新劇場版 世界の果てまで行って:破

新劇場版 世界の果てまで行って:破(仮)

このブログは、特撮オタクの私が、5年半努めて勤めた会社をやめて、ユーラシア大陸をめぐる物語である。〈背景のモデルはフルスクラッチです:自慢〉

第三百二十八話 モーター・A・ダイアリー / ブエノス!愛less……

出立158~60日目(通算408~10日目) アルゼンチン5~7日目 ブエノスアイレス1~3日目

 

 

隣のおばさんのお尻が明らかに領海侵犯してくるんですが、まるでどこかの木造船みたいですね。

 

防寒着のおかげで快適に過ごせたが、南米の過剰な冷房は、しかし暑いよりマシという気もするな。

バスは荒涼とした土地と都市部を交互に走り、徐々に都会度が増してくる。

買ってあったクリームパンを食べていたら、スナックと激甘ミルクティーが出た。しっかりしてんだな、このバス。

 

さて、時刻は11時ごろ。目的のブエノスアイレス市内に入り、景色は一変。バスターミナルへ入っていく。ああ……目の前に貧民街が……

 

前日の記事で「ケチャップ強盗っていうか強盗のメッカ」と書いたが、多くのブログ記事でそんなことが紹介されている。有名な日本人宿の手前で被害に遭う人も多いそうだ。確かにジュンジさんからも「大荷物持ってる人を襲う強盗があるから気を付けて」というJアラートが発動していた。本家より頼りになるアラートだけに、怖すぎるわけだが、なんでよりによって貧民街の目の前にバスターミナル作っとんねん、頭おかしいのか。

 

以前旅と恋愛時のドキドキが脳の働き的に同じという話を出したが、今回はかなりやばい美女って感じだ。ルパン先輩は「裏切りは女のアクセサリー、それを許すのが男の器」みたいなこと言ってましたが、冗談じゃない。私は飾らない女性が好きなんだ!

 

ビビりながらも、いや落ち着け。目の前の地下鉄に乗っちまえばすぐだ!と街へ。ぱっと見危険がなさそうなのが余計に油断を誘う。そして切符売り場らしき所へ。

「1枚!」と元気いっぱいの私に、「いや、そういうのないから」みたいなリアクションの女性。ん?

どうもカードがないといけないらしい。ば、バカな!いや、確かに5~7年前の地球の歩き方情報で来ちまったが!

 

しかしカードについてもイマイチよく教えてくれないというか、アクリル越しで何言ってるのかわからん!

くそ、強盗にビビりまくって遭わないように考えていたが、こんな落とし穴が(←バカ)。

いつもなら移動方法きちんと調べていたところだが、これは完全にゆったり過ごした弊害だな。

 

仕方ないのでバスにする。最寄り駅の表示を見つけて乗り込むも、ここもカード式!しかし走り出した後だ……。

ここで親切なおっちゃんがカードを貸してくれた。金額を支払おうとしたら、別にいいという。

なんてこった!ブエノスアイレスっ子(ボルテーニョというらしい)、心優しい!ありがたくご好意を受け入れる。

 

しかし走り出したバスはドンドン郊外へ。あ、アレ?

乗り込むとき降りるところ言ったらOK的なリアクションしていたよな、という、なんか前の日も似たようなこと言ってなかったか?な展開に。

さすがにまずいから降りようと思ったら、長時間乗っていた私に運転手も気付いたのか、そこから別のに乗れという。おい!

しかしおっちゃんの好意でただ乗りした私に贅沢は言えない。降りた先の近くにあった地下鉄駅で、こうなればどのみちカードを買うしかないと窓口で聞くと、

「今販売してない。システムダウンしてるから」とお姉さん。何……だと?

ほなカードどこで買えますか、と聞いてもわからないという。わからないってなんやねん!お前んとこの商品やろ!

いや、もしかして自分のところ以外で儲けが出るとダメだから言えないとかなのか?

仕方ないのでチャージ中の女の子に聞くと、窓口で一回聞いてくれ、ダメとわかると「外のキオスコで買えますよ」と教えてくれた。いい子や!

 

外に出てキオスコに向かうと、何か閉まっている所もちらほら。彷徨い続けて13時を回り、ひょっとしてシエスタ時間か?という恐怖が。

何軒か回るうちに、「あそこのスーパーで買える」という有力情報を入手。前に並んでいた大量の品物を買うお客が先を譲ってくれたおかげで、速攻で買えた。うう、ボルテーニョの粋が身に染みる……。

 

カードは25ペソ、1回分は7.5ペソ。こういうことにならないように、皆はきちんと調べておこうねww

 

さて、何とか宿周辺に。1軒目はいっぱいで断られたが、2軒目は空いていた。停電中でチェックインはお預け食らったけど。

 

ちなみにブエノスアイレスは2軒の日本人宿がある。が、流石に日本人成分充分なので、今回は遠慮。まぁ賛否ある宿だというのもあるが、高いしね。

といっても今回の宿も朝食付きとはいえ13ドルするので、やはり高いよブエノスアイレス

 

さて、貴重品をロッカーにぶち込み、早速街へ向かおう、15時だけど。

 

 

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聖母ブエン・アイレの名前が由来とされるこの都市はおよそ4世紀半前に築かれたとされる。ヨーロッパからの移民が、何もない大草原だった場所に、南米のパリと呼ばれるほどの都市を作り上げたのは、望郷の念からだったのだろうか。

名前の由来には諸説あったが、今では冒頭の説が定説とされる。

かつて地中海で航海中の船が、荒ぶる海に投げ込んだ木箱の中に入った聖母像によって窮地を救われたため、船員がこの像をとある丘に祀った。その地の名前を取って「ブエンアイレの聖母」とされ、以来航海の無事を祈る聖母となった。

ブエノスアイレス建築に着手したペドロ・デ・メンドーサもこれを信仰。半年に及ぶ航海が無事に行ったのは彼女のおかげということから、その名がつけられたという。

 

なお、19世紀まではその大草原に到着したメンドーサの仲間が「いい空気だ!(ブエノス・アイレス!)」といったからという説がまことしやかに語られていたというから、本当に何もない土地だったことが思い知らされる。街の名前なんて、案外適当なもんだ。

 

そんな南米のパリたるこの土地はとにかく広い。いくつもの地域に分かれ、ガイドブックの揚げる観光地もかなりの数だ。ここはとりあえず、街の中央に行ってみるべきだろう。f:id:haruki0091:20171211070249j:plain向かったのは大統領府の前に広がる広場、「Plaza de Mayo(5月広場)」。歴史的にも政治的にも都市の中心たるモンセラート地区にある広場だ。

 

1536年にペドロ・デ・メンドーサによって築かれたこの都市は、41年にはグアラニー族に襲撃され、廃墟となってしまう。

1580年にスペイン人の手によって再建されたが、支配に耐えられなくなったクリオージョたちが「5月革命」を引き起こしたり、イギリス軍を撃退した際には勝利の広場と呼ばれたり、恐怖政治の中で子供を取り上げられた母親たちが抗議デモをしたりと、歴史的・政治的な出来事に事欠かない。サッカーでの優勝なんかでも騒ぐ場所らしいが、大統領府の目の前ということで政治デモも多く、この日もそんな様子。バリケードがいろいろ多く、奥の大統領府が霞んで見える。

その大統領府は「カサ・ロサーダ(ピンクのおうち)」と呼ばれ、1873~94年に建設されたスペイン・ロココ調の建物で、見学ツアーもある様だが、この日はやっていたか不明。

なお、このピンクの色は19世紀に由緒ある建物の色とされていた様で、牛の血と石灰を混ぜたものらしい。そういえば、アスンシオンの大統領府もこの色だったね。なるほど。

 

爆竹やカラーの付いた煙もどこかで上がっていたが、なんか派手だな。クライムシティであることを考えると、どうにも長居したくないww

 

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こちらはカビルド。スペイン植民地時代は行政機関、今は市議会として使用されている。

1725年の建設以降修復を繰り返し、現在の姿は1940年のもの。1810年5月25日、ここから独立が宣言されたとか。今では2階が革命博物館になっているらしい。奥も官庁の様だ。

 

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「Catedral Metropolitana」は18世紀中ごろ~1827年に建設されたネオクラシック様式の大聖堂。12本の柱は12使徒を表し、建物右側の炎(見づらいかな)は完成当時から絶えることなく燃えているものとか。バリケードなからばしかと、おぼえしか。

 

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2日目に中に入れたが、こんな感じ。

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壁画っつーか天井画もあり、流石は先進国だけあって洗練されたデザインだ。

 

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「Iglesia Santo Domingo」は1773年製。1807年のイギリス軍侵攻の際の戦場になったところで、立てこもった彼らをクリオージョ軍が撃退している。よく見ると左の塔にライフルの弾痕も残っている。

 

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5月広場から少し上ると、ヨーロッパの最新モードも並ぶというフロリダ通り。確かに南米らしからぬオシャレな通りだが、逆に面白くもない。5月広場付近には露天商もおり、至る所に両替商がいる。

ちなみに余ったグアラニーを替えようと翌日聞いてみたら、市場価格の半分で吹っかけてきたので思わず笑ってしまった。ドルも含めて、あまりレートはよくないようだ。っていうか公式レートもサルタより悪いかも。

 

疲れたので、宿方面へ戻る。

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サンテルモ付近にはメルカドもあり、こちらが内部。この辺はアンティーク用品が多く並ぶ地域の様で、メルカドの入り口も他の都市にはない、独特の雰囲気だ。もちろん食堂もあるが、正直安くない。「外食」という考え方でいえば、アルゼンチンではごちそうということになるのだろう。ファストフード店が多く並ぶ日本の方が安く済ませられるかもしれない。

 

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こちらは「Iglesia de San Pedro Telmo」。1734年完成で、植民地時代には病院として使われていたとか。

 

スマホの電池も切れたのでこれまで。夕食はスーパーで買った食材で炊き込みご飯。アルコール持ち込み禁止っぽいのでソーダ飲料を買ったが、皆持ち込んでるな。ようわからん。

 

翌日は「ペンション園田、宿泊費間違えてる事件」の解決のため、この街にいるクスコ以来のT君に会うことに。近場の日本人宿『北野旅館』に宿泊中だというので、朝食無しの彼とブランチ出来るところを探して彷徨う。

途中でタンゴの練習に来ているという日本人のおっさんに捕まって時間を食った。太極拳を習うとタンゴに活かせるらしく、丹田に力を集めることについて熱く語っていた。空気読む力とライダーベルトの大切さがよくわかったぜ。

 

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こ、これはすごい!

「Dulce de Leche」といえば中南米を代表するパン用スプレットで、今いる宿の朝食でも出る超フェイバリットな一品だ。要は牛乳と砂糖を煮詰めてキャラメル状にしたものなのだが、これだけで専門店ができるなんて。興奮する私と対照的なTくんはイマイチ何のことかわからなかったようで、「ピーナツバターの専門店みたいなもん」といったら納得してくれた。皆、そういうことだからね!

 

結局メルカド内のカフェに落ち着く。

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Espresso、35ペソ。パンもそれくらいしていた。やはり高いな、この街は。

お互いのこれまでのルートと、今後の情報を交換し合ったが、いやはや気心の知れた相手と話すと時の流れが早く、あっという間に昼になってしまった。

 

ともかく、これで園田さんへの残りの額を渡すことは頼めた。ありがたい!

園田さんは「まぁ、なんか奢ったと思えば別に」と言ってくれていたが、ねぇ?

 

さて、イグアスに旅立つ彼に別れを告げ、観光の続きだ。

Tくんも勧めていた場所まで、地下鉄で移動。もう慣れたもんだ。

 

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レコレータ墓地は1882年に解説された、ブエノスアイレス最古の墓地にして、最も由緒のある、墓場の高級住宅街的な墓地だ。

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装飾がすごいことになっているので、墓地なのかよくわからんレベルだ。歴代13人の大統領の墓をはじめ、有名人の墓も多い。

 

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一際人の集まるこちらは、『エビータ』ことマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン大統領夫人の墓。不遇な少女時代を経て女優となり、ペロン大統領の婦人になった後も婦人の党を結成するなど、政治活動も積極的だった。その美貌とシンデレラストーリーで人気を博したが、僅か33歳の若さでこの世を去った。

市内にはエビータ博物館があるほか、波乱の人生を演じるミュージカル『エビータ』は今でも人気で、国民の彼女への信愛を感じることができる。Dr.マキ!も彼女の生き様を褒め称えるだろう。

 

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その隣にあるのが「聖母ピラール聖堂」。

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1716~32年建設のこちらは軍人病院として使われた時代もあった。1942年に国家歴史モニュメントに指定されており、高い塔はラ・プラタ川を行く船の目印にもなっていたとか。

 

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ここからセントロの方へ下っていく途中にあるここが次の目的地。いや、何がだよ、って感じかもしれないが、ここは世界で2番目に美しい本屋なのだ。

 

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「El Ateno Grand Splendid」は1919年に建てられた劇場を利用したネオクラシカルな本屋。

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イタリアの画家が描いた天井画も見どころの一つ。

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上から見るとまたすごい。

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ステージ上はカフェだが、当然お高いものだ。取り立てて読める本もないのだが、雰囲気は日本の本屋の様で、CDやブルーレイなんかも並んでいた。「僕はジュンク堂とかの方がすごいと思います」と切って捨てたT君だが、まぁ、確かに、写真で見る以上にすごいことはない。

ちなみに「El Ateno」は書店の大手チェーンらしく、フロリダ通りにも別途店があったが、こちらは普通の外見だった。あれを本屋に素養というアイデアは、確かに素晴らしいかもしれない。もと歌舞伎座の本屋……絶対観光客来るな。

 

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更に大通りまで下ると、「Teatro Colon」が見えて来る。

イタリア・ミラノスカラ座に次ぐ、世界第2位の大きさで、パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場とされている。多いな、世界で2番目。早川さんかよ。

ヨーロッパで公演された演目がひと月もしないうちに上演されるとされた、古き良きアルゼンチン時代の劇場とか。1889~1908年に建設され、こけら落としが行われた5月25日が毎年のシーズン開始日となっている。内部を見学するツアーもある様だ。

なお、他にもいくつも劇場があるあたり、南米のパリっぽいのかもしれない。まぁ何回も呪文のように言ってますけど、パリ行ったことないから本当か嘘かわからないんだよね。適当こいてるかもしれんし。

 

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「おおっとその建物、世界じゃあ2番目だ」と言われ続けてきたブエノスアイレスだが、この7月9日通りは世界一幅が広いとか。名古屋よりもか。スゲーな。

その中央に建つオベリスコはクリスマス的飾りとオリンピック的飾りがあり、多くの人々が記念撮影に興じる。

 

フロリダ通りにモール的なところがあった。

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あーそうか、クリスマスか。

京都駅前の大丸だっけ?忘れたが、あんな感じを彷彿とさせるオシャレな飾り。クリスマス仕様なのかよくわからんが、他も赤と黒で統一した装飾になっていた。これは南米の北の方の国は勝てねぇなぁ……。

 

この日も5月広場に行ってみたが、相変わらずのデモ。T君が宿にいたおじさんたちに、「しばらくそういう期間になるらしいよー」と言われたというが、なんか損した気分になるな。静かな様子が見たかったぜ……

 

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この日も炊き込みごはん。ビール買って来た。

宿ではピザパーティがあるらしく、100ペソで参加できるらしい。うむ、昨日知っていたら食材調整もしたかもな!ペンション園田みたいな窯があり、そこで焼き上げていて、おいしそうだった。

 

翌日、チェックアウト。荷物をまとめたが、空港までの交通手段が悩み。実際は翌日の飛行機だが、早朝のために足がない。このクライムシティで暗い時間の移動も嫌だ。いや、まぁ、夜出歩いてるやつも結構いるんだけどね。

いろいろ調べたが、バスターミナルまで出るとなると面倒。仕方がないので、宿でシャトルバスを手配。250ペソ。大手のバスがターミナルから240ペソなので、さほど変わらんだろう。しかし着いてからフライト時間まで12時間くらいあるんだよねー。

 

これに先立っていい加減グアラニーを両替しようとフロリダ通りへ。

何故か昨日は両替屋がやっていなかったので、土曜日の早いうちなら(12時越えてるけどね)行けるだろうと出掛ける。ウエスタンユニオンさんだけは空いていたので、こちらへ。どうも闇両替は微妙そうだし。

 

ここで日本人の老夫婦に会う。しょっちゅう旅行しているそうで、今回は南極クルーズに行くそうだ。スゲー高いんだよな、あれ。でもアルゼンチンの物価上昇を考えると、今後も高くなる一方かも。予約もずっと埋まってるらしい。

 

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帰りに5月広場によると、今日は静か。きれいに大統領府も見えたぞ!

 

宿に戻って遅めの昼食(作っておいたサンドイッチ)を済ませ、バスを待つ。

地球の歩き方だとかなりページを割かれているブエノスアイレスだが、正直そこまで面白いものはないように感じる。

 

あとは、ウユニ~アタカマ間のバスでペルー人観光ガイドのJさんに勧められていたウルグアイのコロニアという街がある。対岸にあるため、高速フェリーなら1時間で行くことのできる身近な外国で、かなりきれいな街並みだと聞いていた。

しかし往復12,000円くらいとも聞いていたので、かなり躊躇しつつ昨日フェリーチケット売り場に行くも、閉まっている。意味不明に思っていたが、今日の老夫婦が教えてくれた。

どうやら昨日金曜日は「聖母受胎の日」とか何とかいう祝日だったらしく、それで店が軒並み閉まっていたらしい。両替屋もやっていないわけだ!

 

どうもコロニアには呼ばれていない様なので、諦めたが、興味があればぜひ。ちなみに、ウルグアイはチリやアルゼンチンがかわいく感じるほどの物価らしい。何があるのかもよくわからん上にそんな感じなのかよ、ウルグアイ

 

さて、やってきた際にうっかり夕食に造ったサンドイッチを冷蔵庫に置きっぱなしにしてしまった以外は何事もなく出発ww

 

1時間と掛からずに空港に着いた。ここから12時間待機かー。

 

ブエノスアイレス、確かに都会だったが、ハイライトを終えた後だとイマイチ精彩に欠いたな。いや、単純にこちらの感動が薄れてきているのだろうか。アジア編が5か月だったことを考えると、私の限度って5か月くらいなのかもしれない。今もう倦怠期の夫婦状態。覚めて分離したカフェオレ状態。そんな余計なことを考える時間が十分にあった。

空港のWi-fiは比較的早く、利用しやすかった。考えてみればバス移動で十数時間とかやってきたので、時間は何となく潰せてしまった。やってみるもんですなぁ。

 

翌日には「世界最南端の街」とされるウシュアイアだ。宿の値段からしてブエノスの倍はするので、周辺観光地へのアクセスも心配だ!

 

 

輝く自然が、我を呼ぶ!