第三百三十一話 モーター・A・ダイアリー / 空く間は再び
出立165~66日目(通算415~6日目) アルゼンチン12~13日目 エルカラファテ3日目~エルチャルテン1~2日目
朝食に起きていくと、同じ部屋の連中の中で、1人だけ起きていた様だ。「うるさくなかった?よく眠れた?」と気にしていた。イイ奴だな。
眠りについた彼らとは裏腹に、こちらは行動開始。昼過ぎには次の街への移動になるので、荷物をまとめてチェックアウト。アルヘンティーノ湖の方まで散策に出掛ける。
途中でお目当てのものを見つけた。
エルカラファテの実(多分これ)。
これを食べると再びパタゴニアに帰って来られる、という言い伝えがあるんだとか。まぁぶっちゃけ物価高いからまた来たいかと言われるとどうかなーって感じだが、話のタネに。
うむ、若い実だけ酸っぱいのかと思って濃い色のも食ったが酸っぱい。そういや、これに砂糖ぶち込みまくってジャムにするのが常道なんだっけ。じゃあこんなもんだな。
そこから犬とかランナーとかとすれ違いながら湖を目指す。何もない道だ。風が強すぎて帽子飛びそうになり、手で持って歩く。
途中で馬が。そういえば、なんか牧場で馬に乗る的なアクティビティがあったような気がする。
そうして地図上の際までやって来たわけだが、うむ、遠いな、湖。結局空港からの途中が一番きれいに見えたぜ。
宿に戻って荷物を背負ってターミナルへ。途中でバックパックの肩ひもの固定部が壊れるトラブル発生。前回の修復が甘かったか。しかしいろいろなものにガタが来ているな。
バス停にはAちゃんの姿が。朝の便から変更できるかなーとか言っていたが、できたようだ。
バスは定刻過ぎに出発。3時間程度の道のりだ。アルゼンチンのバスは基本スペックは高いが、ペルーみたいなオモシロ要素がないのがつまらない。お昼に持って来ていたサンドイッチを食べると、あっという間に眠りに落ちていた。
そして目が覚めればエルチャルテンの街の手前。観光客はここのインフォメーションセンターで説明を受けなければならない。と言っても、とても大切な情報だ。
エルチャルテンに来た人間のほとんどが、「フィッツロイ」と呼ばれる山に纏わるハイキングというか、山登りまではいかないが、って感じのにトライアル!する。
ここではそのコースと国立公園内の注意事項の説明、更に天候の話をしてくれる。
残念ながら翌日は雨だろう、とのこと。うーむ、翌朝にトライして休み、次の日に街に行こうと思っていたが、いきなり予定が狂った。おそらく次の日ならいい感じだろう、ということで、それを信じることにした。
再度バスに乗り、近くのターミナルまで移動する。ここで翌々日のバスを予約する。
2会社ほど窓口が空いていたが、1つは1日おきの運行で便がなかった。少し安いんだが。
そしてもう一つは毎日運航。2,020ペソ+ターミナル利用料20ペソ(現金のみ)だ。2社とも20:00と21:50で夜出発。これなら2泊でも行けるだろう。
移動距離を考えると、ご飯も付いてるし、やはりカラファテ~チャルテンが高いことが分かる。ちなみにチャルテンからカラファテは500ペソらしい。
バックパックを車輪モードにして歩き出す。
入り口に看板。
本来なら後ろに見えるようだが、小雨がぱらつき、フィッツロイの姿は全く見えそうもない。こりゃ明日も確かにダメかもな。
例によってMaps.meのホテルの位置が間違っている&GPSの調子が悪いために時間が掛かったが、何とかホテルへ。肝心な時に役に立たない、橘さんとは逆な奴だ。
この宿でまたAちゃんに会う。ま、前日同じ宿だねーって話してたので知っていたが、君18歳だったのか。外国人の歳はマジでわからない。
さて、ドミ部屋に行くと、日本人のTさんがいた。
お目当てはフィッツロイで変わらないが、早朝出る私とは違い、彼は前日に途中のキャンプ場に入るとのことだった。
大変狭い&Wi-fiの遅いこの街ではやることも少ないが、取りあえず近くのスーパーへ。
うむ、予想通り高いが、品ぞろえは思ったよりいい。安いワインは買えたので、夕飯の調理開始だ。
ホステルは観光客、それも他国からの客が多い様で、英語が飛び交っている。これまでの場所とは少し様子が違うな。
こんな見た目だが、スープパスタというか、タジャリン。スープの入る器がこれしかない&カトラリーがなぜか見当たらなかったので、お箸でいただくスタイルに。この形だとつい音を立ててしまうので、注意が必要だww
Tさんと情報交換をする。これからキューバに向かわれるとかで、知っている限りの話をした。もうあれも4~5カ月前かぁ、と思うと感慨深い。意外と覚えてるもんだなぁとかね。
今の季節はどうなってるんだろう、キューバ。旅行者は行った期間の見た範囲の事しか知らないんだよな、と改めて思った。
結局話が弾んでワインを一本、1人で開けてしまうのだった……。ここも夜がなかなか来ないな。
翌朝。6時ごろ外を見たら、雨がぱらついている。今日はやはりだめだったのだな。
その後雨は強くなっていった。他のとこまで歩いてみようと思ったが、これも無理そうだ。
朝食はスープを作って、日本から持ってきたお湯を入れるだけの山菜おこわに。2年前の旅行に際して、大学時代の後輩からもらったものだが、なんだかんだ今まで使わなかった。荷物を減らしたいことも理由の一つだ。
この途中でTさんは旅立った。この雨の中でキャンプとは、なかなかに修羅の道だ。ただ、彼も飛行機のチケットを取ってしまっている以上、時間に余裕がないのだ。状況は一緒。
しかし本当に雨が強くなる一方。ホテルのラウンジでみなダラダラするくらいしかすることがない。何て不毛なんだ。この時間を利用して、エルチャルテンについて説明しようか。
エルチャルテンはエルカラファテから220kmに位置する、フィッツロイ山への入り口の街だ。主なトレッキングは3つのコースがあり、
- フィッツロイを近場で見るもの(片道10km)
- 湖越しにフィッツロイやセロトーレを見るもの(片道9km)
- ロスコンドーレスという丘に登るもの(距離忘れたが、標高1000m越えの山道)
ってところだ。もちろん①が大体の人の目的で、早朝に登るのは朝日に照らされたフィッツロイを見るためだ。晴れて入れば本日は②でもいいかなーと思ったが、もうやめよう。
ここでもトレッキング以外にいくつかのアクティビティが用意されているが、はたして需要はあるんだろうか。まぁ、雨降ってなくても山隠れてたら見に行かないだろうし、ネットも遅いとなれば手を出す人もいるかもしれないな。
なお、エルカラファテからフィッツロイを見に行くツアーみたいなのも出ている模様。値段忘れたが、仮にこれを見た方がいく頃にはさらに上がっているだろう、カラファテなので。
あ、大事なことを忘れていた。このフィッツロイトレッキングが人気な理由の一つに、国立公園への入場料がいらない、ということがある。氷河は500ペソも取られたのにねー。太っ腹だぜ、フィッツロイ。
お昼過ぎたので昼食へ。
近くのエンパナーダ屋さん、その名も「チェ・エンパナーダ」
……ま、アルゼンチン出身だからな。ゲバラとエンパナーダをこう……無理ないかなぁっ!?
かなり種類があるが、セルドピカンテ(スパイシーミート)を選択。30ペソ。
その場で温めてくれるのが売りだが、なんか冷たかった。味はイイだけに残念!
午後は以降の街の調べものなど。帰国までの予定が詰まってきたので、やりくりが忙しい所だ。ネットも遅いし。
雨が上がった。このまま晴れてくれ!
明日は日付変わった辺で出発のため、夕飯を早めにとって早めに寝る。
夕飯は日本から持ってきたHoteiの「焼き鳥(とりたま)」の缶詰めとスープにご飯だ。
この缶詰はドラマ「めしばなデカ立花」でも取り上げられた一品で、「俺は更に一周して塩味だ」みたいな、味でのマウンティング合戦が印象的だったな。初めて食べるけど。
さて、前述の通り、調べるほど朝、っていうか深夜出た方がいい感じになって来たフィッツロイ見学。これはキャンプする気持ちもわかるというもの。しかし、俺は深夜に行ってやる!
果たして無事に晴れて山を見ることができるのか。そもそも辿り着けるのか?どうなる第332話!?
輝く自然が、我を呼ぶ!
第三百三十話 モーター・A・ダイアリー / 氷の嘲笑
出立163~64日目(通算413~4日目) アルゼンチン10~11日目 ウシュアイア3日目~エルカラファテ1~2日目
宿を出る時間的に朝食は諦めた。あの甘いクロワッサン、おいしかったんだけどなぁ。
さて、ギリギリまで粘ったせいでちょっと慌てて移動。道路手前の海岸を突っ切ったら30分くらいになったのでまぁ、良し!草っぱら突っ切ったからか、野ウサギが跳んでいるのを見かけた。そういえば、行かなかった国立公園には生息してるんだっけか。なら居てもおかしくないな。
結局飛行機は若干遅れたが、1時間半もないフライトなので大した影響はない。エルカラファテまでの500kmくらいの距離がこれだけで着くんだから、人類の英知たるや、大したものだ。
空港から街までは距離があるため、「VES」という会社のシャトルバスを利用。
160ペソでホテルまで送ってくれる。公共交通機関がないっぽいから、おそらく一番の安上がりだ。
さて、ホテルで無事チェックイン。気温は依然低いものの、流石にウシュアイアより暖かく、昼は半袖で行ける場合もある、って感じだ。
荷物を置いたら出掛けよう。
エルカラファテは湖に囲まれた小さな町で、付近にあるいくつものスポットの存在する、パタゴニアのハイライト的な街だ。あ、パタゴニアってこのアルゼンチンとチリの南部の地方全体をさしていて、南米を旅する人々の憧れの地だ。
ここまでの記事をお読みいただいたみなさんはうっすら気付いているかもしれないが、旅に出る前は全く知らなかった&途中でも「パタゴニア良かったですよー」「ああ、やっぱそうなんですねー(それどこにあるんや?何ができるんや?)」状態だったので、やっぱり思い入れは少ないんですけどね。
そんな訳でやって来たエルカラファテの街で私が狙うのは国立公園内にある「Glaciar Perito Moreno」すなわち、ペリト・モレノ氷河である。ここをトレッキングしたりクルーズで見たりがこの辺りのフェイバリットなレジャーだ。
この申し込みのためにツアー会社に向かう。
「ミニトレッキングは一人3,600ペソ+国立公園入場料500ペソです。」そうすると、4,100ペソだから6.5倍して……27,000円くらいかー。この辺値上がりしてるから仕方ないな……ってなるかボケっ!
1年前の記事では2,400ペソ+入場料だし、数年前なんか640ペソってのもあった。いくらなんでもインフレし過ぎだろっ!ペンギンクルーズで悩んでたのがアホらしくなるクズっぷり!
ミニトレッキングは氷河に渡って1.5時間トレッキングし、氷河の氷でウィスキーオンザロックを呑んで最後に展望台から氷河を眺めるというもの。オンザロックしたいと思っていたし、氷河の上でギグナス氷河ごっこでもするかと思ってたし、言うて2万円くらいまでなら背伸びも考えたわけだが、3万近く……。
最悪だ……。まさかここまでコケにされてたなんて。
「観光客共、どうせ一生に一度なんだろ?これくらい出せるだろ?」という魂胆が透けて見える。マスタークの様に「悪いな」と思ってる様子が微塵もない。そしてどの店もすべて均一料金。
目の前の姉ちゃんの笑顔で仕方ないな、とか思いかけていたが、冷静に考えると氷河に登らないといけない理由ないし、その金あったらマッカランの10年何本買えるんだよ、って感じだし、聖闘士星矢世代じゃないし、ていうかアイスランドで氷河堪能したから触れ合う距離とかじゃなくていいし!と酸っぱいブドウ理論爆裂で、さっさと切る。これは、眺めに行けばいいな。
ついでに翌々日のバスチケットも買おうとバスターミナルへ。
……アレ?Maps.meにあったとこ、廃屋になってる……よく見ると東の外れに新しいバスターミナルが出来ていた。おい、ホテルから遠くなってんじゃねぇか!せっかくターミナルに近そうな安いとこにしたのに、意味ナイアガラ!
まぁ仕方ないので新ターミナルへ。これは、出発日が怖いな。
エルカラファテの街は周辺観光のためか、レストランも土産物屋も多い。値段もそれなりだ。
スーパーのものの価格も……おい、ウシュアイアより高いぞ?なんで最果てより高いんだよ。
そうか。T君みたいに、パタゴニアハイライトのここだけくるって観光客も多いんだな。だからここまでの強気な設定。舐め腐ってやがるぜ!
次の街、エルチャルテンまでのバスは600ペソ+ターミナル使用料10ペソ。これも数年前より上がっているが、ミニトレッキングに比べればかわいいもんだ。移動時間3時間くらいと考えると、これもボッているのだけれど。
そして氷河への往復バスも同じ価格。うん、1/6だからね、文句はないww
帰り道、インフォメーションセンター?の所に結構大型の鳥類を発見。な、なんだコイツラ!?地面を掘って餌調達してるんだろうか。飼われているのか、まったく謎。
こうして街を戻り、スーパーで買い物。
次の街「エルチャルテン」は物価がさらに高い&物もそんなにないらしいので、ここで買いだめ。おいおい、これより高く何のか、狂ってやがる……。
エルカラファテ、街の雰囲気自体はいいんだけどね。
よくわからんモニュメントや公園なんかもあるし、おしゃれなお店多いし。全く利用してないけど。
宿に戻って夕食の用意。オーナーさんの妻子が調理中だったようで、ちょっと絡む。なんか小さい女の子とばっかり絡んでるな、俺。変態おじさんかよ。
言うても肉もワインもあるから妥協しない。米炊いてみたが、やっぱり日本風の米の後だと見劣りするなー食いづらいし。
寛いで食っていたら、周りの椅子がどんどん持っていかれる。どうやらフランス人の集団がパーティ?し始めたようだ。今回の旅、要所要所でフランス人が攻めて来る。ドミもいつの間にかフランス人だらけだったし。
翌朝、7時から朝食が食べられるので、1人モサモサ。他に起きて来る人はいない。カラファテさんも22時過ぎても明るいので、訳わかんないのかね。
ペリト・モレノ行のバスは9時にターミナル発。その前に出ようと思っていたのだが、前日にオーナーさんが「ここの前通からそのタイミングで拾ってくれないか聞いてみるわ」と電話してくれた。ダメだと分かると、悪いと思ったのか「じゃあ車で送ってくよ」と言ってくれていたのだ。何ていい人だ!ちょっと遠くなっちゃったけど、いい宿だな!
8時半にオーナーさんが車で到着。
奥さんと娘さんも乗っている。どうやら、お子さんを送っていくついでに乗っけて行ってくれるようだ。前日も話したが、お子さんがかわいいんだな、これが。
奥さんに「ミニトレッキング高くないっすかね」って言ったら「すごいいいツアーなんだけどね。毎シーズン値段めっちゃ上がってるの」とのお答え。それにしたって1.5倍はやりすぎだろ、って感じだ。
無事ターミナルに着いてお礼を言って降りて行ったわけだが、その後に同じ会社のミニバンが到着していた。何かトランスポート手段があるのかもしれない。窓口で聞けばよかったな。
車で来たので待ち時間はそこそこあったが、ドンドン人が来て埋まっていった。どうやら見に行くだけでOK派もかなりいるようだ。というかあんな無茶な料金設定、早く破綻しろよって感じだ。
バスは定刻過ぎに出発。
途中で街の北部にあるエメラルドのアルヘンティーノ湖も見えていい感じ(遠いけど)。あ、また野ウサギだ!スゲーな、パタゴニア。
うつらうつらとしていたら国立公園入口に着いたようだ。ここで500ペソお支払い。国民や南米民は安くて済むようだ。
マップももらって眺めていたら、隣の席のニュージーランドの女の子・Aちゃんが話しかけてきた。ブエノスアイレスで英語教師をしていて、帰国前に観光に来たらしい。バスの終着まで話し込んで、何となく一緒に見て回る流れになった。ミラクルやんけ!
見学のために対岸に設置されたバルコニーはいくつかのコースがあり、所々にビューポイントが設定されている。ミニトレッキングツアーだと1時間ほどの滞在の様だが、バスのみだとカラファテ9時発~10時半着で、帰りは16時発とかなり時間があるので、いくつものコースを回れる。シャトルバスで短縮もできるが、時間もあるのでブルーのコースを歩いて、氷河にドンドン近づいていくというベーシックな道のりを辿ることにした。
そして見えてくる氷河!まだ一角なのにデカい!
ペリト・モレノ氷河は全長約35km、面積は200km²前後にもなる大氷河で、南米第2位の大きさだ。また2位かよって感じだが、1位はすぐ近くにあるウプサラ氷河なのでセーフ(何がだ)。
豊富な降雪と気温の高さから流れが速く、1日に40~200cm進んでいるとか。
この氷河を含む国立公園は1937年に国立公園に、81年にユネスコの世界遺産に登録された。公園内には47もの氷河が存在しているらしい。
段々見えて来て、こちらのテンションも爆上がりだ。
時折崩落が起きて水しぶきが上がる。遠くからは小さな塊が落ちたな、くらいにしか見えないのだが、時間差で聞こえる音は雷の様。距離もあって実はデカい塊が落ちてるんだな。
全体が見えてきた。高い所は70mはあるので、そら小さくてもm級の塊が落ちてる可能性あるんだな。
曇りなのでイマイチ崩落が少ない気もする。
手前には花も咲いていて、激寒な現状とのちぐはぐさに訳わからんことに。そう、こんなデカい氷の前なので、当然寒い。
ドンドン移動していく間に晴れてきたが、うっかり見えないタイミングで超轟音が聞こえた。どうやらデカいのが落ちたらしい。クッソ悔しいwww
その後も「アレ落ちそうじゃね?」「多分私たちが移動したら落ちるね」みたいな自虐が生まれる程度の状況になってしまった。まぁまるでみられなかったわけじゃないんだけどね、悔しい!
それにしてもデカくてキレイ。近場は迫力があるし、
登れば遠く山の方まで見渡せる。これを1時間で済ますのはもったいない気がするな。
青く見えるのは透明度が高く、可視光線の青のみを反射しているからだとか。可視領域の広い鳥類には別の色で見えていたりするんだろうか。イーグルの目を持つ風切大和さんの感想を聞きたい。
しばらく待っていたが、Aちゃんも疲れてきたようで、ランチ休憩にデカいバルコニーに移動。
そこにいた写真スタッフが、私を見て「ジョニー・デップ!」と言ってきた。ハットとロンゲと髭。要素を拾えばそうかもしれんが、いくら何でも嫌がらせレベルの発言だ。「どこにいるの?」と返したが、彼が去った後にAちゃんがそっと「I wish……」と呟いた。おい!いやわかるけど!
2人いると記念撮影もはかどる。
ほら皆さん、ジョニー・デップですよ。ね?どこが?でしょ?キレたいのはこっちの方だ!!
更に進んでいくと別の側面が見えて来る。こっちは結構反っているな。日も出てきたので「落ちろっ!落ちろっ!」と念を送るが、願いは届かず。
目に見えて疲労したAちゃんからの提案で引き上げる。一人なら時間いっぱいまで粘ったろうが、他人と行動するというのはこういうことだ。つーか他の人と観光したのって、ツアー除いたらいつ以来だ?思い出せないレベルだぞ、おい。
80周年モニュメントと。なんだかんだ、この青いとこ全部氷ってのがすごい。
その後シャトルバス待っている間も崩落の音は聞こえなかったから、この日は不作だったのだろう。致し方なし。
全体的に満足できる1日だった。氷河トレッキングは一生に一度かもしれないが、ニュージーランドガールとのデートもこの先一生ないだろうからなぁ。楽しかった。
バスは定刻で出発したようだ。寝ていたらバスを移るように言われ、寝ぼけて訳が分からないまま小さい方に移ったが、宿の近くでおろしてくれたので、結果的によし!Aちゃんにお別れできなかったけどな。仕方ない。
今日もステーキとワインだ。至って静か。ドミはフランス人でいっぱいになったが、彼らは食堂を利用しなかったようだ。22時過ぎに大挙して出て行ったから、夜の街に繰り出したのかもしれない。お高いものだと思うけど、こちらが寝ていると分かると声を潜め、声が大きくなれば「しーっ」と誰かが注意していたので、基本的には常識もあってイイ奴らなのだろう。早朝に帰って来て寝るときはちょっとうるさかったけどねww
さて、明日はエルチャルテン。パタゴニアのもう一つのハイライト。そして過酷な行脚が待っている。
もしも今回で旅が終わるってんなら、こいつが本当に最後のクライマックスだ……
そして街全体でネットが遅いらしいので、更新は次の街まで持ち越しだろうなぁ。
輝く自然が、我を呼ぶ!
第三百二十九話 モーター・A・ダイアリー / 最果ての生きサマー
出立161~62日目(通算411~12日目) アルゼンチン8~9日目 ウシュアイア1~2日目
早朝に乗り込んだ飛行機は、当然のようにうつらうつらとしていたが、隣に乗った小学校低学年くらいの女の子とそのお母さんが、「出発するから起きて」とか「スナック配られるから起きて」と、親切にしてくれる。ニコニコと話しかけてくれる女の子が特にかわいい。言ってることわかんないけど。
バスだとえらい時間かかるであろう距離も、飛行機なら3時間半とあっという間だ。アルゼンチンの物価の高騰具合のヤバさを考えれば、飛行機を使うのも手だろう。
お、ついに見えてきたぞ!さすがに山々は雪に覆われてますな。
さて、そういうわけでコーラで目を覚ましつつ、目標のウシュアイアへ早朝に到着。
3kmも行かないところにホテルを取ったので、歩いて向かう。件の女の子は最後まで笑顔でお別れをした。
チェックインには時間があったので荷物を預けて取りあえずの充電をし、街へ出てみることにした。ホテルからは地味に距離があるのが難点だ。
おお、山々も見える。これが最南端の景色か。
ウシュアイアは南極圏まで1250kmに位置する、南極に最も近い「世界最南端の都市」である。
1520年に大西洋側を南下していたマゼランが、崖の上に先住民のものと思われる火を見つけ、「ティエラ・デル・フエゴ=火の大地」と名付けた。ウシュアイアのあるこの大きな島は、そこから「フエゴ島」と名付けられている。これが西洋に知られた最初の出来事だ。
その後、19世紀前半には宣教師たちが、後半にはゴールドラッシュに伴って多くの人口が流入した。20世紀前半には流刑地として、多くの囚人たちが送り込まれ、街づくりや鉄道建設作業を行った過去もある様だ。
残り日数少ないし、行かないことも考えたのだが、ブログタイトル的に行かないわけにはいかない。
海抜は低くても南極が目の前なので、当然寒い。ブエノスアイレスは半袖でも暑かったのに。風が強いときなんて最悪だ。
そういう時は渡り鳥達もこんなありさま。意外に近づいても大丈夫。
こちらはセント・クリストファー号。ただの廃船らしいが、モニュメント的に残してるのだとか。利用してるのは鳥くらいのもんだろう。
町中から見える景色がやはり独特。何となく伝わる、最南端感。
しかしこの日は日曜日で、どこもお休みだらけ!くそ!
ちなみにウシュアイアはフリーポートのため、免税店がたくさんあるらしい。だからと言って何か安いのか不明。
と思っていたが、夕飯の買い物に寄ったスーパーは思ったより全然安い。ホテル代に比べて、他の都市くらいの値段に収まっている。これならいける!
宿の近くの写真。晴れてきたが、何となく曇っているほうが最果て感があるなぁ、と勝手なことを思う。
寝不足のため、諸々のツアーは明日に回して、今日は夕飯にしよう。
ということで焼いたステーキとワイン。もうこの国入ってからこればっかだな。でもステーキは今までで一番うまかった!いい部位だったんだろう。
なんせスペイン語だから、どこかいまいちよくわからないのだよ、買うとき。
ホテルの雰囲気が妙に良く、見知らぬ人がライターを貸してくれたり、ワインオープナーを貸してくれたり、調理中に「ボナペティ?」と言ってきたりした。「Yes!」と答えたが、意味わからないから近くのアメリカ人にこそっと聞いたが、それでもよくわからなかった。腹減ってて、食欲がどうとか……もういいや。ともかく、最果ての地では心が温かくなるんだろう。
ちなみに、南極に近いからなのか、全然日が沈まない。22時過ぎても外が明るい。練る頃には一応暗くなったかな、と思ったが、翌朝朝日で目を覚まして時計を見ても4時。時間感覚狂うわ!
朝食は結構充実していた。さて、携帯も充電して街へツアーに行く。前日に午後からのもあることを確認していたので、ゆったりと出発したわけだ。
ここウシュアイアでは、街にそれほどみるものがなく、郊外に国立公園や氷河なんかもある。
当初は国立公園をのんびり散歩するか、と思っていたのだが、最南端の動物を見に行った方がいいだろう、色々と、ということで、ビーグル街道クルーズに予定を変更だ。
港に行けばツアーデスクがいくつもあり、本当に様々なプランがある。
ガラパゴスのリベンジ、今度こそペンギンを見ようと、そのオプショナルツアーを探していた。しかし風が強いため、小さい船は出ないかも&酔ったら嫌なので、お手頃な大型船をチョイス。それでも1,720ペソ。た、高い!しかしガラパゴスのダイビングツアーとかと大体一緒かちょっと安いと考えれば、問題ない。
ペンギンありだと陸路を行って小型船に乗り換える、午前からのツアーもあったので、お好みに合わせて、といったところだろう。
さて、後顧の憂いも断ったところで市内の見たかったものを見に行こう。
「Museo del Fin del Mundo」すなわち「世界の果て博物館」である。もう名前からして行かねばなるまい!
先住民族や発見~今に至る歴史や文化を紹介。
更に鳥類に対するこだわりがすごく、剥製がアホみたいにある。画像は、この後見に行く辺りにいるの。他にもアンデスコンドルとかフクロウとかもいたが、これ本当にこの辺にいるんですかね。
7年前の歩き方では30ペソになっていたが、なんと無料。高騰し続けるパタゴニア地方で、まさかの無償化に衝撃ですわ。ここから「世界最南端スタンプ」を押した手紙を出すこともできるらしい。出す相手いないけどね。じき帰るし。そしてこのスタンプはパスポートにも押してもらえる。何か南米入ってからスタンプブックみたいになってきたな、パスポート。
ちなみにこの博物館、もう1つ建物があって、そこは行政機関の歴史みたいな感じであまり面白くなかった。っていうかスペイン語しかなかった。
道の途中でシティツアーで使うっぽい機関車型バスを発見。
市内には見学できる元監獄もあり、そのモチーフは所々で見かけることがある。だるくていかなかったが。
そして「世界の果て号」という機関車も走っているらしい。当然、お高いものだろう。
セント・クリストファー号の前でお手製サンドイッチのランチ。そうはいってもレストランは高いので、こうなるわけだが、風が激強い。気温はそこまでなのにね!寒いわ!
つっても夏でこれだから、冬は……考えたくないなぁ。
装備に一抹の不安を覚えた私は宿に戻って強化し、再出発。この際にうっかりチケットを置いてきてしまったため、余計な距離を歩いて時間ギリギリ&ヘトヘト。あまつさえ何故か犬に吠えまくられる特典付き。テンション激落ち君なんですけど。
私が到着直後に船は出港。
ビーグル水道はこのフエゴ島と、ナバリノ島、オステ島を隔てる海峡であり、太平洋と大西洋を繋ぐ水路であり、アルゼンチンとチリの国境でもある。チャールズ・ダーウィンの乗っていた船の名を取った様だ。
ここにはいくつも岩礁や小島があり、そこに生息する動物を見に行く、というのが、このツアーの概要だ。
この大型船は売店付きで、大型なので早い。小型をグングン抜いていく。しかし他のツアーでは食べ物飲み物付き(ペンギンは行かない)とかもあったので、悩ましい。時間長かったため、終盤お腹空いてきて、こっちにも付けてくれよ!とか思ったりした。
いかん、愚痴は置いといて、早速海鳥だらけの「Isla de Los Pajaros」が見えてきたぞ!
って思ったよりいるー!!
主に5種の「Cormoranes(ウミウ)」の繁殖地になっているというのだが、どれがどれやら、よくわからないくらい入り乱れている。世界の果て博物館で見た剥製も、これらのもの。ちょっとペンギンぽい奴もいる。
なお、船は1階と2階、それぞれ外に出られるデッキがあるが、人数もそこそこなので頑張らなければ見られない。しかしまぁ、右側と左側、それぞれ寄せてくれるので、「全然見られなかった」ってことはなさそうだ。
そして大きさ的に、どうしても小型船の方が近づけるようだ。こればっかりは仕方ない。
遠くウシュアイアの街が見える。
更にしばらく行くと、今度は「Isla de Los Loos」に。「Lobos」がすなわちアシカ―正確に言うと「オタリア」を表している。
ああ、こんな感じです。
南米大陸にしかいない(&パタゴニアに集中)アシカ科オタリア属オタリアという一属一種の動物で、オス1頭にメス10頭ほどでハーレムを築くらしい。アシカやオットセイと何が違うねんって感じだが。足が正位置なので、歩くの上手。そしてみたらわかると思うが、左のめっちゃデカいのがオス。こいつは確かに「シーライオン」の二つ名が納得できる感じですな。
別の所に別のハーレム。ぱっと見では子どもはわからない。ガラパゴスでアシカは散々見たので懐かしい感じもしたが、別の動物なんだね、わからんけど。
そのすぐ近くには「Faro les Eclaireurs」。太陽エネルギーで発電している灯台で、ウシュアイアのシンボル的にお土産でも使われるモチーフだ。映画「ブエノスアイレス」にも登場したとか。その映画知らん。「世界最南端スタンプ」の絵柄もこれだ。
ここまではビーグル水道クルーズの基本のため近いが、ここからペンギンの生息地は1時間半ほどかかる。偶に外に出つつ、寒いので基本中。寝たりして過ごす。
途中でチリ側の「Puerto Williams」という街が見えて来る。ウシュアイアより南にあるため、厳密にはこちらが最南端なのだが、ともに主張は譲っていないようだ。
そしてついにやって来たペンギン島。期待高まる中、船は岸に…突っ込んだっ!?
そ、そうか、上陸もできるようになってんのね。ちょっと驚いたが、出遅れて横側だった私の位置、実はスゲーいい場所だった様だ。
ペンギンめっちゃ近くで見られる!ツアー申込時「m(メーター)レベルの近さで見られる」と言われていたが、確かにそうだ!
種類的にはマゼランペンギン。体長70cmくらいで、海岸の砂浜に穴を掘り、群れで暮らしているらしい。とにかくよちよちかわいい。
泳ぐ姿も見られる。頭を出している間はアヒル的なゆっくり差だが、潜るとマジで速い。ああ、こいつら鳥だわって感じをガンガン出して、さっと陸に上がった瞬間よちよち。かわいい。考えてみれば、当たり前だが野生のペンギン初めて見たわ。
接近。日が出てきた。昆布齧ったり、こちらに興味津々だったりでもう可愛くて大興奮。うむ、申し込むまでは金額に悩んだが、これは……来てよかったな!
船は無情にも出発。手を振ってお別れする。ありがとう、ペンギン!最終盤に来てここまでテンション上がるとは思わなかったぜ!
帰りは「Isla Gable」の反対側を通っていくのだが、その中で面白い状態の木を発見。
風が強すぎてこうなっちゃったんだろうな。
こうして15時半スタートのツアーは21時半過ぎに港に戻る。こう書くと、ホテルから離れている故、帰るのが心配になるが、前述の通り、曇っていてもまだ明るく、小学生が外で遊んでいたりする。
宿に戻って夕食の準備にかかろうとしたら、キッチンは大渋滞。ううむ、どうもみんな同じ状況の様だが、外明るいから訳わからなくなってるんじゃなかろうか。当然、今日もステーキだ。
さて、明日は再び飛行機で移動。時間ないのと、チリ入ると手続き面倒なのと、バスとホテル合わせたら結局飛行機代くらい行きそうだからである。足元がぐらつくときにはもう、飛べ!飛べ!飛べ!飛べ!
きっと最南端のここ以降は安くなるでしょう!
あの頃の僕は、この後に待ち受ける過酷な運命を、想像すらしていなかった。
輝く自然が、我を呼ぶ!
第三百二十八話 モーター・A・ダイアリー / ブエノス!愛less……
出立158~60日目(通算408~10日目) アルゼンチン5~7日目 ブエノスアイレス1~3日目
隣のおばさんのお尻が明らかに領海侵犯してくるんですが、まるでどこかの木造船みたいですね。
防寒着のおかげで快適に過ごせたが、南米の過剰な冷房は、しかし暑いよりマシという気もするな。
バスは荒涼とした土地と都市部を交互に走り、徐々に都会度が増してくる。
買ってあったクリームパンを食べていたら、スナックと激甘ミルクティーが出た。しっかりしてんだな、このバス。
さて、時刻は11時ごろ。目的のブエノスアイレス市内に入り、景色は一変。バスターミナルへ入っていく。ああ……目の前に貧民街が……
前日の記事で「ケチャップ強盗っていうか強盗のメッカ」と書いたが、多くのブログ記事でそんなことが紹介されている。有名な日本人宿の手前で被害に遭う人も多いそうだ。確かにジュンジさんからも「大荷物持ってる人を襲う強盗があるから気を付けて」というJアラートが発動していた。本家より頼りになるアラートだけに、怖すぎるわけだが、なんでよりによって貧民街の目の前にバスターミナル作っとんねん、頭おかしいのか。
以前旅と恋愛時のドキドキが脳の働き的に同じという話を出したが、今回はかなりやばい美女って感じだ。ルパン先輩は「裏切りは女のアクセサリー、それを許すのが男の器」みたいなこと言ってましたが、冗談じゃない。私は飾らない女性が好きなんだ!
ビビりながらも、いや落ち着け。目の前の地下鉄に乗っちまえばすぐだ!と街へ。ぱっと見危険がなさそうなのが余計に油断を誘う。そして切符売り場らしき所へ。
「1枚!」と元気いっぱいの私に、「いや、そういうのないから」みたいなリアクションの女性。ん?
どうもカードがないといけないらしい。ば、バカな!いや、確かに5~7年前の地球の歩き方情報で来ちまったが!
しかしカードについてもイマイチよく教えてくれないというか、アクリル越しで何言ってるのかわからん!
くそ、強盗にビビりまくって遭わないように考えていたが、こんな落とし穴が(←バカ)。
いつもなら移動方法きちんと調べていたところだが、これは完全にゆったり過ごした弊害だな。
仕方ないのでバスにする。最寄り駅の表示を見つけて乗り込むも、ここもカード式!しかし走り出した後だ……。
ここで親切なおっちゃんがカードを貸してくれた。金額を支払おうとしたら、別にいいという。
なんてこった!ブエノスアイレスっ子(ボルテーニョというらしい)、心優しい!ありがたくご好意を受け入れる。
しかし走り出したバスはドンドン郊外へ。あ、アレ?
乗り込むとき降りるところ言ったらOK的なリアクションしていたよな、という、なんか前の日も似たようなこと言ってなかったか?な展開に。
さすがにまずいから降りようと思ったら、長時間乗っていた私に運転手も気付いたのか、そこから別のに乗れという。おい!
しかしおっちゃんの好意でただ乗りした私に贅沢は言えない。降りた先の近くにあった地下鉄駅で、こうなればどのみちカードを買うしかないと窓口で聞くと、
「今販売してない。システムダウンしてるから」とお姉さん。何……だと?
ほなカードどこで買えますか、と聞いてもわからないという。わからないってなんやねん!お前んとこの商品やろ!
いや、もしかして自分のところ以外で儲けが出るとダメだから言えないとかなのか?
仕方ないのでチャージ中の女の子に聞くと、窓口で一回聞いてくれ、ダメとわかると「外のキオスコで買えますよ」と教えてくれた。いい子や!
外に出てキオスコに向かうと、何か閉まっている所もちらほら。彷徨い続けて13時を回り、ひょっとしてシエスタ時間か?という恐怖が。
何軒か回るうちに、「あそこのスーパーで買える」という有力情報を入手。前に並んでいた大量の品物を買うお客が先を譲ってくれたおかげで、速攻で買えた。うう、ボルテーニョの粋が身に染みる……。
カードは25ペソ、1回分は7.5ペソ。こういうことにならないように、皆はきちんと調べておこうねww
さて、何とか宿周辺に。1軒目はいっぱいで断られたが、2軒目は空いていた。停電中でチェックインはお預け食らったけど。
ちなみにブエノスアイレスは2軒の日本人宿がある。が、流石に日本人成分充分なので、今回は遠慮。まぁ賛否ある宿だというのもあるが、高いしね。
といっても今回の宿も朝食付きとはいえ13ドルするので、やはり高いよブエノスアイレス。
さて、貴重品をロッカーにぶち込み、早速街へ向かおう、15時だけど。
聖母ブエン・アイレの名前が由来とされるこの都市はおよそ4世紀半前に築かれたとされる。ヨーロッパからの移民が、何もない大草原だった場所に、南米のパリと呼ばれるほどの都市を作り上げたのは、望郷の念からだったのだろうか。
名前の由来には諸説あったが、今では冒頭の説が定説とされる。
かつて地中海で航海中の船が、荒ぶる海に投げ込んだ木箱の中に入った聖母像によって窮地を救われたため、船員がこの像をとある丘に祀った。その地の名前を取って「ブエンアイレの聖母」とされ、以来航海の無事を祈る聖母となった。
ブエノスアイレス建築に着手したペドロ・デ・メンドーサもこれを信仰。半年に及ぶ航海が無事に行ったのは彼女のおかげということから、その名がつけられたという。
なお、19世紀まではその大草原に到着したメンドーサの仲間が「いい空気だ!(ブエノス・アイレス!)」といったからという説がまことしやかに語られていたというから、本当に何もない土地だったことが思い知らされる。街の名前なんて、案外適当なもんだ。
そんな南米のパリたるこの土地はとにかく広い。いくつもの地域に分かれ、ガイドブックの揚げる観光地もかなりの数だ。ここはとりあえず、街の中央に行ってみるべきだろう。向かったのは大統領府の前に広がる広場、「Plaza de Mayo(5月広場)」。歴史的にも政治的にも都市の中心たるモンセラート地区にある広場だ。
1536年にペドロ・デ・メンドーサによって築かれたこの都市は、41年にはグアラニー族に襲撃され、廃墟となってしまう。
1580年にスペイン人の手によって再建されたが、支配に耐えられなくなったクリオージョたちが「5月革命」を引き起こしたり、イギリス軍を撃退した際には勝利の広場と呼ばれたり、恐怖政治の中で子供を取り上げられた母親たちが抗議デモをしたりと、歴史的・政治的な出来事に事欠かない。サッカーでの優勝なんかでも騒ぐ場所らしいが、大統領府の目の前ということで政治デモも多く、この日もそんな様子。バリケードがいろいろ多く、奥の大統領府が霞んで見える。
その大統領府は「カサ・ロサーダ(ピンクのおうち)」と呼ばれ、1873~94年に建設されたスペイン・ロココ調の建物で、見学ツアーもある様だが、この日はやっていたか不明。
なお、このピンクの色は19世紀に由緒ある建物の色とされていた様で、牛の血と石灰を混ぜたものらしい。そういえば、アスンシオンの大統領府もこの色だったね。なるほど。
爆竹やカラーの付いた煙もどこかで上がっていたが、なんか派手だな。クライムシティであることを考えると、どうにも長居したくないww
こちらはカビルド。スペイン植民地時代は行政機関、今は市議会として使用されている。
1725年の建設以降修復を繰り返し、現在の姿は1940年のもの。1810年5月25日、ここから独立が宣言されたとか。今では2階が革命博物館になっているらしい。奥も官庁の様だ。
「Catedral Metropolitana」は18世紀中ごろ~1827年に建設されたネオクラシック様式の大聖堂。12本の柱は12使徒を表し、建物右側の炎(見づらいかな)は完成当時から絶えることなく燃えているものとか。バリケードなからばしかと、おぼえしか。
2日目に中に入れたが、こんな感じ。
壁画っつーか天井画もあり、流石は先進国だけあって洗練されたデザインだ。
「Iglesia Santo Domingo」は1773年製。1807年のイギリス軍侵攻の際の戦場になったところで、立てこもった彼らをクリオージョ軍が撃退している。よく見ると左の塔にライフルの弾痕も残っている。
5月広場から少し上ると、ヨーロッパの最新モードも並ぶというフロリダ通り。確かに南米らしからぬオシャレな通りだが、逆に面白くもない。5月広場付近には露天商もおり、至る所に両替商がいる。
ちなみに余ったグアラニーを替えようと翌日聞いてみたら、市場価格の半分で吹っかけてきたので思わず笑ってしまった。ドルも含めて、あまりレートはよくないようだ。っていうか公式レートもサルタより悪いかも。
疲れたので、宿方面へ戻る。
サンテルモ付近にはメルカドもあり、こちらが内部。この辺はアンティーク用品が多く並ぶ地域の様で、メルカドの入り口も他の都市にはない、独特の雰囲気だ。もちろん食堂もあるが、正直安くない。「外食」という考え方でいえば、アルゼンチンではごちそうということになるのだろう。ファストフード店が多く並ぶ日本の方が安く済ませられるかもしれない。
こちらは「Iglesia de San Pedro Telmo」。1734年完成で、植民地時代には病院として使われていたとか。
スマホの電池も切れたのでこれまで。夕食はスーパーで買った食材で炊き込みご飯。アルコール持ち込み禁止っぽいのでソーダ飲料を買ったが、皆持ち込んでるな。ようわからん。
翌日は「ペンション園田、宿泊費間違えてる事件」の解決のため、この街にいるクスコ以来のT君に会うことに。近場の日本人宿『北野旅館』に宿泊中だというので、朝食無しの彼とブランチ出来るところを探して彷徨う。
途中でタンゴの練習に来ているという日本人のおっさんに捕まって時間を食った。太極拳を習うとタンゴに活かせるらしく、丹田に力を集めることについて熱く語っていた。空気読む力とライダーベルトの大切さがよくわかったぜ。
こ、これはすごい!
「Dulce de Leche」といえば中南米を代表するパン用スプレットで、今いる宿の朝食でも出る超フェイバリットな一品だ。要は牛乳と砂糖を煮詰めてキャラメル状にしたものなのだが、これだけで専門店ができるなんて。興奮する私と対照的なTくんはイマイチ何のことかわからなかったようで、「ピーナツバターの専門店みたいなもん」といったら納得してくれた。皆、そういうことだからね!
結局メルカド内のカフェに落ち着く。
Espresso、35ペソ。パンもそれくらいしていた。やはり高いな、この街は。
お互いのこれまでのルートと、今後の情報を交換し合ったが、いやはや気心の知れた相手と話すと時の流れが早く、あっという間に昼になってしまった。
ともかく、これで園田さんへの残りの額を渡すことは頼めた。ありがたい!
園田さんは「まぁ、なんか奢ったと思えば別に」と言ってくれていたが、ねぇ?
さて、イグアスに旅立つ彼に別れを告げ、観光の続きだ。
Tくんも勧めていた場所まで、地下鉄で移動。もう慣れたもんだ。
レコレータ墓地は1882年に解説された、ブエノスアイレス最古の墓地にして、最も由緒のある、墓場の高級住宅街的な墓地だ。
装飾がすごいことになっているので、墓地なのかよくわからんレベルだ。歴代13人の大統領の墓をはじめ、有名人の墓も多い。
一際人の集まるこちらは、『エビータ』ことマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン大統領夫人の墓。不遇な少女時代を経て女優となり、ペロン大統領の婦人になった後も婦人の党を結成するなど、政治活動も積極的だった。その美貌とシンデレラストーリーで人気を博したが、僅か33歳の若さでこの世を去った。
市内にはエビータ博物館があるほか、波乱の人生を演じるミュージカル『エビータ』は今でも人気で、国民の彼女への信愛を感じることができる。Dr.マキ!も彼女の生き様を褒め称えるだろう。
その隣にあるのが「聖母ピラール聖堂」。
1716~32年建設のこちらは軍人病院として使われた時代もあった。1942年に国家歴史モニュメントに指定されており、高い塔はラ・プラタ川を行く船の目印にもなっていたとか。
ここからセントロの方へ下っていく途中にあるここが次の目的地。いや、何がだよ、って感じかもしれないが、ここは世界で2番目に美しい本屋なのだ。
「El Ateno Grand Splendid」は1919年に建てられた劇場を利用したネオクラシカルな本屋。
イタリアの画家が描いた天井画も見どころの一つ。
上から見るとまたすごい。
ステージ上はカフェだが、当然お高いものだ。取り立てて読める本もないのだが、雰囲気は日本の本屋の様で、CDやブルーレイなんかも並んでいた。「僕はジュンク堂とかの方がすごいと思います」と切って捨てたT君だが、まぁ、確かに、写真で見る以上にすごいことはない。
ちなみに「El Ateno」は書店の大手チェーンらしく、フロリダ通りにも別途店があったが、こちらは普通の外見だった。あれを本屋に素養というアイデアは、確かに素晴らしいかもしれない。もと歌舞伎座の本屋……絶対観光客来るな。
更に大通りまで下ると、「Teatro Colon」が見えて来る。
イタリア・ミラノのスカラ座に次ぐ、世界第2位の大きさで、パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場とされている。多いな、世界で2番目。早川さんかよ。
ヨーロッパで公演された演目がひと月もしないうちに上演されるとされた、古き良きアルゼンチン時代の劇場とか。1889~1908年に建設され、こけら落としが行われた5月25日が毎年のシーズン開始日となっている。内部を見学するツアーもある様だ。
なお、他にもいくつも劇場があるあたり、南米のパリっぽいのかもしれない。まぁ何回も呪文のように言ってますけど、パリ行ったことないから本当か嘘かわからないんだよね。適当こいてるかもしれんし。
「おおっとその建物、世界じゃあ2番目だ」と言われ続けてきたブエノスアイレスだが、この7月9日通りは世界一幅が広いとか。名古屋よりもか。スゲーな。
その中央に建つオベリスコはクリスマス的飾りとオリンピック的飾りがあり、多くの人々が記念撮影に興じる。
フロリダ通りにモール的なところがあった。
あーそうか、クリスマスか。
京都駅前の大丸だっけ?忘れたが、あんな感じを彷彿とさせるオシャレな飾り。クリスマス仕様なのかよくわからんが、他も赤と黒で統一した装飾になっていた。これは南米の北の方の国は勝てねぇなぁ……。
この日も5月広場に行ってみたが、相変わらずのデモ。T君が宿にいたおじさんたちに、「しばらくそういう期間になるらしいよー」と言われたというが、なんか損した気分になるな。静かな様子が見たかったぜ……
この日も炊き込みごはん。ビール買って来た。
宿ではピザパーティがあるらしく、100ペソで参加できるらしい。うむ、昨日知っていたら食材調整もしたかもな!ペンション園田みたいな窯があり、そこで焼き上げていて、おいしそうだった。
翌日、チェックアウト。荷物をまとめたが、空港までの交通手段が悩み。実際は翌日の飛行機だが、早朝のために足がない。このクライムシティで暗い時間の移動も嫌だ。いや、まぁ、夜出歩いてるやつも結構いるんだけどね。
いろいろ調べたが、バスターミナルまで出るとなると面倒。仕方がないので、宿でシャトルバスを手配。250ペソ。大手のバスがターミナルから240ペソなので、さほど変わらんだろう。しかし着いてからフライト時間まで12時間くらいあるんだよねー。
これに先立っていい加減グアラニーを両替しようとフロリダ通りへ。
何故か昨日は両替屋がやっていなかったので、土曜日の早いうちなら(12時越えてるけどね)行けるだろうと出掛ける。ウエスタンユニオンさんだけは空いていたので、こちらへ。どうも闇両替は微妙そうだし。
ここで日本人の老夫婦に会う。しょっちゅう旅行しているそうで、今回は南極クルーズに行くそうだ。スゲー高いんだよな、あれ。でもアルゼンチンの物価上昇を考えると、今後も高くなる一方かも。予約もずっと埋まってるらしい。
帰りに5月広場によると、今日は静か。きれいに大統領府も見えたぞ!
宿に戻って遅めの昼食(作っておいたサンドイッチ)を済ませ、バスを待つ。
地球の歩き方だとかなりページを割かれているブエノスアイレスだが、正直そこまで面白いものはないように感じる。
あとは、ウユニ~アタカマ間のバスでペルー人観光ガイドのJさんに勧められていたウルグアイのコロニアという街がある。対岸にあるため、高速フェリーなら1時間で行くことのできる身近な外国で、かなりきれいな街並みだと聞いていた。
しかし往復12,000円くらいとも聞いていたので、かなり躊躇しつつ昨日フェリーチケット売り場に行くも、閉まっている。意味不明に思っていたが、今日の老夫婦が教えてくれた。
どうやら昨日金曜日は「聖母受胎の日」とか何とかいう祝日だったらしく、それで店が軒並み閉まっていたらしい。両替屋もやっていないわけだ!
どうもコロニアには呼ばれていない様なので、諦めたが、興味があればぜひ。ちなみに、ウルグアイはチリやアルゼンチンがかわいく感じるほどの物価らしい。何があるのかもよくわからん上にそんな感じなのかよ、ウルグアイ。
さて、やってきた際にうっかり夕食に造ったサンドイッチを冷蔵庫に置きっぱなしにしてしまった以外は何事もなく出発ww
1時間と掛からずに空港に着いた。ここから12時間待機かー。
ブエノスアイレス、確かに都会だったが、ハイライトを終えた後だとイマイチ精彩に欠いたな。いや、単純にこちらの感動が薄れてきているのだろうか。アジア編が5か月だったことを考えると、私の限度って5か月くらいなのかもしれない。今もう倦怠期の夫婦状態。覚めて分離したカフェオレ状態。そんな余計なことを考える時間が十分にあった。
空港のWi-fiは比較的早く、利用しやすかった。考えてみればバス移動で十数時間とかやってきたので、時間は何となく潰せてしまった。やってみるもんですなぁ。
翌日には「世界最南端の街」とされるウシュアイアだ。宿の値段からしてブエノスの倍はするので、周辺観光地へのアクセスも心配だ!
輝く自然が、我を呼ぶ!