第三百十話 Pのボレロ / 底にある真実
出立124~5日目(通算374~5日目)ペルー20~1日目 クスコ1~2日目
目が覚めると、5時過ぎにも関わらず空は白み、寝ぼけ眼には荒野に見える道を走っていた。
そのまま到着予定時間を過ぎ、7時ちょっと前にターミナルに着いた。
とはいえ、6時台には夜の影はなくなっており、人々は街を歩き始めていたので、早朝の街に放り出される、という事態にはならなかったようだ。
ターミナルから街の中央までは3km程あるが、コレクティーボも道々見かけたので、タクシーは必要ないだろう。
とか思っていたら結局歩いちゃった。しかしながら後半にターミナル表記のあるバスを見かけたので、うまくいけばセントロ近くまで行けるだろう。
セントロに抜ける道ロレド通りには見事な石組が。確かにインカ時代のものらしく、ここまでも見てきたとおり、インカの高い技術を彷彿とさせる。
目標のホテル、カサ・デル・インカは広場を抜けた石段の上にあり、標高の高さも相まって、凄まじく疲れるという。覚悟していたからなのか、休憩は挟んだものの、思ったよりもすぐに着いた。しかし毎回これは、慣れるまできついだろうなぁ。
このホテル、日本人宿としての人気も高く、エクアドルのクエンカ以来のT君にも会った他、あと2人、日本人青年が滞在していた。
ここの魅力はまだあるが、取りあえずここに荷物を置く。1泊20ソルで、やっぱりBooking.com経由より安かった&データ上は残り1ベッドだったが、そんなことなかったぜ。
さて、早速街へ行こうか。
と、その前に、高山病はついた直後にならなくても、数日後に症状が出ることがあるので、着いた日はなるべく動かず、お酒も控えることが肝心だぞ!
さて、ではまずこの街、クスコについて。
クスコはインカ帝国の首都であり、ケチュア語で「へそ」を意味する。彼らの宇宙観においてはまさしく世界の中心ということだ。15世紀前半の9代皇帝パチャクティ時代に首都として機能し始めたという。町中には神殿や宮廷が建ち並び、「剃刀の刃も通さない」石組みの上に築かれた建物の内部は、黄金増や宝石が散りばめられていたという。
しかし、1532年にカハマルカでアタワルバを殺害したスペイン人征服者たちは、翌年11月15日にクスコに侵攻。王=神の子である皇帝を失い、事実上滅亡した帝国においては、インカの金銀をほしいままにする征服者たちに抵抗することはなかったという。
こうして取り上げたものを金の延べ棒に変えて本国に送ると、神殿を破壊して教会を建てていったのだが、計算されつくしたインカの石組は破壊できず、その上に教会を建てるしかなく、今ある教会のほとんども、以前はインカの何かだった、という状態。
そしてクスコを襲った3度の地震によって、スペイン建築は多くのダメージを受けることになるが、インカの石組はびくともしなかったというから、個人的には留飲も下がる。
(しかも金の流入が一気に起こりすぎて、インフレが起こったとか。間抜けな奴らめ!)
っていうかスペインさぁ、本当、ペルーに謝ったほうがいいよ?な?
標高は約3400mというから驚きだ。侵略し辛かったんじゃなかろうか。
階段を降りたところにはアルマス広場が。街の中央にこれがあるのはスペイン式とお伝えしたが、偶然にもインカの頃から広場であったようで、金銀の像が建っていたという。ま、取られたんだろうな。
回廊式の造りも見事で、レストランやホテルが立ち並び、中央には皇帝の像かな。
標高が高いためだろう。雲の底(わかるかな?)の位置が近い。
正面にはカテドラル。インカ時代のピラコチャ神殿の跡に、1550年から100年かけて築かれたという。屋根には南米一の鐘が取り付けられ、その響きは40km先にも届いたという。左の小さな教会が「Jesus Maria」、右が「El Triunfo」で、クスコ最初の教会だという。
本来は入場料が必要&撮影禁止だが、ミサは自由に入れる。まぁ、「ミサ中だが?」みたいなプレッシャーかけられたが、インカ帝国贔屓の今の私には「は?盗人に神聖もクソもあんの?」という感じで入る。さすがに入場料取るだけあり、約400あるという宗教画や、祭壇はポトシの銀300トンを使ったという豪華さで、それはそれは立派だった。
こちらは「Igkesia de la Compania de Jesus」
11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿の跡に建てられ、こちらは1650年の地震後に再建されたもの。こちらも入場料が必要。は?じゃあ見ねぇし。
西の方に抜けたところにあるのが「Iglesia y Convento La Merced」。
1534年建設で、地震後、17世紀に再建。ここも金を使った見事な装飾が売りらしいが、やっぱり有料。っていうかそんなに使うなら本国に送る必要なくないですかっ!?
「Iglesia y Convento de Santa Clala」
ここも修道院兼ねている様だ。たしかにデカい。
ちょっと雑になってきたが、今回のバスは早朝着ということもあって朝食無し。歩いてる途中でペピーニャは食べたが、当然足りないので飯にしよう!
このサンタクララ教会の横に巨大なメルカドがある。食べ物はもちろん、土産物いやも建ち並ぶこの一角で、朝から活気のある食堂街がある。この中の1店で今日は朝食だ。
パスタが入ったスープの後に、
こちらのロモサルタードのプレート。量はそこまでだが、5ソルという金額を考えれば、十分な満足度だ。味も申し分ない。
このあと、金が足りずにホテルとの道を往復する羽目になったが……。
き、気を取り直して観光を再開しよう。
メルカドを出てさらに西に行くと、完全に市民の台所な通りがあり、野菜や肉、魚がポンポンと景気よく並んでいる。あ、この後ちょいグロ画像注意。
そこにあった、ヤギの頭。いや、あるのはいいんだが、どうすんだこれ?食うのか?食えるのか?
さらにクイも売られている。毛皮のある状態と焼かれた状態は見ていたが、その中間は初めて。こう見ると、やっぱただの鼠だな。
なんかスリも多発しそうな場所だったが、熱気はすごかった。
メルカドの正面には「Iglesia San Pedro」が建っていて、ここは普通に入れたが、やっぱり撮影禁止。
そこに神輿(?)を担いだおっさんたちがなだれ込んできたぞ!そしてそのまま始まるミサ。もう出ようか。
こちらは「Iglesia y Convento de San Francisco」。
祭壇には人骨で作った燭台があるらしいが、やっぱりここも入場料が必要。ミサ中だから入れたが。ってここも修道院か。
流石はペルーの京都的存在。教会が多いうえに撮らせてくれないケチなところが多いな!まぁ、ちょっとヘイトもあるから別にいいけどさぁ。
町中にいい感じのカフェもあるが、思った以上に高い所が多く、少し躊躇するレベルだ。まぁ、初日は飛ばしちゃいけないからな!既にもう結構歩き回っちゃったけど!
中央広場では抗議デモ?かなりの人数だ。
ここで雨がぱらつき始めた。そして昼食の時間。メルカドに向かおうかと思ったが、微妙に遠い&芸がないので、適当に手前で入った袋小路にあった、地元民用の食堂へ。
観光客用からは隔離された空間で、6ソルくらいで食べられるのが嬉しい。
具だくさんのスープから始まり、メインは訳したら「マレー揚げ」となった「Maiayan Frito」。
牛肉のような、ヤギの様な……皮つきで、臓物のような感じもするが……肉は柔らかくほぐれ、旨い。ついでにご飯が炒飯なのもありがたい。
カフェを探してブラブラする中で、お土産広場があり、そこへ。
アルパカとリャマが!……って、もう見慣れてきたけど。
流石に疲れたので宿に戻る。
日が暮れたので屋上に登ってみると……
広場丸見えやんけ!
そう、ここの特徴として、景色抜群の食堂があるのだ。これは素晴らしい!坂道の苦労が報われる感じ!
腹も減ったので降りていく。
広場、
教会群。暖色系の照明は雰囲気があって素晴らしい。
しかし、夜は安い食堂がないのが欠点だ。歩き回ったが、高い所ばかり。あ、アレキパのあの辛いのが残ってたんだ!と、インスタントラーメンを買って戻る。
途中で買ったポップコーン。「Dulch?」と聞かれてうんと応えたら、甘いのがかかったヤツだった。よくわからないのにうんとか言うから~と思ったが、思いの外おいしかった。。甘じょぱいっていうの?
宿の、夜景の見える食堂で食事。晩酌は、アレキパで買ってきたこのビール。
実はあの土地限定のがある、と知ったのは出る日だったため、買って持ってきたのだ。
ドイツ式の作り方、というだけあり、他のビールとは違い、酸味のある風味。あーこれは、早く知っておくべきだった……。
それにしても夜景を見ながらの晩酌最高だ。寒いけど。何だかんだ久しぶりに15km越えの距離歩いたから、体に染みるなー。
という、高山病予防の条件をガッツリ無視してこの日は終了したのだった……
翌朝、シャワーを修行僧の気持ちで浴び、朝食へ。
屋上の屋根の上には牛の置物。名前忘れたけど、シーサー的なものがあるんだって。お土産でも売っているあたりまで一緒で笑う。
宿ではパンとシリアル、パンケーキに紅茶かコーヒーを取って食べる形式。
結構欧米人も泊まっているから、気にしてなかったわけだが、他にも日本人居たんだーとか思いつつ、彼らに背を向け、景色を見ながら食べる。もうね、カップルとかいいですから。これ以上はホント、いいんで。
同じ部屋のT君(あ、こっちもT君か)がワカチナに行くというので、マチュピチュ情報と交換したり、T君(クエンカ一緒だった方のT君)交えて雑談したり。久しぶりに日本語でガッツリ話せてよかった。まぁ、日本人でも相性とかあるよなぁ。と思わされる朝だった。
ホテルを出て、すぐ上にある教会へ向かう。
この眺め!と思ったが、ホテルからの方がいい感じなので、そっちね(おいおい)。
この「Iglesia de San Cristbal」も有料。T君によると、「まぁ、見慣れた感じの内部」らしい。塔からの景色も拝めるらしいが、今更少し高くなっても、ってとこの様だ。
ここで手作りアクセサリーを売るおっちゃん。後々、この人からインカのシンボルマークのものを購入したぞ!たぶん先住民だ!
さて、今日は大きな目的がある。
クスコを訪れるほとんどの旅人たちの目的は、ここを中継地として向かう、マチュピチュだ。
このチケットを取りに行くのだ。繁忙期は取りづらいようだが、今はそうでもないようだ。
ホテルで聞いた観光庁に行ったら、停電で業務停止中。もう一か所の所を紹介された。
ここで予約&支払いを行う。現在、マチュピチュだけで152ソル。高いけど、ナスカを思えば安い。
このチケットが日にち指定&午前か午後かを選ぶ形になるのだが、まぁ朝の方がおすすめというのでそうする。そして日付は2日後の月曜日に。
移動に1日使うことになるのだが、日曜日はどうせいろんなものがお休みだろう、ということで昨日の明日で強行軍だが、決める。どえらい距離歩くことがわかっているのに筋肉痛というのが少し引っ掛かるが。しかもアレですよ、20代の筋肉痛じゃないですからね。少したってから来ている筋肉痛ですから、これひょっとすると明日本番になる可能性もまだあるという時限爆弾的恐怖。だが、俺は行く!だって、来るの明後日かもしれないじゃん!
出発がホテルの朝食提供時間前になることは確定なので、よそ様のブログであったおいしいパン屋さんで、翌々日分まで買いこむ。物価高そうだしな。
これと同じ通りに、5ソルで食べられる食堂があったので、ここでお昼にする。スープは鶏肉と米の入ったお馴染みのスタイルで、メインは「Arroz con Cubana」つまり、キューバスタイルご飯にした。実はペルーで何度か文字は見かけたコレ。前から気になってたんだよね。私も約1月滞在していたのだから、キューバ飯に一家言あると自負している。さてどんなのが出て来るか……。
そんなバカな!
確かにプランチャフリットだっけ?バナナ揚げたヤツは懐かしいが、目玉焼きってお前!そして付け合わせはポテト。お気づきの方も多いだろう。米がススム要員がほとんどいない!醤油だってないんだぞ!?
キューバで目玉焼きって、朝食で見るかどうかだったような気がするが、一体どういう経緯でこれがキューバスタイルということになったのか、伺いたい。
まぁ、かくいう私の県にも、縁日の露店で売られる「大阪焼き」なるものがあったが、大阪人に聞いたら全く知らないと言われたことがあるので、これは世界レベルである現象なんだろう。
この近くにある「Iglesia de Santo Domingo」
の横にある、ケチュア民族博物館(無料)に入ってみた。
ここでは彼らの手工芸品や文化的背景を見ることができる。
この双頭の蛇はピューマと牛で、男は皇帝、女はその妃とか。
機織りしているお母さんたちもいる。タダというのは訳があるもので、ここの展示品のほとんどは販売品。そういうことだ。
気を取り直して、「Iglesia de Santo Domingo」は、これまた有料なわけだが、ここで見るべきはこれではなく、土台の方。
裏から見ることができるこれは、「Qorikancha」と呼ばれる、インカ時代の太陽の神殿が基になっている。
侵略者はこの石組よりも壁に取り付けられた幅20cmの金の帯に息を呑んだようだ。更に内部には金の泉に金の畑、金のトウモロコシ等身大の金のリャマを連れた人間の像、極めつけは金で覆われた祭壇の金の太陽の像があったとか。これらを取り去って上を叩き潰し、教会を建てたようだが、前述の通り、大地震で基礎を残して倒壊した、ということだ。
「Qori」は黄金を、「Kancha」は居所を示し、神殿内には広場を囲んで太陽、月、稲妻、虹、星等の部屋が囲み、黄金の像も安置されていた様だ。
と、この中には他の施設とセットの周遊パスでないと入れないというので、断念。ちぇっ!
鉄道駅の辺まで下ると民芸品市場があるというので、行ってみた。
かなりの広さにお土産群。毛皮系は後の街の方が安いというのでその他を探す。品揃えは申し分ないが、疲れて来るとすべて欲しくなくなるもので、ざっと見て広場に戻る。
マチュピチュへの行き方はいくつかあるが、バッグパッカーお馴染みのバス&歩きのコースにするため、バスチケットを購入しに行く。
これは基本的に往復60ソルが固定のため、それ以外を除外すればいいのだが、トラブルがあると嫌なので、「テメェ、間違いがあったじゃねぇか!」と怒鳴り込まれる隙を与えてくれるところ=安全なところという判断で、広場近辺の大々的な店にする。
さて、かくしてガワの準備は整った。一度宿に戻って荷物を置くと、優雅にカフェへ。
コーヒーとケーキのセットで10ソルだが、コーヒーはまぁ、こんなもんだなって感じだ。セントロ近辺でこのお値段ならお得だしね。
残る観光地はこちら!
通称12角の石。例の、精巧なインカの石組を端的に表す箇所として、ガイドブックはもちろん、宿でも教えてくれる名所。他の石は大体四角形で、これまでも見てきたとおり、それで十分に成り立つものに、敢えて8角だの10角だのを加えて、最終的に12角をぶち込んでピタリと接合させるという、即ち「極付粋合体(きわめつけいきながったい)」を見せつけている。
この石の意味について多くの推測があり、例えば当時この石組の上の宮殿に住んでいた王の一族の数を表していたとか、1年の月を表しているとか、そんな感じだが、いずれにせよ十数kmの距離を運んでこの幾何学的複雑さに挑んだことが、インカ流の美意識だったのでは、と言われているとか。
丁度ツアー客がいたので、「見つけてみよう!」とか言ってくる「地球の歩き方」に挑もうと、彼らが離れるのを待っていたわけだが、近づいたら「親切な」ペルー人が教えてくれた。
オーマイ!
ちなみにここを回り込むと、14角の石もあるが、こっちは流行っていなかった。まぁ、デカい方がすごい感じがあるからね。そうだろうね。
さて、あとは唯一手数料のかからない銀行でお金を降ろして(もっと早く知りたかったぜ……)、メルカドで明日に備えてバナナを購入。17時を回って、もう暗くなっていたが、開いてはいた。500gで2ソル。塊が750gだというのでどうしようかと思っていたら、スイートスポットだらけのをおまけにくれた。ありがとう。でもそうじゃない。重いのヤだなーだからね!まぁ御屋形様が「もらえるもんは、病気以外はもらっとけ」と言ってたし、もらいました。
そう、基本的に宿に預けて選抜メンバーにしないといけない距離なのよね。まぁ、明日の朝たくさん食べればいいな!
宿に戻ると雨が降り出した。収まるのを待って出かけたのは、昨日目星を付けたポジョ屋さん。
このボリュームで脅威の6.5ソルは、おそらく夜のクスコ最強レベルだろう。ポジョ屋さんなので、鳥もジューシーで申し分無し!まさしくMVP(ミラクル・ヴィクトリー・ポジョ)!
サンタクララ教会を少し過ぎた辺りだったかな?興味ある方は是非。
雨の中でもアルマス広場を眺めながらのビールはイイ。このCusquena、クスコの地ビールだったのが全国区になった、高級路線の逸品で、白、赤、黒がある。
この日気づいたのだが、瓶の下の方が12角の石模様になっているのね(わかるかな?)。
ポップコーンも雨で閉店間際だったため、滅茶苦茶な量で1ソルだった。よっしゃラッキー!
と言いつつ、腹パンパンで眠りにつくことになるのだった……。
古代の夢が、我を呼ぶ!
第三百九話 Pのボレロ / 食の都で食いまくれ
出立122~3日目(通算372~3日目)ペルー18~9日目 アレキパ3~4日目
ドミトリーだったが前日にみんな出ていた様で、結局一人で使えた。隣の女子ドミは4人入っていたことを考えると、ラッキー&暇な時期なのかもしれない。
さて、この宿を選んだ理由はいくつかあるが、朝食の魅力は外せない。
こちらのバナナパンケーキだからだ。Booking.comのレビュー見た時から第一印象で決めました!キャラメルソースと甘酸っぱいバナナの味、最高です。朝からテンション爆上げ。
さて、この日は前日の記事の通り、朝から教会巡りをしていたわけだが、初日には見ていない、ちょっと遠めの場所も見に行った。
川を渡った西側、サンドラのいえの方向だ。
木や建物に遮られてイマイチ見えなかった、チャチャニ山。標高6075m。何度言ったか分からないが、富士山意味ねーな。
まぁ、そもそもこのアレキパからして、標高2335mの高地にあるわけだ。相変わらず昼夜の寒暖差が激しい。
「Iglesia y Convento La Recoleta」。博物館もついていて、民芸品がどうとかも見られるらしいが、前の道が工事中で、やっているのか不明だった。
色遣いとロケットの様な形状が面白い。
川を戻る途中で、もう1つの山がきれいに見えた。
ミスティ山は標高5822m。その形状から、日本人の間で「アレキパの富士山」と言われているとか何とか。冬には雪も被るというから、いかにもそれっぽくなるだろう。ただ、富士山よりデカいけどな。でもこの景色、ちょっと日本っぽいよね。
朝の散歩を終えて宿へ戻る。この宿も家族経営で、働き者の娘とお母さん、のほほんとしたおじいちゃんがいる。このおじいちゃんがまたいいキャラ。会うたびに「Hola Hola!」と声をかけてくれ、少し英語も話せるようだ。ドミトリー前が食堂を兼ねたテラスになっているが、ここをウォーキングしていたりする。日本人女子の言葉を借りれあ、「かわいい」ということになるだろう。
従業員のお母さんたちも愛想がよくていい宿だと思う。
さて、昼飯に出掛けよう。
目星を付けたところに向かっていたのだが、昼過ぎというのに道々の店はシャッターがおりまくっていて、嫌な予感がした。
そういえば今日は死者の日だから休日、みたいなことをサンドラさんとこの次男が言っていたような……案の定休み!同じ様にやって来た王英人たちが途方に暮れていたので、おそらくロンプラにも載っているのだろう。
仕方がない。今日は昨日より奮発して6ソルの店だ。
今日はポタージュみたいなスープ。芋、カボチャ、コーンに豚肉がたっぷり入った具だくさんスープで、4.5ソルとはレベルが違う。こってり豚の出汁もおいしい。
メインは鶏肉のエスカビッチェを頼んだところ、こんなのが。
まさかの糖質制限メニュー。まぁ、朝からアレだったし、安い所だと野菜は不足していたから、丁度良かった。マリネ風に酸味が効いた仕上がりで、ペルー料理の懐の深さを思い知らされた。
ブラブラ散歩して、宿に戻る。
えっ?ほとんど何もしてないじゃないかって?ええ、そうなんですよ。
アレキパに来た目的は2つほど。次に向かうクスコが高地にあるため、高山病を避けるために体を慣らすことと、サンドラのいえ。もう目的達成してるでしょ?
一応、ここから行ける観光地もあって、「Canon del Corca」という、グランドキャニオン以上の渓谷だと言われている。ここにはアンデスコンドルも生息しており、サンドラのいえの情報ノートにも、ツアーではなく個人で行った方法なんかも載っていた。
日帰りもできるが朝3時に出るとか、結構ハードなスケジュールなのだ。
しかし、でもなぁ……という感じで、まるで興味が湧かない。
実はここ数日、ナスカの地上絵インパクトが強かった様で「まぁ、いいかな」感がでてしまっているのだ。所謂ナスカ・ショックである。まぁ、ナスカ・ショックとかいう言葉は今作ったんですけど、「いうてもあれ超えてこんやろ」と思ってしまうのだ。
大体、「アンデスコンドルが4、5羽見れました!」言われてもな。カハマルカで雌だけど数十cmの距離で見たし、パチャカマック神殿で上空飛んでる野生のコンドルも見たし、今更なんだよ!
宿に戻る途中で日本に16年住んでいたというペルー人のおっちゃん・Fさんと話したが、彼もここを勧めていた。「行かなきゃ損だぜ?」とのことなので、ナスカ・ショックない人にはいいかもしれない。
このFさんがなかなかの半生で、20歳で日本に来て皿洗いや工事現場での労働、自動車の組み立てなどいろいろやって、フィリピンでも出稼ぎ。最終的にペルーに戻って家を買い、今は宿をやっているとか。ペルーのアマゾンの土地も買ったことがあったらしいが、奥さんが蛇と虫を嫌がり、結局売ったそうだ。400ドルで数十haの土地が手に入るらしいが、「まぁ確かに、落ち着いて眠れるところじゃないな」とのことだ。
今は奥さんと子どもたちはフィリピンにいるらしく、「多分戻ってこない」と少し寂しそうだった。
それでも山登ったり海潜ったりと、冒険大好きオヤジらしく、今もそれなりに楽しい生活を送っているらしい。
ちなみに、Fさんの宿は「Airbnb」で予約できるらしい。
このAirbnb、Booking.comより安い宿が登録されていたりするのだが、如何せん、登録に電話番号のSNSメールが必要になるため、停止している今、使えない。ぜひ国内で登録してから出ることをお勧めしたいサイトだ。
さて、思いのほか昼飯のボリュームがあったため(ライスなかったのに腹持ちいいし)遅くなってしまったが、ケーキがおいしいカフェがあるらしいので、出掛けてみよう。
カテドラルから少し登ったところにある、「Chaqchao」というこちらは、オーガニックチョコレートを扱う店だ。オリジナルで作れる体験もあるようで、お高めだがいい感じのチョコレートも売っていた。ここの2階にカフェがある。
ここでラテとケーキを注文。
ラテ8ソル、ケーキ7ソルという、昼飯を考えるとえらい額だが、日本円に直すとそうでもない感じ。観光客とハイクラスが多いのかな。
ケーキはチョコレートとキャラメルがどうとかいうのにしたが、さすがはチョコレート専門店のケーキ。甘さもしつこくなく、砂糖ザラザラとかもない。上の波々がキャラメルで、きめが細かいしっとりとした仕上がり。下のチョコバー部分にはナッツが入っていて、食感も楽しい。ていうかこれ日本でもそうそうないよくできたケーキだぞ!
ここでブログ記事を書きながら、日が暮れるのを過ごすという優雅な締め。うむ、金をかければゆったりと出来る。当たり前だねww
帰りにカテドラル。相変わらずいい感じのナイトサイト。
その裏のおしゃれなレストラン通り。お金があればね、いいと思う。
さて、夕飯は
これの影響もあって軽く済まそうと、スーパーへ。
持っていた食材の限界と、どうしても食べたいものがあったためだ。
軽いスープパスタと、こちらが「Rocoto Relleno」。赤唐辛子の肉詰めだ。サイズが大きかったので、いうても辛くないだろうと思ったら、マジで辛いガチの唐辛子だった。ただでさえちょっとお腹痛いかも……と横になった後だったのに、これ全部食ったらケツ爆竹だぞ!?と半分くらいにとどめておく。恐ろしい料理だ……。
とはいえ、ひき肉とチーズなどの組み合わせで、勝利の法則は見えている一品だ。スーパーの総菜コーナーで安く~と思ったのに、結局7ソルくらいしたので、店で食べたらもっとするのかも。いや、これ食い切れる奴いんのか?いろんな意味で。
翌日、パンケーキを食べてチェックアウトし、気になっていたカフェへ。
前の日に行こうと思ってたんだけど、死者の日の関係で閉まっていたのだ。そういえば、メキシコの死者の日はスゲー騒ぎの様だが、ここは静かなもんだったな。
「Palacios Coffee」。
10時過ぎに行ったがまだ閉まっていて、どうしようかと思っていたら前の道の草刈ってたおっちゃんが声をかけてくれ、「2分待って」と店主。しばらくして開けてくれた。
その間、おっちゃんが店の前に生えている苗を指さして、コーヒーの木だと教えてくれた。
Espresso系もあるが、各種器具で入れてくれ、今回はハリオ式、つまりドリップに。大体カップ3杯分で9ソル。高いと言えば高いが、何とここ、店内にデカいロースターがある。
店内写真。右奥のがロースターだ。つまり、店内で炒る→挽く→入れるという3つのたてが揃った、これまででも類を見ない(まぁ、見えないだけで自分とこで炒ってるところも結構あるだろうけどね。店名入ったの売ってるし)フレッシュコーヒーが飲める店だったのだ!マジですげぇ!!
酸味主体の浅炒り、フレッシュな最近のスタイルで、すっきり濃く少なめ。ピリリと仕入れる感覚で、コクはコロンビアのものより少ない印象。滅茶苦茶うまい。久しぶりにまともなコーヒーが……というのもあるだろうが、ここはペルートップクラスだろう。
店内の地図を見ると、海岸の州を除いて、国内のほとんどでコーヒーが作られている様だ。その割に、こういうきちんとしたスタイルで出す店が少ないのが、不思議でならない。まぁ、見つけられなかっただけかもしれないが。
しかし宿を移らなければ見つけられなかったことを考えると、これは運命だったのだろうな。
トリップアドバイザーのマークもあったので、検索すれば出て来るだろう。
さて、お昼だ。昨日行けなかった店へ。
「Ratatuille」はイタリアンの料理人が開く、ペルー料理の店で、トリップアドバイザー、日本のブログ、おそらくロンプラでもおなじみの店の様だ。
特に、ランチでは10ソルでハイクオリティなものが食べられると評判。これは楽しみだ。
他のレストランと同じで、前菜とメインを頼む形だが、妙に種類が多く、慣れない外国語に戸惑うが、英語も喋れる店員さんのおかげで事なきを得た。
客も観光客を中心に、賑わっているが、特に待つことなく座れた。いいタイミングだったのかもしれない。
前菜はキヌアのサラダ。日本でもスーパーフードとしておなじみとなった感があるが、インカの昔からあったとかなかったとか。私は初挑戦。ふむ。オリーブオイルと塩、少しのビネガーというシンプルな味付けながら、誠にバランスが考慮された見事な一品。細かく切ったリンゴを加えて食感と甘みを足していることにも感心させられる。なるほど、こうやって調理すればいいのか。
もうこの時点でテンション上がっていた私だが、続いてメインだ。
必殺の、店員さんに「あなたは何が好き?」でそれにした、ラザニア。ま、これ完全にイタリアンですけどねww種類が多いとき、普通におススメ聞くと「全部じゃ。だから売っとんねん」って感じになる可能性があるので、個人の好みを聞いてみると角も立たないし、相手の顔も立つという、誠にサラリーマン的理屈だが、これで外れたためしはない。
案の定、口に運んだ瞬間に幸せを噛みしめた。ああ、今日食ったもの全部うまい……。チーズ、ナス、トマト……説明が野暮ってもんだ。世界三大料理はフランスかトルコ抜いてイタリア入れるべきだろ。
店名にもなったラタトゥイユももちろんうまい。店員マジ有能。っていうか、他のも食いたいぜ!!
こうしてえらく幸せな気分で店を出る。ここは是非お勧めしたいところだ。
さて、とか言いつつこの日の夜に街を出るので、バスチケットを買わねば。「Oltursa」のサイトで買えなかったため、まぁバスターミナルでもいいが、なくなると困るので、どこかで買えればいいのだが……とツアー会社を訪ねてみる。気になるのはどの程度マージンがのっているか。クスコまではネットでは72ソルだった。
一軒目、ここではもうOltursaは瓜生キレているから、とCruz del Sulか、他の安い所はどうかと勧められた。
しかし、20時ごろ出て6時に着くから、実質寝るだけだし、そこまで豪華じゃなくてもいいんだよなぁ。かといって安いといろんな年に止まるから出入り激しいし、客層も考えると盗難が……
ということで、取りあえずここはやめておいた。
アルマス広場から少し離れた2軒目で聞いたら、Oltursaあると言われた。えっ?あんの?
画面見せてもらったらまぁまぁガラガラ。おいおい、さっきの店……。
他の会社のも示しつつ、丁寧に対応してくれた。ってちょっと待て、Oltrusaが62ソルだと!?
ど、どういうことだ?直前だから安くなったのか?いや、しかしそんなことあるんだろうか……。
断る必要もないのでここで購入。ナスカから乗った時は直前でも定価。まぁ、あれは会社の窓口で買ったからと言われればそうなのかもしれないが、一体どういう仕組みなんだろうか。とりあえずネットで調べて、その額めどにツアー会社で聞いてみる、が正解なのかもしれない。意外とツアー会社ごとに金額違うかも、と今回思いました。
ちな、アルマス広場北東の角の所です。
さて憂いも断てたので、メルカド覗いてブラブラ時間を潰す。ちょっとお腹の調子が乱れたのでホテルに戻って出直すと、昨日のFさんに声をかけられた。今日の晩去ることを告げると、「また戻ってきなよ。酒でも飲もう」と言われた。あれは社交辞令だと思っていたんだが、どうも本気だった様だ。BBQ用の窯もあるからね!とのこと。クソ、昨日のうちに約束しとけばよかったなww
彼から高山病対策に薬を買っておけ、これまで特にそういうことがなかったならコカキャンディーだけでも持っていけ、と言われた。何でも、頭痛くなったら舐めれば効果があるらしい。
アルマス広場に面したスーパーで、2.7ソルとかで買えた。そういえば物売りのおばちゃんが偶に売っていたが、そういう効果があったのか。
っちょっと緩めのお腹のためにコーヒーは控えたかったが、カフェ行きたいな……そうだ!と昨日の「Chaqchao」へ。
ホットチョコラテ8ソル。生クリームの有り無しが選べるが、チョコレート部分はピュアチョコのため、ビター。せっかくのチョコレートファクトリーなんだから、飲まない手はないよね。ピュアチョコのため。苦味と香りが直に楽しめ、それを冷えた生クリームで中和する。甘いチョコレートに慣れていると、こういうのは新鮮だ。というか、クリームなしの場合ってどうなるんだろう?苦いのか?気になるなぁ……
っていうか、今日もケーキ旨そうだな!夕飯のこと考えてやめとくけど!
時間もいい感じになったので夕食へ。
お馴染みの通りで5ソルの夕食。スープと魚のフライ。少し冷たいが、ジューシーな仕上がりで、思ったよりうまい。何の魚かは不明。
宿に戻って荷物をまとめる。朝いたカフェでコーヒーを買ったため、また増えた荷物!
更にバス乗ってから腹痛悪化したら最悪なので、ここで用を足していたら結構いい時間になってしまった!宿のお母さんにバス停の場所を聞いたら、結局いつもの辺であった。
バナナパンケーキを中心に、いい宿であった。キレイだし、一人で使えたし。
なかなか目的のが来なくてヤキモキする中、聞きまくっていた私を不憫に思ってか、地元のお母さんも加わって、バスを教えてくれた。ありがたい!
さて、20時発だがなんだかんだで10分前に最寄りのバス停へ。この時点でめっちゃ焦ってます!チェックインした時点で時間過ぎているが、更にターミナル使用料(使ってねぇよ!)3ソルの支払いを別途並んで行い、荷物を預けて乗車。バタバタだった……
車内のトイレに寄っていたら出発。本当に滑り込みでしたね。皆さんは余裕もって、1時間前には宿出ましょう。
20時発ということで、知らなかったのだが軽食が出た。
鶏肉とジャガイモを煮たもの。本当に軽い内容だったので、夕飯食べたこと自体は間違いではないだろう。
隣にペルーガールがいて、自由に動けないので、もうさっさと諦めて眠りについたのだった……。
明日はついに例のアレへの起点の古都である。照井さん登場的な感じで、ナスカ・ショックを振り切るぜ!
古代の夢が、我を呼ぶ!
第三百八話 Pのボレロ / その瞳が見つめた夢は
出立120~1日目(通算370~1日目)ペルー16~7日目 アレキパ1~2日目
目が覚めると6時過ぎ。太陽の光も眩しい。遠くに山が見えるだけの平原を走っている様だ。
軽めの朝食が付くというが、こちら。
サンドイッチとセサミクッキーにキャンディー。朝飯だけ妙に雑だよね、ペルーのバス。
さて、ほぼ定刻通りにアレキパのバスターミナルへ。
この街にはホームステイ型の日本人宿があるというので、そちらに向かう。
名をば「サンドラのいえ」となん言いける。
セントロから西のはずれにあるのでアクセスはよくないのだが、ナスカアフターの気怠い気分に喧騒はノーサンキューなので、それもいいだろう。
まずセントロまではコレクティーボで移動。1ソル。
ガチセンターのアルマス広場にはいかないので、そこまで歩き、この近くからのミニバスに乗る。
警官に聞いた場所から多少下がったのでアレだが、広場北西の角を3ブロック行って左に2ブロックくらい行くと、バス停がある。これで宿の最寄りまで1ソル。タクシーだと12ソルくらいというから、安いもんだ。(後ほど知ったが、アルマス広場南西の角を西に向かえばバス停があった。近いやん!)
サンドラのいえはペルー人のご家庭にお邪魔するスタイルで、彼らは日本語を話せない。愛犬ドゥルセもかわいくお出迎え。は、いいんだが、宿帳記入しようとソファ座ったら膝に手を乗せて鼻をずっと舐めて来る。もう何が楽しいのか、おいしいのかわからんが、飽きずに舐めてくる。
チェックインを済ませて情報ノートを見ていても舐めて来る。どんだけ舐めたいんだ、君は。
出掛けるころにはこの有り様。ちょろい奴だ。
そして久しぶりの情報ノートだが、何だかげんなりしてくる。
色々わかっていいんだが、あれもこれもと収拾のつかないものが入ってくるので、せっかく大して導がないのが楽しいのに、何とも言えない気分になり、早々に見るのをやめた。
そろそろ日本語話したいなぁと思ったのだけれども、案外そうでもなかったようだ。
さて、そんなこと言っていても始まらない。こういう時はジードだ。
取りあえず街に向かおう!
アレキパはリマに次ぐ人口第二位の都市だ。別名「Ciudad Blanca」、つまり白い街と言われる。建物が周辺で採れる石灰岩で作られたためだ。「地球からちぎれて月が出来た時に、アレキパを置き忘れた」なんてロマンチックな表現があるとか。
歴史的にはインカ帝国第四代皇帝マイク・カパックの時代に建設されたとされ、出来上がった街を見た彼が「Ari quepai(ここに住みなさい)」とケチュア語で言ったことが、町の名前の由来になっているとか。
再びコレクティーボでセントロまでやって来た私だったが、取りあえず腹が減ったのでメルカドへ向かう。
ハロウィン&死者の日を控えているため、この死者の日ブレッドが並ぶ。頭が付いた、気持ち悪いものだ。
メキシコはオワハカのJちゃんからも写真が来ていたが、さらにデカかった。何で頭付いてんだろう、と思っていたら、市場の隅で頭だけ売っているおばさんがいた。もう更に意味が解らない!
い、いかん!取りあえずそれは置いておいて、飯だったな。
アレキパは食の都と言われ、さまざまな食べ物がある様だが、どこまでも食べた豚のカリカリ焼き「チチャロン」もその一つだ。
これはそのサンドイッチ、5ソル。
ここを回ってみてわかったが、メルカドの食堂、別に安くない!値段出てないところがほとんどだが、これは闇が深そうだ。
サンドイッチの途中で、アイス屋さんを見つけた。
こんな感じで氷で冷やして作っている、「チーズアイス」の名前の逸品。実は街中で、もうセントロの辺なんて1ブロックに1人くらいのペースで売っている。そこだと小サイズで4、大サイズで5ソルだったが、このメルカドの所は新聞でも取り上げらたところにもかかわらず、大サイズかそれより大きいボリュームで2.5ソルの破格のプライス。
食ってる途中なのにIN!
おお、いい感じじゃねぇか!味はチーズって程でもないが、濃厚で、工程の都合だろう、所々氷っぽい。全体としてはさっぱりしており、上のシナモンがいいアクセントになっている。
これは通いたくなるぜ!
少し足りないが、こうなれば街歩きしながら食い足していこう!
メルカド近くからの教会から見て行こう。なお、例によって中に入れないことの連続だったので、ややこしくないように中に入れた3日目の写真も一緒に掲載していくぞ!
「Santo Domingo」
大理石調の内装も美しい、落ち着いた造り。これは3日目の朝9時過ぎの様子だが、ミサが行われていた。死者の日で休日なので、それもあるかもしれないが、基本的に朝の早いうちくらいしか開いていないようだ。
「Iglesia de la Compania」
正面の派手な黄金の造りはこれまでにもあったが、大理石と赤い欄干のコントラストがいい感じに上品にまとめている。
中央のアルマス広場。1540年にスペイン軍によって建設された、スペイン南部を想起させる造り(らしい)。先ほどの紹介の通り、白い石灰岩の建物に囲まれた、市民憩いの場だ。
どうやらペルー以南は街の中心がアルマス広場という名前になるのがほとんどらしい。皆さん混乱なきように。
この奥にそびえるのが、カテドラルだ。
1612年に建てられ、19世紀に修復、増築されたとか。その後、2000年代に入っても幾度かの地震の度に修復されている様だ。
これまた3日目にようやく入れた内部。朝しか開いてないからね。サンドラのいえからは厳しいものがある。外観から想像されるよりシンプルで可愛らしい色使い。とっつきにくい高嶺の花かと思ったら、案外家庭的だった的な……待てよ、最高じゃねぇか。
背面のパイプオルガンも一面使った大きさ。入って右側が祭壇、左側がパイプオルガンという、横に収まる形になっている。
実はこの教会、一体だけ悪魔がいるという。よく見てほしい、君は見つけられたかな?
正解はこちら。うん、今までの写真でほとんど見えてないけど、正面右の何かよくわからん木の台の下敷きに。四天王が踏んづける天邪鬼みたいな感じで、親近感。
「San Agustin」
さすが第二の都市、教会の数もかなり多い。
この飾りつけは死者の日に合わせたものらしい。日本で言うお盆みたいなものだろう。
こちらは「Casa del Moral」
1733年に建てられた、バロックとシジャール様式の建物で、アレキパに残るコロニアル建築の最高傑作と言われている。19世紀の地震で大部分が倒壊。およそ100年後にイタリア人の手で復元されたらしい。繊細な彫刻の外観が目を引く。
内部見学もできるが、当然有料。高くはないが、興味がないのでスルー。
「Monasterio de Santa Catalina」は1580年に建てられ、1970年まで実際に修道生活が営まれていた修道院である。その間400年、外界と接触を立って生活していたのがつい50年ほど前まであったというのが驚きだ。徳川幕府より長いからね。
この内部はそんな小さな町として機能した、巨大な施設を見て回ることができる。40ソル。冗談じゃありません、興味ないです。
「San Francisco」もお盆仕様の様だ。
正面に宗教画が並ぶタイプは初めて見た。漫画チックなものも飾られている辺り、現在進行形で生活に合わせて変わっていることがわかって面白い。
ここまで、カテドラルの内部を覗き、かなり白を強調してきたわけだが、こちらの地区も紹介しておこう。
サン・ラサロ地区は1540年の建都の際には礎石が置かれた場所で、アレキパで最も古く、美しい地区とされている。太陽の照り返しで白く輝く美しい街並み、と言われている。まぁ、うん、そうだな。そう思うよ。
街はこんな感じで一周できる。アルマス広場のベンチで休み、おっさんと話した後、ついウトウトしてしまった。アカン!そうはいってもスリ、ひったくりが多発する国だ!しっかりしなければ!と思った矢先にまたウトウト。何てこった。現地人だってシャッキリしてるのに、彼らより危機感がない!そろそろ戻ろう。
サンドラのいえに戻ると、サンドラさんが現われた。更に次男も。さすがは一般家庭にお邪魔するスタイルだ。
サンドラのいえは日本人宿だけあって他に2人の日本人がいた。アンデス民族の生活に密着するF氏と、大学生。2人とも長期滞在コースだ。彼らの話を聞きつつ、夕食。
そう、サンドラのいえは夕食と朝食が付いて1泊30ソルなのだ!すげぇ!
こちらが本日のメニュー。パスタスープとチキンの炊き込みご飯だ。うまい、うまいぞサンドラさん!特にチキンの仕上がりは、前日の屋台の硬い肉と同じ動物とは思えん仕上がりだ!
そう、最近は日本人宿嫌がっておきながらここに来たのは「飯がうまい」から。やっぱり胃袋掴めば男はイチコロってのは本当だな。特に最近、食べることが生きがいなんです!デブ活始めちゃう勢い♡
さて、飲んでもいいらしいが、何となく一人だけ晩酌するのもはばかれるので、この日は就寝。
翌日。朝食もパンに目玉焼き、ハムにトマトに紅茶にジャムに……とボリューミー。普通の宿の朝食付きではこうはいかない。いい宿だ!
しかし私はこの日、宿を替える決意をしていた。
この日は10月31日。そう、ハロウィンだ。なにやらアルマス広場の辺で翌朝にかけてごちゃごちゃあるらしい。
見たい。しかしここからは遠いし、夕飯に間に合うために帰ると夜見られない。そうすると30ソルの価値が……。
加えてバスは減るというし、さすがに朝まで頑張れる体力も気力もモチベーションもない。一人だからね!!
こうして堪能しきる前に泣く泣く出ることになった。
まぁ、仕方ない。元々あと1日したら出るつもりだったし。バスターミナルに向かうには乗り換えが必要で、夜行となると面倒(タクシー利用が一番いいようだが……)だからね。
スペイン語学校に向かう大学生君とバスに乗ってセントロへ。
目星を付けたところに直接行ってみる。
この宿もBooking.comにのっているのだが、確認したいことがあった。
「やっぱりマージンのってんのか」問題である。クエンカの宿は予約した方が安くなっていたし、これまでの国ではそういうことが多かった。しかし思い返してみると、最初の街チクラヨからして、延泊した日の方が安かった。サービスかと思ったが、もしや……
そして案の定。サイト通すと26、普通に行ったら23だった。もちろん、時期とかいろいろあるだろう。そもそも空いてなきゃ泊まれもしないから、飛び込みが常に有効ではないだろうが、今回はそういうことだった。
しかも日本円に直して検討する作業を頭の中でしていたら、渋ってると思ったのか、初日は2ソルまけてくれた。よっしゃラッキー!
そんなわけで、ブッキングサイトも繁忙期かとかいろいろ検討して使った方がいいのかもしれない。
さて、宿を移ったわけだが、昨日ちょっと眠いからとパスした場所があったので、今日はそこに行ってみよう。
と言いつつまずは飯だ!
メルカド安くないじゃん問題に直面した私は、この街の安い飯屋を探すべく、行動を開始。
サンドラのいえの情報ノートにちょっと載っていた地域があったので、そこを見に行ってみた。
アルマス広場南西の角を西に進み、バス停のあるあたりから川を渡る手前までの辺だ。驚くべきことに、ここは5.5~6.5ソルの飯屋が並んでいたのだ!
とりあえず最安値の5.5ソルの店へ。
「Caldo Blanco」は牛コツ出汁のスープ。筋肉とジャガイモ2種がメインの具。溢れんばかりの量と、ジャガイモの甘さの違いが楽しい。もちろんこってりとした味も魅力的。
「Higado apanada」は字を見てもよくわからんから頼んでみたらコレ。食べて気づいたレバーソテー。
安いのに、というのも失礼だが、きちんとした処理されているのか、臭みもなく、いいとこどりの味。さすが食の都。安くても手は抜かないのか。
さて、では昨日パスしたところへ。「Museo Santuario Andio」は、アンデス聖地博物館と訳される。1995年、アレキパ北部に位置する標高6310mのアンパト山の山頂近くで、人類学者ライン・ハルト氏の手で、1体のミイラが発見された。500年前の12~14歳の少女、フアニータである。
インカ時代の火山鎮火を目的に、山の神に生贄とされたと推測されている。
館内は厳重に管理されており、カメラはおろか、荷物の持ち込みも禁止。ガイドに連れられてみる形になる。入場料20ソルに、ガイドにチップ。このチップっていうの、マジでやめてほしい。習慣無いからまず目星がつかん。入場時に「彼女たちはボランティアなので、貴方がいくら渡すか決めてください」とか言われるわけだが、そもそもガイドなしじゃ入れないんだから、入場料にインクルードしとけよ!ふざけやがって!
話を戻そう。
館内は薄暗く、まずは10分くらいのドキュメンタリーをみて、土地の性質(活火山があったとか)、背景の説明などがあり、フアニータと一緒に埋葬されていた土器や服飾品の解説が入る。
そして最奥に氷と共に眠る本人とご対面というわけだ。
これはポスターの絵。実際は服飾品をはがしているので、もう少し地味で、腕や体は氷に覆われている。埋葬時の都合で顔は少し皮膚がはがれているが、黒い髪の毛、指などは浅黒いインディヘナらしい肌がわかるほどに残っており、先代クウガのミイラもかくやというレベル。
凍結に加え、乾燥した土地だったことが、これほどきれいな状態で彼女を残した理由ではないか、とされている。
冷却装置の厚いガラスの向こうに眠っているため、かなり小柄に見えるが、そもそも147cmくらいというから、本当に少女だ。彼女の纏う衣服に使われていた赤い布は、当時の最高位を表すものらしく、彼女の父親が高位の存在だった、みたいな話だった気がする。
いずれにせよ、山の神への捧げものである以上、美しい処女であることが必要だったようだ。
しかし、そんな若い身空で生贄にされるなんて、彼女は何を思って眠りについたんだろうか。
実はこのミイラ、日本にも来たことがあるようだ。個人的には小学校だか中学校だかの図書館で、学研の漫画かなんかでこれが取り上げられていたのを見ていたので、その本物を見たというのが何とも印象深い。
それにしても、一緒にツアーを巡った親子、このメインの少女にほとんど興味を示さなかったなぁ。私だけアホみたいにいろんなアングルで見てる感じになってしまったが、何しに来たんや、こいつらは。ミイラ恐いんけ?
展示品は本当にこれだけだが、昼間は日差しが強いこの街で絶え間なく冷却する必要性を考えると、維持費がかかるのは無理もない。修道院見るよりは価値ある気がする。
親子が2人で10渡していたので、5ソル渡した。最初から25ソルでやれって感じだ。
一度宿に戻って休み、16時ごろから何やら始まるらしい、と聞いていたので、そのころ出ようとすると、女子ドミのフランス人が帰ってきた。何か見たか聞くと、コスプレした子どもがちらほら程度という。うーむ、よくわからんが、行ってみるしかないか!
アルマス広場までの道すがらにも、コスプレした子どもと、手を引く親の姿が散見される。この日まであちこちの街でいろんな、主にアメコミヒーローのコスが売られていた。
広場はまずこんな感じ。オーソドックスなドラキュラや、ディズニー系のキャラクターもいるし、日本からは悟空のコスプレが多い。スーパーサイヤ人(ブルー含む)の髪の毛の表現の仕方が多様で面白い。
都会的なショップやファストフード店が並ぶ歩行者天国のMercaderes通りでは、コスプレした店員もいて、子どもたちが籠を持って「トリックオワトリート!」していた。
ああ、そこはきちんとやるんだな!日本よりしっかりしているぞ!
特に何も起こらないまま、時間は過ぎ、逢魔が時。広場から見るスペイン建築の光景も幻想的だ。
そして日が落ちた月とカテドラル。滅茶苦茶絵になるな。インスタ映えですわ、これは。
することもないので、時間もアレだし、先に夕飯にしよう。
昼と同じエリアに行ってみると、なんとさらに安くなっている。な、何故だ!?昼の残りをどうにかしようみたいなテンションなのか!?
取りあえず、別の店で最安値4.5ソルに挑戦。数多のブログでおいしいものは紹介されているだろうから、ここは底辺飯をご覧いただくのも一興だろう。
スープ。具は少なめでパスタが浮いているが、味は悪くない。昼の残りにパスタぶち込んだのかもしれないな、知らんけど。
そしてタジャリンとポジョのセット。タジャリンは平たい麺のはずだが、普通のゲッティだ。やっぱり、残りなんだろうな。
味は悪くないが、麺はのびのびだ。客層もいかにもな感じなのが感慨深い。これも面白いね。
まだ何も起こらないので教会の夜景を撮る。
セントロ付近に来たのには、これを見る目的もあったが、やはりライトアップは映える。
更に混み合うセントロ。コスプレしている大人はあまりいないのが、日本との違いだが、そのうちペルーも同じことになるかもしれない。ちなみに、ゴミも少し落ちていたが、渋谷程ではないだろう。
Mercaderes通りはこの有り様で、スリしやすそうという感想が漏れる。そうそう、そういう危機感大事。20時半くらい待っていたが、特にイベントはない。集まって写真撮っている人たちを見ていて、ハタと気付いた。
渋谷も別にイベントあるわけじゃ無くね?そして今の私の状況って、リア充を見てるだけのピンのおっさんだ。い、イタい!急になんでこんなことしてるんだろう感が!!
夜になればバーで何かあるみたいな話もあったが、よく考えたら一人でバー行ってコスプレしてる人間を仮に見たところで、だから何だっていうんだ!仮に若い姉ちゃんだとしても、それならビーチ行くわ!
こうなると急激にモチベーションは下がり、もう帰ってビール飲んで寝よう、ってなってしまった。むべなるかな。
とはいえ、翌々日の夜行バスでの移動なので、まだ時間はたっぷりあるぞ!
古代の夢が、我を呼ぶ!
第三百七話 Pのボレロ / ナスカの風が吹く
出立118~9日目(通算368~9日目)ペルー14~5日目 ワカチナ3日目~ナスカ1~2日目
※月のアップロード制限を超えたために更新遅れました。墜落して死んだとかじゃないです。
目が覚めて、オアシスの周りを歩く。
あーいい感じに砂丘が写るな。こうして見ると、やっぱりオアシスだな、って感じだ。
昨日の夕方と同じ丘に登って街を眺めると、徐々に明るく照らされていくのが印象的だ。
当たり前というえばそうなのかもしれないが、砂漠なので朝晩の気温は低く、昼は暑い。更に乾燥している。夜洗ったTシャツが翌朝部屋干しで乾いているレベルだ。これは今までのどんな暑い国でも経験のない事態で、流石としか言いようがない。まぁ、踵のガサガサの進行具合もすごいけど。
さて、朝食は目玉焼きにして見たら野菜が付かなくて損したので、ここはオムレツなんだな、と思ったくらいで、荷物をまとめてさっさと出る。
宿はキレイで本当に良かったし、物価以外は過ごしやすい所だった。屋内なら暑さも気にならないのも、砂漠の乾燥具合を表しているかもしれない。ホテルによってはプールもあるようなので、さすればもっと滞在できただろう。
来た時と同じ5ソルで行ってくれる元タクシーをすぐ見つけられた。前日のバギーツアーに参加していた欧米人たちも基本5ソルで交渉していた様で、今回も6を提示→5で一発だったので、この辺が相場だろう。
1人で2人分のウエイトを占めそうな運転手だが、音楽をかけて軽快に飛ばしていく。
コレクティーボ乗り場まで、と頼んだら、他のバスよりいかに安いか説明してくれたので、彼もそのつもりだったのかもしれない。つながりがあるんだろうね。
さて、そのコレクティーボ乗り場は地図上にもあるが、バスターミナルから少し下ったところ。事前にネット検索したバスの料金30ソルに対して、15ソルで乗れるというので、即決。地元民も同じ金額だ。
リマ→イカ5時間が40ソルで2時間ちょっとの区間が30ソルってのもイマイチ釈然としませんよね。
コレクティーボはバンタイプで、16人くらい乗れる感じ。大きい荷物は上に載せる。当然、私以外はペルー人。人数が揃ったら出発で、10:50頃出た。
エアコンはないため、窓を開けているが、砂漠地帯を走る際は障害物がないため、風がめちゃ強いので注意。しかし開いてないと暑いという……。
バスは2時間ちょっとでナスカへ。
途中展望台の付近を通っていくのだが、地上絵っぽいのはあるが本当にそうか定かではない感じ。
しかし、地上絵ができるのもわかる地面の状態。
バスターミナルのすぐ横がコレクティーボの発着所で、ナスカの街も小さいので、宿も歩いていける範囲になるだろう。
さて、先程も少し触れたが、ナスカといえば、もちろん地上絵。
紀元前後~800年にかけて、海岸から80kmほどの乾燥地帯に栄えたのが、ナスカ文化だ。
広大なパンパ・インヘニオの平原に、300もの直線と、30ほどに及ぶ動植物や魚といったモチーフが存在している。
しかし、現在に至ってもなお、その目的は解明されていない。
この地上絵をセスナに乗って観光するのが、街最大のアトラクションだ。
バスターミナルを降りたところで早速おばさんがやってきて、勧誘しだした。
当日の夕方便で、あと一人で席が埋まるので、80ドルで!という。
聞いてみれば大型の飛行機だというし、小型は100ドルになるとか。
大型の方が安定するが、各窓に一人の割り当て&低い高度を飛ぶ(=絵が近い)のは小型。名簿を見れば、他は140とかで申し込んでいるが、いきなりここで契約していい金額ではないし、他も当たってみたいので、取りあえずスルーして宿へ。
宿でも申し込みできそうだが、オーナーがちょうど不在のため、町で聞くことにしよう。
とかいいつつ、既に昼過ぎなので、腹ごしらえからだ。
歩き回ってみたが、広場付近やそこからバスターミナルまで向かう辺りに、地元民~観光客向けの店がかなり並んでいる。広場でも決して高くなく、むしろ最安値は広場にあるところで6ソルだった。
ワカチナの後だと、ものすごく安く感じる(実際に安いが)
今回はその店から少し行った、7ソルの店に。
スープはチキンベースで、パスタ入り。毎回付いてくるジュースが、飲んでも何味かわからないという辺に、ペルー料理の闇を感じる。いや、これは他の南米諸国も同じか。
メインはシュラスコー。柔らかいしジューシーだし、7ソルが大変ありがたい。まぁ、ポテトとか、米に合うかは別だが。
運命を左右するツアー会社探しへ!
色々聞いて回ったが、中央広場からバスターミナルに向かうにつれて、金額が上がっていった。つまり、バスターミナルで申し込むのが一番高い!
2017年10月末現在、最安70~最高90ドルという形で、話しかけてきたおばさんのが一番高かった。危ねー。おそらく中間マージンを結構抜いてるんだろうな。
ただ、金額以外にも何を見に飛んでくれるかは確認した方がいい。実際、75ドルだけど他の所より2つ見るのが多い所もあったし、これは翌日のフライト後にわかったが、名前入りの「乗りました」記念証みたいのをくれるところとくれないところがある。
結局70ドルの所を選んだが、ここは記念証無しだった。まぁ、いらんけど。
ちなみに、近くのパルパの地上絵まで見せてくれるツアーもあり、倍の時間飛んで160ドル。形状は結構違うが、こちらの方が古いともいわれている。ツアーデスクの人があんまり勧めていなかったけど。
ハイシーズンはかなり高くなるようで、過去の他人様のブログを遡ってみると、年々順調に値上げしている、というのでもないことがわかる。時期に寄るんだね。
そういえば、飛行経路説明のための図上に、日本語の表記がナチュラルに載っていて驚いた。どうもたくさんの日本人観光客が来るようだ。会わなかったけど。
というわけで、無事に申し込みを終えて、市内をブラブラ。
ナスカの地上絵という、これ以上ない観光資源を得た街は、当然これを前面に押し出す。
広場の舗装には所々に地上絵のモチーフ。
バス停というか休憩用のベンチというかにも、こんな感じに。
当然、土産物屋が多く、それもほぼすべて地上絵モチーフ。ま、私でもそうしますわ。
スーパーの価格はリマくらいだし、目立って高くはない。
夕飯を食べに、19時過ぎに宿を出る。
先ほどのモチーフバス停のあったメイン通りと広場は土曜日ということもあってか人通りは多く、危険な感じはない。
ただ、これを外れるとまぁまぁ普通の暗い道なので、警戒はした方がいいだろう。屋台があったりするので、そこまで危ないというのでもないが。
開いている店でブロースターのセット、8ソル。要はフライドチキンとポテトで、豊富なソースをかけて食べる感じだ。ジュースとかはつかない。店は結構夜も開いているので、食べ物には困らないだろう。
翌日のフライトに備え、就寝。
宿は朝食込みだが、飛ぶ前はちょっと……思って前日に相談。戻ってからでいいというので、お言葉に甘えて先に出る。
ツアーには送迎のバス代が含まれるのがほとんどで、宿から空港まで向かってくれる。8時半ピックアップだ。
受付にはパスポートが必要。空港利用料別途30ソルもいるので、財布も持って行こう。そして体重も測られるので、いろんな意味で注意。旅の前より痩せたなぁ(自慢?)。
ここで10時発のフライトだからと、1時間待つ。
待合室のモニターではナスカ文化についてのナショジオDVDが流れているし、周りにはお土産物屋、ちょっとしたカフェもあるので、時間潰すのは苦ではない。
ここの土産物屋はナスカの街よりも安い(特にTシャツ)ので、ナスカグッズが欲しければここで買うのがいいだろう。他の街で買えるものも多いけどね。
時間になって行ってみたら、1時間待てとか言われてワロタ。更にか!
こうしてなんだかんだして11時前にいよいよチェックイン。普通の空港よりちょい緩めの身体検査後、しばらく待って順に飛行機へ。
遂に我々の番。11時か。宿のチェックアウト12時だけど、大丈夫か。
さて、この地上絵観覧ツアー、飛行機酔いで途中から見られなかったみたいな話も聞いていて、かなりビビっていた。
船酔いも記憶に新しいが、バスも結構酔うし、乗り物には弱い。ただ、ジェットコースター系はいけるので、半々だな、と思いつつ、酔い止めを飲んで備えていた。
「乗る30分前に飲んでね」という注意書きに従ったわけだが、更に1時間待っているので、いや、大丈夫だろう。そんな短時間しか効かないわけないだろうとガクブル。
席は図った体重を基に、重心を取るために例えカップルでも離されることがある。
女性1人が一番後ろに、あとはおっさんがひしめき合って搭乗。
小型機はパイロット、サブパイロット合わせて8人掛けで7人。個人スペースはほぼない。
手元の各地上絵についての説明書にも、スペイン語、英語に続いて日本語の表記が。
挨拶は喋れる人もいるし、特に用事もなく話しかけてくる人もいるし。両国の関係性もあるのだろうが、パイロットまでドラゴンボールの話をしてきたのでね。それだけ過去にここに金を落としていったのだろう。諸先輩方、ありがとうございます!
場面は戻っていよいよ飛び立つ。初セスナだ。
パイロットが良くしているヘッドホンを装着。エンジン音がうるさいので、基本これで絵の説明が入るらしい(今右側にあるぞ!くらいの奴ね)。
目の前にはビニール袋。
左右の窓から見られるように、右を下にして、左を下にしてと交互に旋回するため、それが酔う原因になる様だ。「吐くのは1回だけだからね」という整備士の冗談に苦笑い。
さて出発だ。もちろん「ジャンファイト!」と叫ぶのも忘れない。ジャンボーグはデザインもいいけど技名にセンスを感じるよね。「ビーム・エメラルド」とか「必殺風車(かざぐるま)」とか。
大型機よりもふわっと空に舞い上がり、特にストレスなく上空へ。風で多少揺れるが、これが連続したらヤバくなるのか?とビビる。いや、私は強い、私は強い、私は強い……I’m Strong Boy!
約30分のフライトで、地上絵を見ていく。
まずは鯨。結構線にかかっているな。肉眼ではバッチリ見えるが、私のスマホは結構古いので、加工してこんな感じにまでしている。これはピントがイマイチですね。
続いてコンパスとか二等辺三角形が続くが、似たようなのが多く、どれというのもわかりづらいので省略。ここは人気もないのだろう。旋回もなかった。
宇宙飛行士。まぁ、どっちかっつーと宇宙人じゃね?って感じだよね。愛嬌があるし。
山に入っているので、大変にわかりやすい。
そして有名どころ、猿。しっぽの辺が少し消えてる?
犬。これは敢えて遠景にしたが、思ったより小さく見えることもわかるだろう。
ただ、飛行機の影やパンアメリカウェイを走る車と比べると絵自体は大きい(犬は51m)ことがわかるのだが、それだけ上空を飛んでいるのだ。
そして1,2を争う人気のハチドリ。アクセサリーのモチーフや、Tシャツの柄にもよく選ばれている、大型のもの。山の上の台地にあるので、見つけやすい。
更には蜘蛛と
コンドルと続く。個人的にはこのコンドルが一番見たかったので、大変満足である。私の心の中の霧彦さんも満足していることだろう。
さらにフラミンゴと
オウムと続き、
トカゲ、木、手である。
中央にあるのは展望台で、昨日通過したが、ここから木と手は見られるらしい。これで絵の巨大感も伝わるだろう。
トカゲがキレてしまっているのが残念であるが、何せこの巨大な地上絵に気付かずに道を引いてしまったんだから仕方ない。これ気付けって方が無理だから仕方ない。他にもちょっと切れちゃっている所があるとか。
さて、この地上絵、どうやってできているかというと、何のことはない。白い地面の上に載っている黒い石をどけて、溝にしているだけなのだ。
深さ10cm、幅20cm程の溝を、大きいものは手で、細かいものは履いて作ったという、それだけ。
ナスカはほとんど雨が降らないため、数百年経っても残っていたというのだが、俄かには信じがたい。だからこそあんまり低空飛べないんだろうな。石飛んで消えたらシャレにならないし。
あ、でも、消えつつあるという話もある。今後地球規模の環境変動が続けば、これも過去の遺物になるかもしれない。
絵の端には石が積まれ、その中央に木の杭の跡がある。これを用いて正確に直線を引いていたと言われている。さらに、見つかった土器から気球で形状を指示したとも。
では、一体何の目的で?これも諸説あるため詳しくは触れないが、どうせなら宇宙人とかの方がいい。楽しいので、私が。
こうしてあっという間にツアーは終わり、最後にセスナと記念撮影。
いい感じだ。全く酔わ無かったのは、パイロットの腕によるところが大きそうだ。フライトリターン程ではないが、結構傾いていたんだけど。
ただ、このツアーが「がっかりツアー」と言われる理由もそこはかとなく分かった。
何というか、スゲーあっという間なのだ。時計を見れば、なるほど確かに30分経っているのだが、数秒間目の前に絵が提示され(それもまぁまぁ小さいし)、すぐに次へ。あれよあれよという間に帰路についているのだ。体感10分くらいだ。当然こっちのテンションが上がっていることも理由だろうが、「えっ!?もう終わり?!」ともいえなくはない。
これで気持ち悪くなって意識が朦朧としていたら猶更そう思うに違いない。まぁ、「早く終われ」と思ったら長いだろうが。
ただ、個人的には大満足だ。懸念される酔いもなかったし、天気も良かったのでクッキリ見えた。これがあの……という体験は今までもしているが、時間をかけて飛行機に乗って見るという非日常的な状態がプラスされると、感慨もひとしおだ。
コーヒーを豆から挽いて淹れて飲むという儀式が「コーヒー飲むぞ」という気持ちを高めるように、手間をかけたことがより思いを強くしているだろう。
だって画像検索すれば、見たいのなんて見れちゃうし、googleアースで見られるなんて話もあるんだから。それでも見たいと思える人には、やっぱりお勧めだ。
あと、特オタ的にはナスカドーパント(青派)がカッコいいので、霧彦さん慰霊のためにもどんなにガッカリだなんだと煽られても見るつもりでした(決意)!
さて、宿に戻って慌てて荷物をまとめる。オーナーからツアーの勧誘もあった。
そうだよなぁ、宿代安いし、地上絵ツアーもいない間によそで決めてきちゃったし、できれば他の……ってなるよなぁ。しかし、もう満足したので、今回は遠慮。
ナスカ文化のピラミッドや墓なんかを見られるというものだったが、もう今日これ以上に何か入ってくる気はしないし。
断ったにもかかわらず、昼過ぎだけど朝食を出してくれ、部屋も夜のバスまで使っていいと言われた。どんだけイイ奴なんだ、オーナー。Booking.comのレビュー書こうかなww
さて、ツアー無しだとすることもないナスカの街。よく考えたら今日は日曜日で、お土産屋さんも開いてない。おい、マジでやることなかったぞ!?
でもね、実は宿で紹介してくれたツアー、今回地上絵ツアー申し込んだところと同じだったんだけど、結構マージン乗ってたんだ。昨日金額聞いてたから。で、こちらのお財布事情とどちらの顔も立てなければいけないこととで、断った面もあったんだよね。。。テラ政治。。
16時過ぎにご飯にする。
何やかんやあって昨日の店。スープは同じそうだったので回避すると、サラダだった。アボカドがうまい。宿の朝飯にもアボカド出たけど、塩振りかけるだけでうまいなんて、すごいよなぁ。
そしてメインはたまねぎと肉炒めの下にフライドポテトのあるロモ・サラード、7ソル。
ペルーを代表する料理だそうな。おいしいね。
さて、宿でダラダラし、バスのチケットを購入してシャワーを浴び、荷物をまとめて出発。
お腹が減ったので、途中の屋台で夕食。
鶏肉とポテトを乗せたご飯、7ソル。火が通り過ぎているのか若干硬かったが、屋台飯ってテンションが上がる。
さて、評判のいい「Oltursa」というところのバスにしてみたが、個人モニターも電源もUSBもなかった点は微妙。席は寝やすかったが、「Cruz del Sur」98ソルに対し、これは90ソル。微妙かなぁ。まぁ、ほとんど寝るだけだからいいんだけど。
もう少し安い所も当然あるけどね。高いバスなら客層もよくなる分、盗みも減るかな、ってのがあるので、そこの兼ね合いが難しい。
さて、バスは10時間くらいで着くので、さっさと寝る。いい夢が見られそうだ。
古代の夢が、我を呼ぶ!