第三百三話 Pのボレロ / 洗礼の待ち 先例の街
出立112~3日目(通算362~3日目)ペルー8~9日目 リマ1~2日目
隣の座席が空いていたため、のびのびと使って眠ることができた。とはいえ、多少体は痛い。
朝食も申し訳程度のハムサンドとケーキ、コーヒーか紅茶が付いてくる。やはりバナナを持ち込んで正解だ。
バスは頬予定通り、翌朝9時半に到着。
タクシーを振り切って、最寄りのメトロ駅を目指す。
大体20分くらいだろうか。駅が見えてきたが、人の気配がない。嫌な予感……。
入り口にはシャッターが下り、運営されていない。
何てこった!伝説の始まりだ!
バス停に行ってみたが、10分ほど待ってもバスはおろか、バスを待つ人間も来ない。
し、仕方ない、遠いけど歩くか!
結局朝から6~7kmほど歩く羽目になった。
土日はいろいろ制約があるのか?と勘繰るが、これは後にわかることに。
さて、1時間半ほどかけて宿に。
リマには日本人宿が多数ある様だが、クエンカで十分日本語を喋ったのと、立地、値段を考慮して、普通にBooking.comで安い所に。
Wi-Fi弱いのがネックだが、オーナーさん親切そうだし、アットホームで楽しそう。
ここで前日までの記事をあれこれして、昼も過ぎたので、腹も減ったし、出掛けることにしよう。
と思ったらオーナー夫妻から衝撃の一言。
「今日は多分店やってないよ」
何……だと……?
どうやら何かの祝日だったらしく、チェーン店もスーパーもすべて休み!散策しても何もなし!ああ、それでコンビーすら走ってなかったのか!
ゴーストタウンもかくやという街並みだったが、それは特別な状況だったのか。
そうか、昨日のカハマルカのキリスト教の何かもそれが関係しているのかもしれない。
仕方ないので、バナナとクッキーで飢えをしのぎ、夕方に「営業時間」の関係ない、海岸沿いの公園へ出掛けた。
海を眼下に臨む、人々の憩いの場だ。というか、ここしか行くと来ないんだろうな。観光客も多い。
「恋人たちの公園」と呼ばれる公園の、中央にあるくんずほぐれつな男女の像。情熱的だな。
本当なら「カップルだらけだ!リア充イネやぁああああああっ!」とか言うつもりだったが、事情が事情だからだろうか。老若男女が集っていて、取り立てて恋人同士というのも目立たない。というか、こんな像の前でロマンチックになれるだろうか。他のところ行くよな、普通。。いや、よかったけどね。
スーパーの開く時間まで待って向かうと、えらい混みよう。そりゃそうだろうな。
ここで買い出しして宿に戻ったが、チェーン店は営業を開始しているっぽかった。
逆に休み夕方までって、どうなんだろうな。
宿には犬がいて、こいつがなかなかにかわいい。
パスタを作り、お菓子とナッツで晩酌し、この日は終了。
翌朝、朝ならWiFi早いかな、と早めに起きて、朝食と一緒に作業。
まさかの首都でアップロードに苦戦するとは……
のんびりしている間にインド人や台湾人(こっちは日本語が話せる)がやってきて、英語や日本語で話す。そうそう、こういうのがいいのよね。
他の宿泊者がほとんどスペイン語しか話せないので、大変楽しかった。
宿の主人夫婦は英語OKなので、そこは不自由してないけど。
さて、今日こそは観光だ。
私の宿泊先は新市街。メインの観光は旧市街ということで、バスで向かうのがいいとオーナー。
それこそが昨日乗れなかったメトロビアである。
どうやら、マジで昨日だけ運航していなかった模様で、土日も便はあるらしい。
そうか、それで長距離バスが他の日よりもスゲー安かったのか(しかもこの日曜日だけ運営無し)。納得。
カード5ソル、1回乗車で2.5ソル。南米お馴染みのメトロビア方式で、専用レーンを走るシステムだから渋滞はない。しかし車内は混み合う!11時くらいなのに混んでいる。通勤時間はもっと悲惨だな……。
中央に近そうなところで下車し、セントロヒストリコを目指す。
リマはペルーの首都にして、南米大陸の太平洋岸の中心。チャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置し、年間を通してほとんど雨が降らない。5月に「インカの涙」と呼ばれる、僅かな梅雨の期間があるのみだ。
本日向かう旧市街の古い町並みは、1988年と90年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。
新市街から向かうとまず見えてくるのがサン・マルティン広場。中央の像は独立運動の立役者、サン・マルティン将軍だ。レストランやホテルが建ち並ぶが、バックパッカーには無縁の高価格帯だ。
ひっそりとケンタッキーなんかもあるが、ここでは京都よろしく、景観に合わせた灰色の外観になっている。
ここから街の更なる中心、アルマス広場に抜けるのが、ラ・ウニオン通り。
かつては露天商が軒を連ねたというが、治安悪化の要因として一掃されたらしい。今は近代的な通りとなっていて、比較的治安もいい。
路上パフォーマーも、似たようなことをしている人間が等間隔にいて、何とも形容しがたい。
通りの途中にある「Iglesia de la Merced」は、1532年に建てられた、修道院を兼ねた教会。リマで最初のミサが行われたところだという。外観はスペイン・バロック様式。
内部にはペルー軍の守り神、聖女メルセーが祀られている。
そしてこちらがアルマス広場。
1535年、スペインのコンキスタドール、ピサロが首都をクスコから移すにあたり、母国のイベリア様式に則って、この広場を中心に街を作っていった。
一案に目を引くのはこちらのカテドラル。フランシスコ・ピサロ自らが礎石を築いた、ペルー最古のカテドラルにあたる。1535年1月18日のことで、この日はリマ建都の日となっている。
当時、インカ帝国は「黄金の都=エル・ドラード」と噂され、多くのスペイン人が南米大陸を彷徨った。キリスト教布教の名目でやって来たピサロもまた、金が目的であった。
先日訪れたカハマルカで皇帝を捉えてキリスト教に改宗させたうえで処刑し(ひでぇ……)、クスコを占領してリマに帰還。ここに新たな首都を築いたのである。
しかし、彼もまた1541年に暗殺され、生涯を閉じることになった。
彼のミイラ入りとされる棺をはじめ、金銀箔などを施した豪華な祭壇が多数あるが、別途見学料が必要。30ソルとか。おいおい、1泊分の金額だぞっ!?
入り口の人間が軽い日本語で勧誘してくるが、華麗にスルー。そんなん、無理っていうか、そこまで興味ないっす……。
彼の暗殺後、1555年に完成を見、増築なども行われた。しかしリマは過去に3度大きな地震に見舞われ、そのたびに修復が行われており、現在のものは1755年のものである。
と、解説が長くなったが、ちらっと外見ただけっていうね。
何故かといえば、こちらのペルー政庁。ものすごい人だかりだ。
丁度行ったタイミングで始まったが、毎日12時に衛兵の交代式があり、それを見学する人々でにぎわっていたというわけ。
足を直角に上げ、楽隊の音楽に合わせて行進する衛兵……多いなぁ……なんだ?中もか?中も入れての人数なのか?これで半分なのだが。式は結構長めだった。
リマは広い都市だが、旧市街の見どころは歩いて回れる範囲だ。ドンドン行こう。
「Iglesia y Convento de Santo Domingo」はコロニアル時代の中でも保存状態のいい建物。1549年建設の外観は、3度の地震に耐え、ほとんど変わらない外観を保っているという。
内部は被害を受けたものの、当時スペインはセビリアに特注したとされるタイルが残っており、当時のドミニコ会の財力を物語っている。
地下にはリマを代表する2人の聖人の墓地もあるというが、こちらも見学料が必要で、10ソル。足元を、見てきやがる……。
勿論、そこまで興味がないので、スルー。今や首都の中心にあるのでこんなこと言うのもアレだが、他人様の土地で好き勝手やって押し付けた宗教施設という時点で気に食わないですからね、今更ですけど。
気には食わないが腹が減ったので何か食わないといけない。
少し飛ばして、メルカドへ向かおう。アルマス広場の東側にあるメルカドは、これまで同様、肉魚、野菜にフルーツなど何でもそろう。
食堂もあったが、大体の値段が8ソル。あれー高いなぁ。あはまるかが安かっただけかもしれないが、昨日のスーパーのチーズと市販のヨーグルトですら高かった。うーむ、都会刃物があるから安いと思ったが、そうでもないか。
実はメルカドのすぐ横に中華街があるので、せっかくだからこっちも見ておこう。
はい、門。
門の手前からレストランが広がり、奥はカジノなど。あんま中華関係ない。
通りの端まで行き、左右に伸びる通りには食品販売店もあり、何故か韓国食品の店も数店。日本食品の店はなかったが、まぁ、同じ括りにされても困るっちゃ困るので、良しとしよう。
そういえば、最寄りのスーパーの日本系調味料の揃い方は、これまでの国よりはるかに充実していた。さすが日系の大統領が出た国である。
門の外のレストランは比較的安いので、こちらで昼食をとることにした。
ワンタンスープと炒飯(揚げワンタン付き)、9.5ソル。
スープ自体は旨いが、ワンタンが厚めの皮で、つるっといかない。これは失敗したか、チャイニーズの店員がぱっと見で居る所にすればよかったかと後悔したが、鉄鍋を振る音は聞きなれた、いい感じのもの。これ案外イケるんじゃ……と思っていたら出てきましたぞ!
これがうまい!グアヤキルのもなかなかだったが、あちらは米がもち米状だったのに対し、これは日本の炒飯とマジで遜色ない。しかもチャーシューもいい感じにチャーシューだ。
全ての店の炒飯のクオリティがどうかはわからないが、この中華街、相当にできそうだ!
そして案の定、量が多い!これ他の料理とのコンボとか頼んでる女性一人とかいたが、食い切れるんだろうか。まぁ、炒飯の量は違うだろうが。
大満足で店を出て、再び観光に戻る。
「Iglesia de San Pedro」は1625~38年にイエズス会の手で建てられた、バロック様式の教会。堅固な造りのため、自身の影響もほとんどなかったとかで、ほぼ建設当時のままだという。
まぁ、皇帝だまして処刑するような奴が基礎とか作ってる教会なんか崩れるんだよ、へん!
その向かいにあるのが「Palasio de Torre Tagle」。リマ、そして南米の中でも際立ったコロニアル建築の一つだとか。1730年にサン・マルティン将軍指示の下、トーレ・タグレ侯爵のために建てられたという。現在は外務省のため、立ち入り禁止とか。
スペインのムーア人の影響を受けたセビリア風の外観……もう訳わからねぇ。
「Iglesia y Convento de San Francisco」は1546年から100年以上かけ、バロックとアンダルシア風の建築様式で建てられた。
特にこの正面の装飾が見どころだろう。見学料10ソル。だからそこまで興味(以下略)。
ここも地下に墓地があったり、チャペルがあったりするらしいので、興味があれば見てみるといい。
南米入ってからずっと教会見てるからな、中盤以降飽きるよね。すいませんね、こういうの好きな方。でも見てる方だと思いますけどね、私(誰に言い訳してんの?)
見たい博物館もあったが、月曜日で休みだったり、よくわからん理由で休んでたりとしていたので、そろそろ帰ろうかなーと思っていたが、なんか旗が並んでいる通りがある。
この教会も面白い色だな。
旗は10月9日と記述があったので、例の独立の日の奴だろう。
メルカドに戻ってフルーツを購入後、中華街で見つけて、腹いっぱいだけどどうしても食べたかったものを購入。
何と肉まんだ!
門の外と門の奥にあり、それぞれ2.5ソルと2ソル。野菜まんもあった(Dulceが肉まん)。
こちらは2ソルの方。蒸し器から出したものにトングで突然穴をあけ(何すんじゃボケ!)、そこにソースを注ぐ。
(「入れた方がうまいから!」と言われて従う)
甘じょっぱいソースがいいアクセントになり、なるほど、旨い。皮も甘めでもちもち。いい感じに中華まんだ。おい、この中華が、かなりレベル高いぞ!
ただ、手持ち用の紙がわかってないな。皮がくっついてしまった。コンビニの中華まん包んであるアレ、結構優秀なんだなぁ。
来た時と同じように宿に戻り、宿でパスタの自炊をして夕食とする。
前日に買った食材があるもんでね。
ついでに晩酌していたら、オーナーさんが愛犬に襲われていたww
宿の中はハロウィン仕様になっていて、毎日誰かしらがメイキャップされていて、帰ってくるのが楽しみになるクオリティ。
街でもハロウィン的な飾りはもちろん、子ども用のコスチュームも売られている。
売られているが……キャップや社長にスパイディと、アベンジャーズ周りが超充実。それってただのコスプレですよね?
遠く離れた南米で、日本の影響かは不明だが、同じような現象を目にして、苦笑いだ。
これで大人も始めたら、一つ詫びでも入れたいところである。
明日は少し遠出しようかな。
まぁ、これ書いてる時点で行った後だけどね。アップロードに時間かかってるからね、仕方ないね。
古代の夢が、我を呼ぶ!