ、各博物館に英語表記はほぼないため、詳しく知りたければ、やはりツアーの方がいいだろう。まぁ、十分楽しめたけど。
なお、シパンの方は英語ガイドを30ソルで付けられるとか言われた。
宿に着く頃にはすっかり日も暮れていた。この街は夜の飯だけネックだな。まぁ、鶏肉料理辺りなら食えるんだけど。
さて、明日は移動だ。ペルーは飯がうまいから、行った先で何が食えるか、楽しみが増えるね。
古代の夢が、我を呼ぶ!