第三百十五話 Pのボレロ / 浮世の沙汰も
出立132~3日目(通算382~3日目)ペルー28~9日目 クスコ8日目~プーノ1~2日目
バスは8時のため、宿を7時ごろ出る。何だかんだ面白い宿だった。女の子のスタッフも楽しい奴らだったし、夜景が最高だったね。
さて、いよいよラストの街に向けて乗り込むのは、久しぶりのCruz del Sulさん。スペイン語表示だとプロモーション価格が表示され、通常60~70ソルのこの区間が、35ソルで席が取れた。よっしゃラッキー!とか思っていたら、チェックイントラブル、ハンズアップ!
予約時の記録に名前が入っていない、というのだ。スペイン語表記なので気にしていなかったが、手元の記録を見ても、確かに名前の欄は空欄。差額分の40ソルを払え、ときた。
いやいやいや、パスポートナンバーあるし、もう振り込んでるんだから個人特定できるだろ、と食い下がるが、押し問答発生。「じゃあなんで購入できたの?」が決め手となった。
そう、必要事項を記入しなければチケットは取れないはずなのだ。それ即ちこちらではなく、そちらのシステムの問題でしょ?という意味を込めたのだが、流石国内トップの優良企業、スタッフも優秀なのだろう。そこまで言わなくても察し、何とか出発に漕ぎつけた。やれやれ。
ちなみにプロモーション席はトイレの真ん前ということで、開け閉めの時臭う気もするが、こういう時慢性鼻炎で良かったと思う。気にするほどでもない。
手元のモニターで以前途中までだった映画を見ていたが、途中でモニターが作動しなくなったので、諦めて外を見る。
クスコ~プーノ間は両都市とも高地にあるため、尾根を渡っていく区間も多い。そのため、その景観が素晴らしいという話があり、実際この区間は、途中で名所に立ち寄る観光バスも運行するほどだ。確かに、山岳地帯でも日本のそれとは違う景色が楽しめ、これはこれでいい。
2時間後くらいに軽食が配られた。ディナー以外が雑なのはお約束通り。しかし朝抜いているとこれだけで14時半まではキツイなぁ。と思っていたので、パンは買ってあった。乗車の際は要検討で。
心地よい座席にウトウトしながら外を見て、時間を過ごす。
バスは多少の遅れで出発し、到着は予定の1時間遅れだった。なんかあったっけ?
ここから検討していた宿までは歩き。
土曜日だからなのか、市場が立っており、野菜に果物、肉、日用品からなんでも並んでいる。街の景観的には主要都市とは違う、雑然とした印象を与えられる。
安いと見込んだホテルが意外にそうでもなく、結局日本人が良く泊まるホテルが、個室なのに安かった。そういうことか。
ホテルの名は「マンコ・カパック・イン」。おいおいインまでつけちゃったよ。もうこれ完全にシチュエーション想像できちゃうよ、などと思いながら、1泊20ソルでツインの部屋に入れた。よっしゃラッキー!
WiFiパスワードの入力でもmancoって打つときにちょっと思うところがあるが、まぁ、そんなアホ中学生思考は放っておいて、街に出よう。
プーノはペルー南部、アンデス山脈のほぼ中央に位置する、標高3855mの小さな町である。そう、富士山より高い所にあるのだ。あ、皆さん、上から目線で失礼します。
インカの創始者マンコ・カパックが、妹のママ・オクリョと共に降臨したという伝説が残る。
ホテルの名前がそうなるのも、無理はないのだ。
そんなインカ時代の天孫降臨の地だったこの街も、スペインの占領によって先住民たちがこの地を追われてしまう。今ではインディヘナ人口の占める割合が多いことから、彼らが戻ったことがわかる。カラフルな民族衣装をまとう女性が多いのも大きな特徴だ。
「Iglesia San Juan Bautista」は街の2つある広場の1つ、ピノ広場に面している。
丁度結婚式が行われており、カメラを構えたが、やめておいた。うん。
広場の中央には兵隊さん?意外やマンコ・カパックじゃない。
ここからアルマス広場に抜ける通りがメインの様で、民芸品やレストランが並び、外国人観光客の姿も見かける。リマやクスコよりアルパカ製品が安い、と聞いていたが、よく考えたらその2都市で金額聞いてなかったので、安いか微妙なところ。ただ、売っている人らも親切なもので、素材についてはパーセンテージ含めて教えてくれたりするので、割と信頼できそうだ。
カテドラル。
久しぶりに中に入れた。
ペルー最後の教会はこんな感じかぁ。
とか言っているうちに日が暮れてきた。1時間遅れだからね、あっという間に夕暮れだ。
街の北東にあるスーパーを目指して歩く。線路沿いの道のレストランは安くて、脅威の3ソルの定食屋が。ホテルの近くの所も5ソルくらいだし、街の相場はそんなもんの様だ。
ただ、ここ数日そんなのばっかで飽きていたので、今日は奮発じゃ!
日本人にもお馴染みの中華料理屋「Chifa Shanghai」はメルカドの目の前。少し前に通りかかったら「ニーハオ」と話しかけられたので、少なくともチャイニーズ系がいるということだ、これは期待できるぞ!
中華系の出汁が体を癒すワンタンスープの後に、メインがドーン!
炒飯と「ガーリックウイズチキン」で何かと思ったら、フライドしてガーリックな餡をかけたものだった。この餡が思いの外ガーリックで、ちょっと明日デートできないレベル。いや、予定ないけど。
しかし味は抜群で、炒飯のパラパラ加減も思わず厨房を見るレベル。さすがです。10.5ソルしたけどね。いや、日本円に換算すると350円ちょっとだから、贅沢って程でもないんだけどね。比較論ですから。
少し雨がぱらつき始めたが、すぐに戻れる場所に宿があってよかった。
この日は部屋でのんびりと晩酌して終えた。
翌朝、どうも宿が停電しているらしく、何もできないので7時半過ぎには出る。この街には行かねばならぬところがあるのだ。
そう、チチカカ湖である。
乳首がこそばゆい名前のこの湖は、ペルーとボリビアを跨ぐ。アンデス山脈のほぼ中央、海抜3890mに位置し、面積は琵琶湖の約12倍。汽船の運行する最高地点でもあるとか。
まぁ、ここに着く前に客引きのおっさんにつかまったので、これは後で撮った写真なわけだが、プーノ最大の観光名所は、このチチカカ湖に浮かぶ無数の島たち。3つほど有名なところがあって、1泊2日でのツアーとかも人気なようだ。
しかし、最早マチュピチュ後だし、あと1月くらいだし、もうちょっと燃え尽き気味な私は、先住民族の生活に興味が持てない!ここは1ヵ所だけ、面白そうな「ウロス島」に行こうと思っていた。
英語を話せるこのおっさんに連れられて、ウロス島に行く船代(往復)10ソルと、さらに入島料5ソルを支払う。
桟橋まで向かうと、原住民のお母さんにチケットを見せるのだが、この際に入島チケットを買え、と言われた。おっさんは「もう払ったから」と強引に私を乗せてしまった。
うむ、まぁ、何となく予想していたが、おそらくおっさんの懐に入るんだろうな、5ソル。実際の入島料はいくらかわからないが、まぁ、いいや。なんかぼーっと見るだけだの予定が一気に話進んだし。
船がいっぱいになるまで待ち、出発。ここで船のおっさんから、チチカカ湖の説明が始まった。しかし声が小さい&エンジン音で全く聞こえない!仕方ないので、地球の歩き方を参考に、おそらく言っていたであろう内容をお知らせしよう。
チチカカ湖は前述の通り、天孫降臨の地であるとされるが、名前の由来はいくつかある。
ケチュア語で「ティティ」はピューマ(インカの神聖な動物)、「カカ」は石を意味する。
また、アイマラ語で「ティティ」はブロンズ、「カカ」は石を意味する。よって、ピューマの石とか輝く石ということになる。
一方、プレ・インカの時代には、「すべてが生まれた場所」を意味する「パカリナ」と呼ばれていたらしい。つまり、この時代からここは神聖な場所だったわけだ。
しばらく進んだところで、おっさんが上のデッキに登れるというので行ってみた。
景色はなかなかにいい。群生する「トトラ」と呼ばれる草たちが、「ウロス島」のキーになっているのだ。
風を切って心地が良いが、若干寒い。よく考えると標高富士山より高いんだよな。太陽が雲に隠れれば、もう寒いに決まっているのだ。
40分ほどでウロス島に到着。
一面草に覆われているように見えるが、そうではない。
実はこの島自体が、先程のトトラを駆使して作られた人工島なのだ。大小合わせて40程の島が浮いているという。
上陸した我々に、島のおっさんが話を始めた。ちなみに、スイス人(S君)と私以外はペルー人。ツアーが一般的というからなのか。当然、ちょっと弄られる我ら。
さて、では仕組みをざっと紹介しよう。群生するトトラの根をひもで縛り、その上にトトラの葉つーか茎?を重ねていく。大体3mくらい積むと言っていた。これだけでびくともしない島になるのだからすごい。常に新しいものを重ねて行かないと腐ってしまうようだ。
家なんかも基本的にはトトラ。今は他の木材を使ったり、ソーラーパネルなんかもあって結構近代的な造りになっているが、ガワは基本的にトトラだ。スゲーなぁ。
約700人が生活し、大きな島には学校や教会もあるとか。
島民はウル族と呼ばれているが、純粋なウル族は既に滅び、ケチュア族とアイマラ族の混血の人々が住んでいるらしい。ティッティカカ湖畔で最古の民と言われるが、正確な記録が残っておらず、インカに追われたのか、スペインに追われたのかもよくわからないとか。
説明が終わると、島民たちが店を広げてお土産タイムだ。というか、往復の船代だけと思っていたら、ほぼツアーじゃん。よっしゃラッキー!
トトラの船のミニチュアなんかが多い。フィギュアなんかも乗っていて、案外しっかりしている。これで25ソル。「ボニート!」と叫んでいた女の子は買ってもらえたようだ。よかったね。
しばらくすると、こんな感じの船で、大きめの島に移動することになった様だ。レストランや土産物屋があるらしい。
曖昧な言い方なのは、もちろんスペイン語で言われたからだ。「意味わかった?」とS君。君、笑って頷いてたけど、スペイン語わかってなかったんかい。私と同じようなことする人だな。
皆ドンドン乗り込んでいくが、私と彼は戸惑っている。どうやら追加料金が発生する様だが、問題はそこではない。これに乗った場合、最終的にプーノの街まで帰れるのかがわからないことだ。
追加料金渋ってる組の中に英語が話せる女の子がいて、彼女が元のボートの人に色々聞いてくれていたのだが、渋っていると思った島民が「5ソルでいいから乗りなよ」と言い出し、その移動先の大きな島からボートで帰れることが分かった。よっしゃラッキー!
流されるままに乗り込んだ私たち。つーかこれどうやって移動するんだろう、と思っていたら、モーターボートがやってきて、船の隙間にIN。ひもで結わえて、押し出した。まさかの文明の利器ww
他にも同じような船があったぞ!
子どもたちも乗り込んでいたが、彼女らが歌を歌い出したようだ。ん?待てよ、それ「チューリップの花」やんけ!しかも日本語!
な、何故だ?別の船からも聞こえてくるということは私用でもないだろう。彼女たちは1階で歌ってるが、私は2階にいるからちゃんとは聞こえないことからもそれがわかる。
これは日系人が伝えたってことなんだろうが、意味わからん歌を歌っているんじゃないかな、チューリップ見かけないし……。
その後、女の子が上に上がって来て、ペルー人に小銭を要求。ああ、そういうことだったのか。私とS君はスルーしていった辺り「コイツ等はわからんやろな」と思っていたのだろう。合っているが、チューリップの歌をどう捉えているのか、ますます気になるところだ。
さて、大きな島に到着。入り口にはコンドルとクルス・デル・インカ。これもトトラ製だ。
島内にはコンドル系のモチーフがたくさんあり、ここでも神聖なものであることが伺える。ピューマは欠片も見かけない。
ちなみに左の女の子が英語が話せるのだが、この後一緒に写真を撮った。な、何故?
マスがいる(見えるかな?)。彼らの食糧兼観光資源ということだろう。なお、畑がある島もあるという。結構自給自足なんだなぁ。
ちなみに島内のレストランでは多様なマス料理が楽しめるが、20ソル前後という観光地価格で舌を巻く。いうて10時代だから食わないが、ペルー人はかなり入っていた。
島内はあっという間に見て回れるので、ベンチに腰掛けて休憩。自然、S君と話すことになる。もちろん旅の話だ。私が少し席を立ったところで、S君は別の便で来ていたペルー人学生の団体に囲まれ、記念撮影と質問攻めにあっていた。ああ、外国人と絡むのが珍しいのか。
落ち着いたのを見届けてから再び合流すると、「急にいなくなるからー」と苦言を呈されたww
しかしこれで終わりではなかった。私と記念撮影していた女の子らとの写真をねだられたS君。彼が席を立つと、今度は私の番だった。日本人とわかるや否や、先程のS君と同じ状態に!そ、そんなに珍しいか?先生と思われる人も一緒に質問してくるのだが、全員がスペイン語で来るので、半分想像で応えている状況。
最終的に中華料理の話になったが、寿司については聞かれなかったなぁ。
彼らが去り、S君らに合流すると、今度は女の子らから質問が来た。「キレイ」って日本語で何て言う?とかね、かわいいもんですよ。ただ、「韓国人との見分け方」を聞かれたときは困ったね。まぁ答えたけど。
こうして11時くらいに船は出発した。
「もう充分だ。長すぎたくらいだ」とS君。2週間の旅行の彼には、少し時間がもったいなかったようだが、私はこれくらいラフでよかった。つってもあと二つの島には行かなくていいかなーってなったので、似たり寄ったりか。
40分で岸に戻ったが、まだ昼前か。朝から動いた&思わぬスター扱いに時間がスゲー経った気がしてたよ……
港でクラシックを演奏する学生たちがいた。青空の下で聞くってのもいいもんだ。神聖な湖への捧げものだろうか。
さて、朝からパン1つしか食べていないので、昼飯だ。安食堂に行かねばなるまい!
混み合う3.5ソルの店で、スープの後に出てきたのがこちら。
ニンニクとジャガイモの炒めとチーズフライ。またニンニクか。
どうやらチチカカの島の中には、肉を食べない住民がいるらしく、それがこれなんだろうな。
ペルーのチーズは結構塩気があるので、意外におかずになる。チーズフライだけの定食もあったのだが、これなら納得だ。
アルパカ製品を買おうと、市場へ。前日に民芸品売り場で聞いたよりも、やっぱり安いので、いくつか購入。
ここの店ではお母さんたちが手編みしていた。手編みなので、逆にミックスは難しいだろうな。しかも意外に安い。やっぱりプーノで買った方がお得なのね、アルパカ製品。
さて、島でやることに満足した私は、翌日移動することに決め、ターミナルまで行ってチケットを購入。帰りの露店でフルーツを購入すると、もうやることがなくなった。手数料無料の銀行のATMは日曜日だからなのか使えないし、残金的にお土産も買えないし。
宿で今後の情報を収集し、日も暮れたので夕食へ。
別の3.5ソルの店へ。ペルー最後がそれでいいのか、とも思うが、残金的な都合ですww
お客の5歳くらいの女の子かな?他のテーブルにちょっかい出しまくっていて、最初は遠慮がちだったけどこちらにも来て、叩いたり、手を握ってきたりでかわいかったなぁ。食うものって大切。
さて、明日は早いので、最後の夜を軽い晩酌でしっとりと過ごしつつ、眠りにつくのだった。
次なる国は南米最貧国ともいわれるボリビアだ。クライムの度合いも気になるところ。どうなる第315話!?
輝く自然が、我を呼ぶ!