第三百三十六話 Cの戦い / 聖にまつわるエトセトラ
出立174~5日目(通算424~5日目) チリ4~5日目 サンティアゴ2日目~バルパライソ1日目
そんな訳でダニにやられた私ですが、F君は常在菌が悪さをする皮膚の病気を発症していた。なんでも衛生状況の悪い所にいて、脂の摂取が多いと成りやすいのだという。
「アフリカの生活のせいですね。現地人みたいな飯も食ってたし」とのことで、後天的に発症しても一生ものらしい。うーむ、インドで2カ月くらい過ごして帰ったアジア編、結構な人から「カレー臭がする(スパイスの方)」と言われたもんだが、心理的には対応していても、体の方もそうとは限らない。まだまだ学ぶことがあるなぁ。
さて、微妙な朝食を終え、荷物をまとめてチェックアウト。ダニのことを伝えると、何かを探し出した。
出てきたのはきちんと検査しました証みたいなもの。いや、そういうことじゃない。現にやられたという事象の前では、君らが検査をしたということが証明できても、いないことの証明にはならないことぐらいわからんのか。
まぁ別に金返せとかってんじゃなく、次の人のために掃除してくれってことなんだけど、どうも責任追及を恐れるあまり本質を見失っている気がする。チリも訴訟大国なんだろうか。
さて、出来ていなかった市内観光をしておこう。
1541年、黄金を求めてやって来たスペイン人ペドロ・デ・バルディアによって街の基礎が築かれた。この侵略者とその子孫と、先住民アラウカノ族は激しい戦いを繰り広げ、街には城塞跡など、その痕跡を見ることもできるという。
プレインカ周りの展示物など、多くの博物館・美術館が集まる「博物館の街」としても有名。
こんな感じでたくさんある。
街は大変大きいが、見たいものは旧市街に固まっていたので、午前中で見て回れるだろう。
「Palace de la Moneda」造幣局として1784年に着工し、1805年に完成。イタリア人の手によるものだという。1846年からは大統領府として使用されている。
この宮殿が良く知られるようになったのはチリの911と言われるクーデターだ。1970年、サルバドール・アジェンデが南米初の選挙による社会主義政権を樹立させるも、3年後の9月11日に軍部がクーデターを起こす。ここは最後の拠点となっていたが、炎上しており、現在は修復された姿だとか。映画にもなっている様だ。
ここからメインの通りに向かう。
何だかオシャレな通り。球状のベンチも面白い。
メイン通り。多くの商店が並び、実に近代的。この辺の両替場も結構レートがいい。
Plaza de Armas(おお、久しぶりの名前!)には中央郵便局や国立歴史博物館などが並ぶ。
そしてカテドラル。1558年に建てられた、チリ・カトリックの総本山である。
内部には多くの宗教画や、ザビエルの木像なんかもあるという。そう、あのフランシスコザビエル。ま、見てないけどね。
軍事独裁体制の元、反軍政市民の穏健派は宗教の集まりと称して、ここで打倒策を話し合っていたという政治的な場所でもある。
市庁舎の前には巨大なクリスマスツリーが。やはりカトリック国。日本のファッションクリスマスとは違い、足元に聖人たちの像がある。きっと今年はイブが日曜日だし、盛り上がるんだろうなぁ。
北上したところにあるメルカド。観光客にも開かれたところ。昨日のうっ憤を晴らすべく入ってみた。
中には当然魚や貝が溢れている。
7年前の地球の歩き方では、「ウニ!ウニ!」と声をかけられるとあったが、そんなことはなく、っていうか並んですらいないえーっ!期待してたのに!
やっぱり海沿いの街まで出ないとダメか、という思いと、本当に日本人の旅行者減ってるんだろうなぁという、これまで言われてきたことを振り返った。
総本山があるくらいなので、教会はすごく多い。
これは「Iglesia de San Francisco」。1572年から46年かけて作られたこちらは、増築と修理を行なって19世紀に今の姿になった。雰囲気が他の教会とは異なるのが一目でわかる。
中央祭壇のソコーロの聖母は最初の支配者ペドロ・デ・バルディビアが携えてきたものだという。ここも博物館になっている箇所があるが、まぁ、見ないですよね。
けたたましい音が聞こえてきたら、楽隊だ。サンタ衣装の奴がバスの扉から身を乗り出して、クラクション鳴らして走っている光景もあり、クリスマス感をガンガン出していた。いや、合ってるのか、それは?
最後に少し手持ちのドルを両替してホテルで荷物をピックアップ。次の目的地バルパライソへ向かう。
バスターミナルで往復分購入。7,600ペソ。CONDORというところで購入。探せば他にも安い所あるかも。行きと帰りとか時間帯でかなり金額が違うようなので、確認されたし。
13:26発で、15時くらいには到着。あっという間だ。
ここからホテルまでは2.5kmくらいなので歩く。坂道なので後半ちょっとしんどかったが、暑さは体感でサンティアゴより和らいだ気がする。海沿いだからだろうか。
さて、既に土曜日の16時なので、やっているかわからないが、メルカドを目指す。
しかし7年前の情報。既に廃墟!しまった!
何とか新しい場所を検索成功するが、反対側、バスターミナルの前。ええ……
まあいいや、ちょっと観光しながら向かう。
バルパライソは海に面したサンティアゴに次ぐ大都市。サンティアゴを築いたペドロさんが、玄関口として1544年に建設。1991年には国会がこの街に移っているとか。
名前は「天国の谷」を表しているとかで、雰囲気のある街並みは世界遺産に登録されている。
プラット埠頭。多くのコンテナ船が発着する、玄関口を象徴する港。
軍港が近くにあり、軍施設関係を撮影すると、媒体を取り上げられるというが、あんまりにも広く展開しているため、ちょっと撮ったら写っちゃう。写っちゃってるよね。幸い取られなかったけど。
その手前にマヨール広場。
奥に見えるのは海軍総司令部。ワンピースなら赤だの黄色だのがいるところですな。
メルカドにも開いてるうちに着いたが、魚介が売っている気配がない。どこか別の所で売っているのだろうか。
仕方なくスーパーへ。
魚介の無さに絶望しつつ名残で白ワインを購入。
そういえばとワイン売り場を撮影。こんな感じで、スーパーでも品種ごとにコーナー訳があるんだからすごい。アルゼンチンも似たような感じだ。
坂の多い街ということで、宿の近くで撮影。教会ももちろんある。
ここでSちゃんとAちゃんに会う。
実はここに来るにあたって、彼女たちの後押しがあった。
テイスターズでボデガ巡りをしている間にJ君が二人をバリローチェに誘っていた話をしたと思うが、「そういえば君は……」と聞かれたのだ。
「いや、イブに飛行機で移動するけど……」といったところ、「ありえない!」となったのだ。いや、有り得ないとか言われても、有り得ないから安かったんだろうが、「そんなの悲しすぎる!」という反応なのだ。
「じゃあいつプレゼント開けるの?」いや、それ誰がくれるんですかね。
これで分かった。欧米人にとって、クリスマスは相当に特別なようで、J君も6本のワインを買って移動していたが、すいません、クリぼっちだった皆さん、もう過ぎてるからいいですかね。ぶっちゃけ来年の私もアレなんですが、あくまで欧米人の意見ですからね。そういうわけで、「それなら私たち居るから来なよ!」みたいに言われていたのだ。
まぁ、同じホテル取れなかったし、彼女らも疲れてたんでその場で遠慮してお別れしたんですが、前日とはいえ何となく一人じゃなくてよかった。
失意のうちに宿に戻った私は、取りあえず白米だけ炊いて(翌日飛行機だからね)ふりかけご飯とポテチで済ます始末。ウニあると思って残しておいた醤油が悲しい。
さて、とか言いつつこの日も見たものがあるが、それは次の記事に譲ろう。バルパライソの真の実力はここからだ!
聖なる日々が、我を呼ぶ!