第二百二十五話 バック・トゥ・ザ・J / この星に愛の花束を
出立86~7日目(通算249~250日目) ワルシャワ~ベルリン~アブダビ~日本
っていうか、うっかり一か月寝かしてしまったwww
と言うわけで、いかがだったでしょうか、東欧編。
とか言いつつ、西欧に片足突っ込むし、アイスランド行ってるし。
最初は3か国くらいかなーとか言っていたくせに。ブルガリアでの予期せぬステイがクロックアップさせた感は否めない。
それに、旅先で会った人たちからの「あそこはいい」、「あれに行かないなんてもったいない」なんて話も、やはり大きく影響している。こうやって勝手に変更できるのが、一人長旅の魅力の一つだろう。
そして、やはり、出会った人たちは背景も多種多様であった。
いろんな友達ができたなぁ。
さて、最終の移動は上記の通り。
何故かベルリンからのチケットより安いのは謎だが、トランジット時間も短く、バルセロナの様な強行観光もできない。
空港の土産物は微妙だった。あー、EU圏の免税店って、非EUの人間の方が安く買えるアイテムがあるんだね、酒とか。
アブダビは南アフリカなんだけど、降り立った瞬間の蒸し暑さは半端なく、利用者もアラブ系やらで、一気に雰囲気が変わる。トイレの汚さも。あー、でも旅の始めはこんな感じだったよなー。
思えば、名残惜しい。
成田行きの飛行機では、日本で仕事をしているエジプト人と隣り合った。日本のビザのことやらを聞いたが、やはり厳しいらしい。
ヨーロッパでは難民問題が、シリアの一件で加速したし、労働力という観点からも、日本が今後抱えていく問題だ。国際関係は本当に難しい。
ISや中国の対外進出は勢いを増し、拉致等、多くの問題が未解決である一方、日本に目を向ければ、いわゆる安保縫製の成立など、難しい状況が続く。
どうしても我々は「何が正しいか」という風に考えてしまう。
しかし、そんなものは答えが出るはずがない。何に立脚するかで変わるからだ。
日本は、「科学的に正しい」という基準を求めるが、科学の出す答えは、研究が進めば十分に変わりうるし(事実の積み重ねが理論になるため、事実がそれまでと異なれば、当然理論も変わる)、神の教えが絶対の人間だっているし、である。
そういう人間に「科学的に正しくないから」などということを言っても、それはあくまで単なる一つの見方に過ぎず、言ってしまえば「科学教」の信者であるにすぎない。
もっといえば、「無宗教」の日本は(厳密にはそんなことないが)共通の信仰対象がいないわけで、「自分の信じるものを~」という、言ってしまえば「私教徒」だらけの国なのだ。
おっと、ちょっと脱線したな。
ひとつ、言えることがあるとすれば、他人の話に耳を傾ける姿勢を、失わないことだろう。それは相手を論破するためのものではない。正しさは相対的で、正義のためならどこまでも残酷になれるのが人間だ。それではいつまでも平和にはならない。
銃を向け合うやり方では無理だろう。いつか、それを置かなければいけない日が来る。
だから、たとえ、相手が自分の考えに反する主義主張を持つものであっても、その意見をきちんと聞き、尊重し、反論があるならば自分はこう考えるときちんと伝える。
すごく難しいが、身近なところでそれをできるようになることが、第一歩なんじゃないだろうか。
理想論に過ぎない、と言われるかもしれないが、だからこそ、現実にしたいじゃないの。本当はきれいごとが一番いいんだからさ。
おっと、五代くんの言葉パクっちまった。
パクリついでにもう一つ、やはり最後はウルトラマンエースの言葉で締めるのがいいだろう。
優しさを失わないでほしい。
弱い者をいたわり、互いに助け合い、
どこの国の人たちとも、友達になろうとする心を、失わないでほしい。
たとえその気持ちが、何百回裏切られようと。
ついでに帰国後に完成させたオリジナルヒーロー(風神+忍者)「疾風怒濤忍者シュトルウム」のスターチューを添えて。
では、また。