第三百十二話 Pのボレロ / 空に読む物語
出立127日目(通算377日目)ペルー23日目 マチュピチュ2日目
早朝4時半ごろからドミの部屋はガサゴソ。
そう、マチュピチュの午前のチケットは6時~12時。それならばと朝日に合わせて出発する人が多いわけだ。もちろん私もその口だったが、欧米人カップルの方が早かった。彼らも、歩いて登るという。
ということで、マチュピチュ最後の関門は、マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡までの移動である。もちろん、バスもある。しかし、僅かな距離にもかかわらず、片道12ドル(ソルじゃないよ!)という、空中都市のくせに足元見た価格になっているのだ。ちなみに、山頂まで400mの山登りコースが無料となっており、お好きにどうぞーということなのだ。舐めやがって!
そういうわけで、私も5時過ぎに宿を出て、山頂を目指す。
既に空は白み始めているので、思ったほど暗くない。しかし雲に覆われている。朝日は厳しいか?
とか言いながらも足取りは軽い。何といっても、あのマチュピチュだ。言ってしまえば、今回の旅のメイン。心なしか歩調が速くなっていくのも、当然だ!
こんな時間にもかかわらず、既に歩いている人間は多い。何だ、皆同じか!
ちなみに、既にバスも動いているようで、何台か通り過ぎていく。負けねぇぜ!
道は石の階段が整備され、所々バスの道に出る形。つまり曲がりくねる車道を突っ切る形で階段が敷かれているのだ。傾斜もお察しだぞ!
しかし、不屈の闘志がある限り、私は負けない。昨日の道よろしく、ぐんぐん追い抜いていく!理由は言うまでもないね!
アレだな、ペースが違えば抜き去る気満々だけど、いざ道譲られると、直後に休んだら「何だよアイツ、抜いといてもう休むのかよ」みたいに思われそうになって、余計に進まざるを得なくなるよね。
そんなこんなで1時間ほどで無事山頂に到着。ヘッ、楽するための金を俺から巻き上げようなんざ、2万年早いぜ!
他人様のブログで、「山道から村まで2km離れていることもあり、降りるのに1時間半かかりましたー」とか登るのに2時間くらいとか、そういうの見た気がするんだが、アレか、またリア充タイムか。確かに、途中で同じ宿のカップルは追い抜いたけどさ、俺だって女の子と励まし合いながら登りてぇよ、ふざけんな!
まぁ、いいです。奇跡的にオープンとほぼ同時に入れたんで。
既に長蛇の列で、バス組がガンガン到着している。チケットとパスポートを見せて、いよいよIN!
例の、お馴染みのアングルは見張り小屋からのため、まずはそこを目指す。
っておい、また登り階段ですかっ!?まぁ、そうですよね、仕方ないですよね!
こうして辿り着いた私の目の前に広がった光景がこちらだ!
何も見えねぇえええええええええっ!!!!!
さすが空中都市。雲に隠れてやがる。あれか、竜の巣を抜けないとダメなのか?
おまけに雨まで降り出す始末!カッパ持ってるけどね、思いの外強い雨で、ズボンと靴ぐしょぐしょ。うう、せっかく頑張って登ったのに、なんか泣きたくなってきた……
きっと僕が、女の子と登りたいみたいな、邪な、不純なこと言ってたから、インカの神々が怒ったんだ……などと全く根も葉もないネガティブなことを考え出したので、雨がおさまるまで、マチュピチュについておさらいしておこう。
マチュピチュは1450年ごろ、第9代皇帝パチャクティの時代に造られたと言われている。
15世紀前半、インカ帝国はスペインに征服され、都市は悉く破壊された。クスコを逃れたインカ軍はジャングル奥地に秘密基地「ビルカバンバ」を造って抵抗したが、やがて反乱持鎮圧。しかし、最後までビルカバンバが見つかることはなかった。
1911年、「ビルカバンバ」を探した米国歴史学者の「ハイラム・ビンガム」が偶然にもこの都市を発見(先ほど登ってきた山道は、これに肖って「ハイラム・ビンガム・ロード」と呼ばれている。場所違うらしいけど)。マチュピチュは400年の眠りから覚めることになった。
ただ、後の研究からこれはビルカバンバではないことがわかったのだが、いずれにせよ、2400mの高地にあったことでスペイン軍に見つからず、結果的にほぼ無傷の状態で見つかったために考古学価値は高く、今では世界最大の観光地とも言われる存在になったのだ。
そうこうしている内に、神も不憫に思ったのだろう。雨は止み、雲が徐々に除かれて、その全容が見えてきた。
ちょっとワイナピチュ(背後の山)が見えないけど、まぁいいか!
マチュピチュ遺跡は標高2940mのマチュピチュ山(ケチュア語で、「老いた峰」の意味)と2690mのワイナピチュ山(「若い峰」の意味)を結ぶ尾根にまたがる、標高2400mに存在する。周りを切り立った崖と尖った山に囲まれ、足元は密林が広がるため、上空からしか廃を見ることができないために、空中都市の異名を持っているのだ。
ここでジーッとしていても晴れそうにないので、取りあえず遺跡に降りてみよう。
さて、ここに来るまでのマチュピチュの印象といえば、この見張り小屋から見る景色だけだったが、都市がそのまま残っているのだから、これを見ていくことこそ、この観光の真の目的。
それを忘れれば、「いい」自撮りのために立ち入り禁止区域に入った挙句、注意されても少しだからとどかないクソコリアンみたいになってしまう。今回の旅で会ったのがいいコリアンばっかだったので、ああいう行為が自国の品位を下げるということを、彼らにはよく理解してもらいたい。
おっと、怒りのあまり筆が滑ったが、早速都市に降りて行こう。
見張り小屋から傾斜を降りていくと、都市の入り口が見えてくる。ここはマチュピチュの正門で、インカ式の定番だとか。内側から見ると、上に丸いでっぱり、横にも溝が見られる。ここに木の扉があったとされているとか。
ここを入ると、市街地だ。住宅なのか何なのか。おそらく屋根は茅葺きみたいなものだったのだろう。今はないが、三角形の外壁が残っているのが、そのことを想像させる。
下に見えるのが太陽の神殿。遺跡は結構入り組んでおり、意外と一方通行も多いため、うっかりすると見られないものもある。7年前の地球の歩き方の模範ルート通りに動いたら、太陽の神殿は見られなかったので、注意。
まぁ、もう1回は再入場できるので、その時の写真も使って説明していこう。
太陽の神殿は天然石の上に石を積んで作られたものだが、曲線を描く見事な技術力が何と言っても魅力だろう。素材もピンクがかった色で、他とは明らかに違う。
東向きの2つの窓は、お馴染みの冬至と夏至にそれぞれ太陽光が入る仕組みになっており、用途の分からないものが多いマチュピチュの中にあって、確実なことが言える数少ない施設だ。
この下が陵墓とされ、皇族のミイラが安置されていたのでは、と推測されている。
皇帝が神の子とされるインカ帝国においては、そのミイラもまた、黄金同様に価値があったようで、帝国崩壊後に抵抗を続けた最後の皇帝トゥパク・アマルは、スペイン軍に捕らえられた際に黄金像と共に、皇帝のミイラも所持していたという。
太陽の神殿の横には2階建ての王女の宮殿がある。これも定かではないようだが、精巧な造りから、高貴な人物が暮らしていたのだろう、とされている。インカ帝国も日本の将軍家よろしく、何人かの側室を囲っていたようで、王女とは正妻を指すとか。
太陽の神殿の横には、水汲み場もある。遺跡全体に張り巡らされた用水路の一部だ。
これ自体はプレ・インカのものと言われているが、これを網の目の様に張り巡らせたようだ。
この灌漑用水路の整備拡大と水の管理が、インカを大帝国に押し上げたのだ。
ほかにも、サイ・フォンの原理を知っていた様で、技術の高さをうかがわせる。今も水が流れているが、ずっとなのか観光用なのかは不明。
水汲み場を挟んで太陽の神殿の反対側にあるのが、王の別荘だ。
皇帝パチャクティがクスコの寒さを逃れに来たのでは、という推測がある。
地面にある石臼の様なものは、天体観測に用いたのでは、とされている。ここには個室トイレらしきものもあったようだ。
階段を戻って右に進むと、石切り場が。マチュピチュの建設は基本的に地のものを利用していた様だ。
更に進むと広い空間に出る。「La Plaza Sagada」、神聖な広場だ。
ここにはいくつかの施設があり、こちらの3つの窓の神殿が有名だ。
インカ発祥に纏わる伝説の1つに、タンプ・トッコという3つの穴から8人の兄弟姉妹が湧きだし、そのうち1人が初代皇帝であり、クスコでインカ帝国を開いた、というものだ。
この3つの窓の神殿こそ、タンプ・トッコではないか、というわけだ。
北側には主神殿。この辺でTくんと再会し、「インカの建物なのに、珍しく崩れてますねぇ」と指摘して去っていった。た、確かに。鋭い事を言う!
南側には神官の館と呼ばれるものがあるが、これも本当のところはわからない。
ここから更に奥に進むと、インティワタナ(日時計)が。マチュピチュ内の最高点だ。
これが日時計。高さ1.8m、角柱の高さは36cm。角柱の各角が東西南北を指しているというので確認してみたが、どうも本当らしい。ただ、これも確証はないとか。これまでも記述してきたが、インカは太陽暦を採用していたため、遺跡内で最も見晴らしのいいところにあったとしても不思議ではないのだ。
この近くからは崖下が見られる。どうもハイラム・ビンガムさんはこの辺を登って来たらしい。なんか山道シンドかったみたいに思ってましたけど、こっちの方がツラいっすね、さーせん。
遺跡の真ん中のメインの広場にはリャマが。飼われている様で、みんな(特に女子)は一緒に自撮りしようと頑張っている。私ですか?いいです、なんか、威嚇用の唾飛ばされたらいやなんで。
ここから後半戦になるが、雨がまたぱらつく。さみーよ。さすが山の上。
これは聖なる岩。なにがどう聖なる感じなのか、地球の歩き方も教えてくれません。
居住区に入っていく。これは反対側からの写真。
ここら辺が貴族用で、
技術者用で、この後に庶民用が続く。。
地球の歩き方曰く、段々石積みが雑になっていっているとのことだが、そうかなーそういわれればそうかなーくらい。並べて見られるわけじゃないしね。
そして技術者の居住区辺りにあるのがこの『天体観測の石』。そうです、王の別荘にも会ったやつですね。水を張って、月や星の軌道を観測したのではないか、と言われているとか。ね?「いわれている」ばっかでしょ?
この辺りから見上げてみる。左上が最初にいた見張り小屋で、中央ちょっと左上くらいに太陽の神殿。こうして見ると、都市って感じが強まるね。
コンドルの神殿。中央の天然の岩が、羽を広げた鳥のように見えることからそう呼ばれている。インカでは「コンドル」、「ピューマ」、「ヘビ」が象徴的な動物(神)なので、コンドルなんだね。地上と空を結ぶ神=コンドルの形状から、太陽神に捧げものをしたのでは、という説から、こういわれている。
でも、とか言いながら神殿かどうかも定かじゃなく、半地下だから牢獄じゃね?みたいな説もあるとか。まぁ、都市だからね、あっても不思議じゃない。
こちらは貯蔵庫。食料とかですね。山岳地ということで、段々畑で作物を作っていた様だ。
当時300~1000人の人間が生活していたため、そのための作物が造られていた様だ。
ただ、用途はそれだけでなく、場所によって神への捧げものを行う場所であったり、山崩れを防ぐ目的だったりした様だ。
この辺で振り返るとこんな感じ。立体的な構造が見て取れる。右下の崩れてる辺が庶民の住居か。まぁ、確かに、雑だったんだろうなぁ……
さて、これで1周したわけだが、前述の通り、1度だけ再入場できるので、もうちょっといい写真を……ということで入ったわけだ。
ワイナピチュも見えていい感じ!まさに空中都市だ!
都市は左側手前から入って右に抜けていったわけだが、よく見るとこれまで掲載してきた写真の施設が確認できる。こうやって見ると、改めて街なんだなーということや、この「画」だけじゃないということがわかっていただけるだろう。
日本人女子2人がいたので、撮ってもらったぞ!すげーリア充感だ!インスタ女子に絶対勝てるぜ!
よく見ると膝が破れているズボン。耐久限界が来ていたわけだが、ドンドン穴が広がって、右なんか膝からミサイルでも撃ったのかって感じに仕上がっていた。Fight for Justise!
「明日マチュピチュ行くけど、何かしとくことある?」と友人に聞いたら「生贄になって来い」というので、やってみた。
雨が先程まで降っていって、ぬかるんでいたので、「えっ?本当にやるんですか?」みたいな雰囲気で、カメラのアングルにもその困惑っぷりが見て取れる。周りの欧米人も呆れていたぞ!
ここから「太陽の門」なるものが見られるというので、軽い気持ちで出発したら片道1km以上のハードな山道だったでござる。足がね、またやばいね。
こんな感じで、取り立ててどうということはない。が、振り返ってみると
真ん中あたりにマチュピチュが!
前述の通り、マチュピチュは2つの山の尾根に存在しているのだが、それがよくわかるだろう。左がマチュピチュ山、右がワイナピチュ山だ。改めてすごい遺跡だと分かる。
ここで皆パンとかフルーツ食べているので、倣って軽いお昼ご飯だ。マチュピチュ見ながら食べるなんてすごいな。まぁ、ペルー人は遺跡入る前の見張り小屋近辺でも食ってましたけどね。
太陽の門から戻ると、完全に晴れたマチュピチュが!ああ、これは見たことあるヤツだわ!
どうですか、三者三様のマチュピチュ。個人的には雲がかかってる方が空中感あって好きです。
しかし振り返ってみると、完全雲の中~晴れた情景すべて見れたってことは、普通に晴れたのだけ見た人より運がいいのでは?寧ろツイてたのでは?
よっしゃラッキー!!
帰りに出口にあるスタンプをパスポートに押して、マチュピチュツアーは終了だ。押したおばちゃん雑過ぎてかすれているが、まぁそれも思い出よね!
結果的に7時間もいたので、もうマチュピチュはイイかな、という気分になった。
今までは単なる「画」に過ぎない、世界のどこかにあるらしいものだったものが、近づいていく度に自分の世界と繋がっていくー。当たり前だが、これまで行ったところだってそうだったのだ。しかし今回、この何なら世界一浮世離れしたこの空中都市と私が生まれた島国の片隅の都市が、海は隔てているが地続きだと実感できた。
マチュピチュだって、日常の延長にあるものなのだ。うまく言えていないかもしれないが、なんだかすごいことに気付いた気分だ(すげーバカっぽい文章だな
……)。
再び山道を、今度は下っていく。どうなったかは細かく言いませんけど、1時間くらいで下山。さすがに足がガタガタだ。
メルカドで食事。
貝と卵のスープ。これは初めてだったがうまい。……ん?貝だと?
こちらは「Mondonghito itariano」。牛の臓物を野菜と煮込んだ一品で、結構さっぱりしている。ペルー終盤に来て未知の安い飯に出会うとは意外だった。
腹も満ちたので、旅の疲れを癒すために温泉へ。
マチュピチュ村は旧名を「Aguas Calientes」つまり「暖かい水=温泉」といい、これが湧き出ているわけだ。
村から15分ほど歩いていくわけだが、微妙な傾斜の付いた道が地味にキツイ。T君とここでもすれ違った。タオルが茶色くなった、と言っていたので、これまでの南米温泉と同じような感じだろう。
ビジュアルこんな感じで20ソル。
渓谷にあるのが風情を感じさせるが、エントランスからこれまた地味に距離があり、ダメージが蓄積する。貴重品も厳重に管理されるので、ホテルのセキュリティが心もとない私も安心だ。基本的にみんなぬるいが、36℃のところに浸かる。ここにペルー人の青年やメキシカン女性などがいて、彼らと英語とスペイン語交じりに話す。
カナダ人カップルたちが追う翳風の楽しみ方でいちゃつく中、ペルー人と私はどこに入るか迷っているコリアンガールに「こっち来―い。温かいぞー」と念を送っていた。格差社会。
2時間近く経ち、出ようと思ったけど寒すぎて、よく見たらもう少し温度の高い所を見つけて浸かる。ここではペルー人家族とハワイの女性と話す。さすがはテルマエ。心の距離を縮めてくれるのだな。
温泉から出たところにあったモニュメント。件の初代皇帝とマチュピチュだろう。川沿いでこういうのがあると、本当に温泉街感が増す。
3時間くらいしか空いてないが、再びメルカドで、今度はビステックフリット。牛肉を揚げたものだ。まぁうまいね。
最後にここで飲まなきゃどこで飲むんだ、ってことでCusquena。クスコより1ソル高いくらい。疲れた体に染みますなぁ……。
さて、一仕事終えた気になっていたが、明日は復路。まだ気が抜けないぜ……
古代の夢が、我を呼ぶ!