第百九話 Iが止まらない / 邂逅、ダライ・ラマ①
出立119日目 インド34日目 ダラムサラ6日目
さて諸君、いよいよである。
先日も記載した通り、ダラムサラはチベット亡命政府が置かれた地である。
それが見たくて今回やって来たわけだが、この時期を選んだのは、「ダライ・ラマ14世」を直接見る機会があるからである。
今日がその初日であるわけだ。
早朝、起きてパンをつまむ。
お馴染み、Lung-Taで昨日購入した、サワーブレッド30R。直径20cmくらいだから、かなりお得な一品だ。
これをSちゃん、Tくんにもおすそ分け。
いざ、7時半ごろ、「ダライ・ラマ テンプル」へ向かう。
チベタンと外国人で入り口は異なり、念入りなボディチェックと手荷物検査。カメラ、携帯類の持ち込みはできない。昔はもっと緩かったらしいのだが……。
すでにK女史が入り口近くで張っており、そこへ加わる。
チベタンがほとんどだが、欧米人観光客も幾人か散見できる。
楽団などの準備が整い、ついに入場!ゲッ!テレビで見たことある!!!
一瞬鳥肌が立ったが、やはりオーラの様なものか。「覇気」的なものかもしれないが、本人は至って気さくで、近くの人たちと握手なんかしながら道を歩いていく。
姿が見えなくなったところで、K女史、素早く移動。とりあえずチェイス!
次のポイントでも無事ご尊顔を拝見。さすが、動線を完全に理解している……。恐るべし、K女史。
本日はダライ・ラマの長寿を祈る的な、イベント要素が高いもので、当然、いい席はチベット僧たちが確保。探し回ったが、広いホールの様な所で、日本人M君と腰を下ろすことにした。
既に15カ月の旅中で、K女史とブッダガヤで会っていた、私とすれ違いだった人だ。
ホールにはスピーカーのみで、お経の様なものが聞こえたり、途絶えたりという何ともどうしたもんか、という状況。
そこに、平べったいパンとカップが配られ、乳白色の液体が注がれる。
チベタンも欧米人も積極的に受け取る。欧米人はこういう時、迷いがなくていいよな。
運よくこちらにも回ってきた。パンは卵が使われていないのだろうか。かなり素朴な味で、まぁ、「うまい」とはいえない。
液体は一口含むと、塩気と濃厚な香りが広がった。これは……「バター茶」だ。
お茶としての風味もクソもあったもんではないが、うまいっちゃあうまい。
M君の言葉で、そういえば中国は雲南省、香格里拉とかでお土産で売っていたなぁ。
意味不明すぎて買わなかったが、M君曰く、「一度飲めば十分です」とのこと。
こっちの方がうまいらしいので、当たりはずれがあるのだろう。
少しずつ帰りだす人が出始めたので、当然欧米人たちなわけだが、一度モニターのある付近まで行ってみよう、と移動。なんとか座れそうな場所を見つける。
どうやら代わる代わるお経唱えつつ、お祝い?を述べて謁見しているようだ、偉い人たち?が。
ちなみに、数日前に撮影した堂内。
この仏像の前に、ダライラマは座っていた(多分……)。さながら、エア撮影www
何しているか見れただけでも儲けもんである。
とか思っていたら、今度は坊さんたちがお菓子をばらまき始めた。
おそらく、お布施的に集まったものを放出しているのだろう。さすがに外国人がもらうのは違うだろう、と暗黙の内にM君と同意してスルーしていたのだが、近くの老僧が、箱を手に配る僧に「コイツらにもやってくれ」と2度ほど指示。
ありがたく受け取った。と思ったら、老僧。自分のところに来たものも渡してくれる。
えっ、いや、なんか、そんなことしてもらっちゃ悪いです。そこまで信仰厚くないんで、ほんと!
と、そこでダライ・ラマが話し始める。
当然、何言ってるかはわからんが、だからこそ真摯に受け止めねば、と思い、手を合わせて目を閉じて聞いていた。すると老僧がまたお菓子を投げて寄越した。
すんません!!なんか本当、そこまでしていただくとか、本当すんません!!!!
お布施の心であるのだが、いや本当、なんか逆にもらいすぎだよ、外国人の癖に!
チベット政府の亡命先の候補に、当時日本が上がっていた。
仏教国であるし、民主国家であった点も理由であろう。しかし、中国との関係を考慮し、それはかなわなかった。仮に日本に亡命となっていれば、外国人入植の難しさもあるし、ここまで賑わうことはなかったかもしれない。
しかし、それ以降も日本の支援は結構続いていたらしく、その出先機関がLung-Taに当たるわけだ。
そういえば、北京オリンピックの頃もチベット問題があったわけだが、わが故郷・長野県善光寺は、聖火リレーの県内スタート地点を、抗議のために辞退していた。今もつながりがあるのだろう。
そして、かの東日本大震災の折。ダラムサラでも募金が行われたらしい。
経済規模がはるかに小さいこの街で、僧侶だけでなく、露天商等、今日の生活を必死に為そうとするチベタンまで、募金をしてくれた、と。
我々は未だ、このチベットの現状を多くは知らない。「Free Tibet!」と取りざたされながらも、その本質までも考えることはなかった。そんな多くが理解していない日本人に対して、彼らは手を差し伸べてくれた。これは額の大きさで測るものではない。
もっとチベットについて学ばねばならないだろう。
顔を上げれば、人々が真剣にダライ・ラマの話を聞いている。手を合わせている人たちも多くいる。
彼は時折冗談を交えるのか、楽しそうに笑いながら話し、それをチベタンたちも笑って聞く。決して権威を振りかざすわけではない。偉大でありながら、身近な存在なのだ。
ダライ・ラマの話しが終わると、場は解散となった。押し合いへし合いで出口へ向かうが、いわゆるインド人的な、俺が先だという移動ではない、あくまで、冷静である。さすが仏教徒&チベタン。何てきちんとした人たちだ。下界に帰るのがクソ恐い。。。
明日のための場所取りをK女史らと協力して行うため、待機。固定用のテープを持った人を待っていたわけだが、結局2時間ちょっと待つことになり、大人げない対応をしてしまったwww
まったく、仏果を得てねぇな、んとに!
そのままの流れで、ルンタへ。
ここのカレーはインド式ではない、ということで。うん、確かに日本のカレーだ。素晴らしい。
K女史がお誕生日とのことで、ケーキでお祝いが行われた。インドの山奥で、日本人に囲まれて、他人様の誕生日を祝うことになるとは。出発前には全く想定できなかった事態だな。
明日の「ティーチング」を前にして、多く日本人たちがLung-Taにやってくる。さすが最前線である。
このままだと日本人酔いしそうなので、店を出て、夕食は1人で「TIBETAN KICHEN」へ。
ベジモモ、80R。
野菜とチーズが入ったモモ。肉汁は溢れ出さないわけだが、チーズのとろとろと濃厚さが野菜とベストマッチ!これを唐辛子ソースと一緒に食うと、チーズのしつこさが減って更によし。
最近、飯と一人で向き合っていなかったからな。こういう時間も大事。
明日は直接法話を聞けるので、早めに寝るのであった。
スニッカーズ、うまいね。