第二百八十二話 たったひとつのEのために / 君と僕の名前
出立83~4日目(通算333~4日目)エクアドル9~10日目 バーニョス4日目~グアヤキル1~2日目
移動日である。
朝9時に出るバスを予約しており、朝食は微妙に間に合わない感じだったので、パンにスクランブルエッグを挟んで宿を出る。
次のグアヤキルという街には16時前に着く、ということだった。
やはり山道が続くが、出てすぐに寝たので序盤は不明。「Ambato」という街でいったん停車して客を待ち、出発。この時点では遅れはなかったんだが……
車窓からは山々の景色が見られる。アイスランドを思い出させる、アースカラーの「カラフル」も見どころだ。写真撮ってないけど。
14時過ぎに昼休憩。ここらあたりから到着が怪しくなり、結局1時間以上遅れの17時ごろ到着。とはいえ、まだ街は明るかった。
ここから宿のある場所まではメトロビアのT2に乗る必要がある。
場所はターミナルを出て右前方。タクシー乗り場からさらに言ったところで、外に出ればすぐわかるレベル。
ただ、乗るのにカードがいるらしく、入り口付近では売っていない。
仕方ないのでチャージ中の兄ちゃんに現金を渡してチャージしてもらい、入れてもらった。いやー助かるね。乗車1回0.3ドル。
乗り場も大きく数字が降ってあり、路線図大きいので、そんなに迷わない。親切なおっさんによって若干迷ったが。
ここからが微妙に難しいのだが、メトロビアはトランスミレニオよろしく、ホームに止まる路線バス的な存在だ。しかし駅名が見にくい。ホームには駅名がなく、地元民も風景で判断している始末なので、GPSで確認して降りた。
車内の治安はそこまで悪くない。
宿は貧民窟みたいなところだったが、1泊6ドルいかないくらいで、安いので仕方ない。グアヤキルは宿が高い、と聞いたし。
しかし周辺は職人の街の様で、食事処がまるでない。
グアヤキルは数年前に邦人夫婦が殺害される痛ましい事件が起こった治安の悪い街だけに、夜は出歩きたくない。
仕方がないので、宿で残ったサンドイッチを食べて、この日は終える。
夜中に酷い虫刺されと、盛り上がっているパーティの音であまり眠れなかった。パーティはともかく、痒いのはどうにかしたいなぁ。
ということで、朝それを申し出てから、宿を出る。
グアヤス港での商取引を通じて発展した都市であり、1822年に南米独立の父シモン・ボリーバルと英雄ホセ・サン・マルティンがスペインに対して独立戦争を起こす密談を交わした地としても有名だ。
なお、グアヤキルの名はインカ帝国の侵攻とスペインのコンキスタドールに立ち向かったインディヘナの英雄グアヤスとキルの二人の名前に由来するという。
キトの様な景観重視の都市でもなく、大都市ということもあり、見どころはそこまで多くない。
観光の前に腹ごしらえ。
エンパナーダとココナツジュースで1ドル。前者はチーズとハム入りのものをチョイス。特に後者は、店がジュース専門店ということもあり、スゲー旨い。
目の前にあるのが「Paruque Centenario」。
一番大きな公園で、四方に門があるが、何故か東側しか開いていない。中央には謎のモニュメント。形状的にはキトの独立広場にあったものと似ているか。
ここから東に延びているのが、目抜き通りの「Av. 9 de Octubre」。
上記の二人が会談した日から大きく動いた南米の運命を記念して、10月9日通りの名がついている。
商店が立ち並び、日曜日にもかかわらず、思った以上に多くの店が開いている。
途中で南下すると、「Paruque Seminario」に辿り着く。
目の前にはカテドラルが。1896年にグアヤキルを襲った大火でこちらも焼失し、現在のものは1948~78年に建てられたもの。当時の写真が建物内にある。
日曜日の朝ということもあってミサの途中であった。
毎回思うが、ミサって何してるんだろうか。信心がない人間からすると、休日の朝からご苦労なことだ、としか思えない。
更にこの公園を有名たらしめているのが、イグアナ。よく見ると、カテドラルの写真にもいるよ!
園内には放し飼い状態で大小様々なイグアナがいて、雨が降っていなくても仕事もせずにキャベツばかりを齧っていた。
取り立てて縛りはないが、一応柵の中が安全だと知っているようで、その辺に固まっているが、中には移動していくやつもいる。そのタイミングで、大体触られる。触っちゃいけないんだけどね。
再び10月9日通りに戻ってグアヤス川岸まで抜けると、「La Rotonda」と呼ばれるシモンとホセの像がある。まぁ、通りの名前を考えれば必然だ。
この会談の後、シモンは「グラン・コロンビア」の大統領となり、ホセはフランスへ逃亡し、独立戦争から身を引いたという。弱みでも握られたのか、ホセ。
そしてこの南北に延びる川岸の一体は「マレコン2000」と呼ばれる行楽地で、親子連れや友達同士、カップルなどで賑わう市民の憩いの場になっている。
川岸には船も停泊していて、見学できるものや、クルーズ出来るものが並ぶ。川はすごく濁っているが、常時こうなのかは定かではない。
遊園地スペースなんかもあり、のんびりした雰囲気。観光地以外は危険と言われるグアヤキルだが、それを忘れさせるほどだ。
何故かポパイ。まぁ、船つながりだからか。アメリカにも輸出品を船で運んでいたようなので、あるいはキャラクターとのつながりがあるのかもしれない。
そういえば、マリオの服や兄弟でマリオとルイージの帽子をかぶっている子どもがいたりで、何故か日本のキャラクターで見る機会が多いのはマリオ。バーニョスにも版権的に会うとそうな飲食店があったが、何がウケてこうなっているのだろうか。
喉が渇いたので、自販機でジュース。
マレコン2000は警官のいる柵の内側にあるからか、自販機が至る所にある。これも治安の良さを証明するものの一つだろう。地元製っぽいアップルソーダ。甘すぎ無くてうまい。
マレコン2000の北の終わり辺りには「人類学・現代美術博物館」があり、日曜日は無料というので、入ってみた。
いやー、シュール。何を意図しているんでしょうね。やはり祈りのためのものなのか。
これの特に左の奴なんか、ビックリマンシールとかにいそう。結構攻めた造形が多くて楽しめる。
他にも当時の暮らしとかそういう展示があるっぽいが、適当にスルー。いいんです、疲れないことが大事。ちょっと寝不足だからね。
現代美術の方は更にシュールだったので、特にこれといって言うことはない。
この奥に見えるのがサンタ・アナの丘に代表される、ラス・ペーニャス地区。
グアヤキルで最も古く、スペイン植民地時代の面影を残す一帯。
うっかり裏道から入ってしまったが、石畳の趣ある通り。日曜日なので、静かなものだが、芸術家のギャラリーが並んでいたりするらしい。
また、南米の坂の上にある家の例に漏れず、貧困層の住宅ということでかつては治安が悪かったようだが、色を鮮やかにして観光地化したことで、現在の治安はイイ……とのことだが、各地に警官が立っているので、保たれている、と言った方がいいのだろう。
丘の上の教会「Capilla del Cerro Santa Ana」。この謎のキャラクターはマレコン2000にもいたな。何だったか。てか、なんか座り方がこなれてるな。なんなんだ、コイツは。
内部はイラストを祀った変わった感じだった。
見晴らしのいい展望台も。
向かいにも同じように丘に家々が立っているが、あっちは安全なのかどうか、定かではない。
グアヤス川沿い。この左の岸がマレコン2000ということになる。
よく見ると、手前の丘に建つ家々の屋根はトタンで、ボロくなっているところが多い。貧民街であること自体は変わっていないのかもしれない。
帰りはきちんと表の道で
階段の右端に段数が降られており、頂上までは緩やかな階段が続いて、全部で444段。日本的には不吉な数字だ。かつては天国への階段だったかもしれない。
両脇には商店やカフェ、バーがある様だが、日曜ということもあり、大半が閉まっていた。残念。
グアヤキルの日曜日の観光となるとこんなものだ。
「Paruque Centenario」にまで戻り、そこから西に一本渡ったところに、炒飯がうまい中華屋があるというので、来てみた。
「Dinastia」という、地球の歩き方にも載っている店だ。
こちらがチキン炒飯4.6ドル。最安はベジ炒飯で3.5ドルだったかな。
これが何と米がもちもちの割にぱらっと仕上がっており、マジでうまい。
コロンビアのポパヤンで食ったものとは雲泥の差だ。おそらく圧力鍋で焚いているのだろう。炒飯向きの米の特性を最大限に発揮した、見事な一品だが、多すぎ!
残りはお持ち帰りにした。
明日以降の準備で買い物を済ませ、宿に向かう途中で新聞紙を使った像を作る工房があった。
思わずパシャリ。オヤジさんも嬉しそうで、「どっから来た?」とか聞かれる。
なんか高校の文化祭で似たようなことした記憶が甦って来た。もちろんオヤジさんの方が断然すごいが。この筋肉の感じとか、どうやってんだろ……。
明日は移動日。それも久しぶりの飛行機だ。といっても国外ではないのだが、これまた非常に楽しみな地である。まぁ、実際もういるけど。ってかWifi遅いな。
虫に悩まされないといいなぁ。もう痒くて仕方ないわ。
命の神秘が、我を呼ぶ!