新劇場版 世界の果てまで行って:破

新劇場版 世界の果てまで行って:破(仮)

このブログは、特撮オタクの私が、5年半努めて勤めた会社をやめて、ユーラシア大陸をめぐる物語である。〈背景のモデルはフルスクラッチです:自慢〉

第二百五十四話 C 32歳の革命 / 灼・熱・都・市

出立40~4日目(通算290~4日目)キューバ15~9日目 サンティアゴ・デ・クーバ1~5日目

 

 

疲れている割には意外に眠れず、バスの空調もアホみたいに効いて冷蔵庫並み、というのは中米のお約束なんだろうか。途中に何度か止まって客の乗り降りがあるが、こんな時間に彼らはどうするんだろうか。

 

マグウェイに至ったところで隣に東洋人が乗ってきた。f:id:haruki0091:20170824084754j:plain

 

朝焼けの時間はどこの国でも美しい。 

 

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サトウキビ?やっぱたくさん作るのね。

 

隣の人物が広げた本が「地球の歩き方」である所で、ようやく日本語で話しかける。短い休暇を利用して海外に出るという、歴戦の勇士Kさんである。

一通りキューバの国や人柄、旅の感想などを述べ合っているうちに目的地へ。少し遅れて13時前後。12時間以上乗っていたことになるのか。待ち時間合わせると……止そう。

 

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サンティアゴ・デ・クーバキューバ第二の都市で、山と海に囲まれた灼熱の地だ。植民地時代の人間が多く、肌の色も濃い。クーバはキューバの意味なので、まぁ、「キューバサンティアゴ」みたいな意味だ。

1515年にスペイン人ディエゴ・ベラスケスによって造られ、1523~56年まで首都として機能。しかし海賊の襲撃も多く受けたようだ。1898年には米西戦争の舞台にもなった。

そして1953年7月26日には、カストロらが、政府軍兵士が集まるモンカダ兵営を襲撃したことから、革命戦争始まりの地ともされている。

これによって現在7月26日は革命記念日になっているので、キューバを語るうえで欠かせない街といえるだろう。

 

カサの決まったKさんと、以前ヒロンでCさんから聞いていたカサが近かったことからタクシーに相乗り。一人2CUC。

 

Kさんも宿が見当たらなかったが、私もまったくわからない。道を聞いても同じ名前のカフェテリアに付く始末。同じ場所をウロウロするのを見かねて、現地人Tちゃんが声を掛けてくれ、しかもカサまで探してくれた。ありがとう、注文付けたとおりに探してくれて……。

 

一泊朝食付き20CUC。どうも相場は25みたいなので、まぁ、良しとしよう。早速観光へ出掛ける。

 

暑い!さっき浴びたシャワーの効果が3分ともたずに消える暑さだ。確かに湿気はないから影に入れば……という例の理論は活きてはいるが、基礎温度が違う。と、とにかく近場から行こう。

 

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「Padre Pico」はこの地区の象徴で、美しい街並みが見える階段だ。うむ、まだ何の感慨もない街だが、確かにいい感じだ。期待が持てるぞ、暑いけど。 

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「Museo de la Lucha Clandestina」

1950年に建てられた警察署で、56年にカストロやチェらM-26のメンバーが上陸する際に政府の目をそらすために待機していた革命軍兵士に襲撃された。革命に関する資料が展示されている。1CUC。向かいにはカストロがかつて住んでいた家があるというが公開されていないというので、f:id:haruki0091:20170824090413j:plain

うーん、多分これかな?わからん。

ちょっと雨がぱらついてきた。恵みの雨か!?

 

街の中央セスペデス広場に到着する頃には、土砂降りで、カテドラルで雨宿り。

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やはりメキシコのものに比べると、内装がスゲーシンプル。

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外観はこんな感じ。翌日の晴れた時に撮ったものだ。

とかやっていると、声を掛けられた。この街に住んでいる日本人のS女史だ。後にカサをやっていることもわかるが、この時はとりあえずいい店があるとカフェを紹介してもらう。

 

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歩行者天国のホセ・アントニオ・サコ通りの、映画館からもう少し行ったところにある「Café Ven」は、おいしいコーヒーが安く飲めるうえ、その他の飲み物も「商売する気がない」価格で売られている。

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確かに、0.25CUCとは思えない旨いコーヒーだ。

 

前述の通り、S女史は長くここにいることから情報に通じているが、市民生活に関しては結構面食らった。

キューバ人の年収は少なければ100CUCと言われているが、野菜の価格は日本とさほど変わらない。つまり、「生活のために何かしらの手で稼いでいる」、「我々の食べる人民飯には何かしらの細工がある」ということになるらしい。

かいつまんで言うと、カサで稼いでいるのは至極真っ当で、官営の食堂なんかは食材を横流しして安いものを仕入れて提供しているし、女の子たちも体を簡単に売る。だから安い食堂では日本人は腹をこわすし、女の子は病気持ちが多いから気を付けろ、ということだ。

女の子に好みのタイプを聞くと、「金持っていて早く死にそうな老人」と答えることもあるという。まぁ、どこまで本当かわからないが、そういう現実もあることをわかってほしい、ということらしい。

住むくらい好きなんだから、言いたい気持ちもわかる。しかし、ここまで見てきたキューバ人たちに悲壮な様子は全くない。助け合いもするし、生き生きしている。日本のサラリーマンよりはるかにパワフルだ。必ずしも貧すれば鈍するわけではない。この国に惹かれる人があるのは、そこに理由があるんだろうか。

 

それにしても人民飯を食っても一度も腹壊してないんだけど、何かアレ、うん、この国も改善してきてるんだな。

 

しかしKさんはスマホ持ってないし、S女史もそれがある前から旅をして挙句に住んでカサまでやってるんだから、相当の古強者たちだ。

「私から言わせると今のバックパッカーは情報に頼りすぎ。みんな行ったところに行って、同じ宿に泊まる。真似ばかりだ」と厳しい言葉も出るS女史。うーむ、耳が痛い。攻略本見ながらゲームやることに慣れているから、余計に痛い。

例えるなら、彼らは昭和ライダーだ。もうゴテゴテした武器無し。シンプルに鍛えることで技が増え、強くなる。道具に頼らないから、ピンチに対する対応力が違う。もう強い。

 

でもね、平成ライダーだって、成長してるんです。形や強さの得方は如何に変わっても、平和を愛する気持ちは……って完全にライダーの話になってるぅううううううっ!

 

誰かが見たから見なくていい、ということはない。この目で見て、手で触れて、匂いを嗅いで、耳で聞いて、舌で味わい、肌で感じる。そうして世界を捉えることが大切なのだ。

 

雨も上がった。街はまた熱気が戻って来る。おい!蒸し暑くなっただけじゃねぇか!雨!

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 マルテ広場まで抜けると、そこは何やら祭りの準備中。どうやら翌々日にフィデル絡みの祭りがあるらしい。カミーロの像も。

 

宿に戻って英気を養い、夕食へ。Kさんと合流し、案内を買って出たTちゃんとも合流。海の方に出る。

「CUBA」の看板があり、人でにぎわっている。

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これは翌日のもの。意外に海風はない。

 

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屋台の先には船上レストランがあり、そこでビールとエビ。

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味はまぁ、こんなもんだろう。ビールも3杯飲んで、一人8CUC。案内代としてTちゃんのお代は割り勘していただいた。私は恩があるわけだが、「現地の人と触れ合うのは旅の醍醐味」と言い切るところに強みを感じますね。

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 はい、翌日の写真。

 

夜になって涼しくなったからか、住宅地にも人が増えている。まぁ、確かに、ここまで暑いと今から仕事したくなる気分だよね。

 

翌朝は朝食前に街が一望できそうなポイントに歩いていく。

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ああ、海。思いのほか近いんだね。

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いい感じのところに付く頃には灼熱の太陽光線が、街中でスパークする。増幅されたエネルギーはソーラーメタルに変換されることもなく、熱としてこの街に赤射蒸着されるのだ。

 

道すがら話しかけて来る人間が多い。日本人か聞く者や単純に挨拶する者。ダウンタウンっぽいところだが、皆気のいい連中だ。

 

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朝食はこんな感じ。マンゴーはレオ・ヤミとオブさんのとこの方がうまいが、オムレツは一番きれいでおいしい。ジュースはグァバ。これも絶品だ。

 

さて、スマホの充電待ちして街へ。10時か―もう地獄だな。中央に出るとKさんに遭遇。

「革命広場まで行ってきたけどもうヤバい。これから行くのか―頑張り給え!」といった激励をいただく。 

 

日陰を探しながら辿り着いた「Museo 26 de Julio Cuartel Moncada」。

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1854年に刑務所として建てられ、1952年にクーデターで政権に着いたバティスタの国内第二の規模を誇る兵営に。

1953年7月26日にカストロ率いる革命軍がパーティ後を狙って襲撃するも、121人の犠牲者を出し、カストロも逮捕された。国民の反応もあって恩赦された彼はメキシコに渡り、ゲバラ達新たな仲間を得て1959年に再上陸し、バティスタ政権を打倒する。

革命実現の契機になった場所であり、反バティスタの組織名がM-26-7(7月26日運動)だったり、町中にも「Julio 26」の旗が国旗と同じかそれ以上に飾られていたりと、とにかく国の象徴と言っても過言ではない場所で、銃弾の後も生々しい。中には日本では規制されるレベルの、当時の戦闘の様子や犠牲者の遺品なども展示され、革命の始まりを知ることができる。まぁ、この街のハイライトですよね。街の中心から遠いけど。

 

さて、もう1つの見どころ、革命広場へ向かう。繰り返すが滅茶苦茶暑い。地獄の炎がぬるすぎて帰って来た一輝さんが地獄に戻りたがるレベルの暑さ。

4kmくらい歩いて到着。

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うむ!なんかデカいな!

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手前がアントニオ・マセオの像で奥が剣を模しているとか何とか、後に行く博物館の人が話していた気がする。

こういうところに堂々と止めてしまう観光バスの見下げ果てた品性の無さには閉口するばかりだが、ようやく辿り着いた私に向かってセントロ行きを誘ってくるタクシーのオヤジも頭がおかしい。何しに来たかくらい察せんかバカもん!どっちから来たかもわからんのか!

 いかん、どうもヒートアップしてしまう。裏手にひっそりと存在する博物館に入ると、エアコンが効いていてほっと一息。しかしこんなバリバリ国営っぽいところにもかかわらず、入り口でたむろする職業婦人たちにやる気は感じられず、おいおいマジかよ客来やがったよ、みたいなリアクションの上、1CUCの入場料を3CUC札で払おうとしたら「1だよ、1!」と受け取らない始末。お前ら……打倒するぞ。

 

私のためだけに設備の電気が点けられていく。まぁ、こんな暑い最中に来る奴も、わざわざ博物館を見つけてまで来る奴もそうそういないんだろうな。

 

婦人が一人付きっ切りで、スペイン語で紹介してくれるのは、マセオ周りの話と、ここにあるサロンでカストロさんが休んだり表彰式をしたりした様子だ。ビデオもある。

革命に浸りきって外に出る。暑い。

 

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こちらは国家評議会副議長を務めたフアン・アルメイダ・ボスケ。革命戦争の重要人物であり、2009年に亡くなったらしい。

 

太陽が真上に差し掛かったのか、影がほぼ消滅し、最早フラフラ。話しかけてきたキューバ人は、日本の「易」だか「合気道」だかを倣っているという本屋の若者で、次に行こうと考えている街について、詳しく教えてくれた。うーむ、ハバナの人々に比べると、ずいぶんと距離感が近いというか、絡んでくるな。いい意味でも。

 

待ち合わせ場所に遅れながらもKさん、Tちゃんと合流。昼飯に向かう。

「昨日の店はイマイチだったから」と連れてきたのは、お高い店。おい、T!お前、奢ってもらう気満々で連れてきたな!?

流石に無理なので出ると、今度は庶民的な店に案内してくれた。

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「Limo Cerdo Allmon」とか何とかいう、まったく内容が想像できないものを頼むと、ブタの骨周りの肉をサワーっぽく味付けしたものだった。脂ものっているがサッパリに仕上げてあり、スゲー旨い。30CUP。ビールも1.5CUCとかで良心的な価格。

 

あまりに暑いので、向かいにある昨日のVen Cafeでリラックスタイムを過ごす。エアコン最高。もう毎日これをしないとこの街じゃ生き残れない気がしてきた。

 

この日にはハバナへ発つKさんは見ていない博物館へ向かわれた。結局これでお別れとなったが、地獄のサンティアゴのスタートを一緒に切ってくれて助かった。

しかし、旅人が若く見えるのは常なんだろうか。

 

その後、Tちゃんに銀行での金の降ろし方とかも教えてもらい、夜会う約束をして別れた。報酬分は働く、という感じだな。大学生で休み中と言っていたが、おっさんたちに付き合っていい思いが少しはできただろうか。

 

曇ってきたのでこれ幸いとビアスールのバス停まで切符を買いに行ったが、閉まっていた。

ああそうか、土曜日だから早いんだね。曜日の感覚が失われていたよ。。。

 

一度宿に帰り着く頃にはヘトヘトで、約束の時間まで休んで出るが、どうも体調が思わしくないことに気付く。アレ?風邪か?

そう言えば体に結構負担掛かる行程だったな。約束を断ろうと思っていたが、Tちゃんにも会えず、待ち合わせた本屋の兄ちゃんとも会えなかった。Kさんともそうだったが、会おうとすると会えない今回の旅。もうあかん、ヘロヘロやからと心の内で彼らに詫びて宿へ。

 

それにしても日本人(アジア人)が珍しいのか他の目的があるのか、かなり熱烈に絡まれる。パーティに誘ってくる奴はよくいるし、飲み行こうぜ―もある。まぁ、コイツラは酒奢れってことの可能性が高めかな。ただ挨拶だけ求めてくるおっさんもいるし、タオルを取ろうとする変な奴もいた。

最悪だったのは本屋の兄ちゃんを待っている時に来た奴で、これが英語を話せる。

体調悪いから、待ち合わせしてる奴に断って帰ろうとしてるんだ、という説明をしたところ、彼の隣のキックボクサーの友人は大変に真面目な奴で、薬は持っているのか、キューバ人はそういう時こうやって治すんだ、と教えてくれ、それを通訳していたにもかかわらず、

「そいつが来なかったら一緒に飲みに行こうぜ」と誘ってくる。お前今話聞いてたよな!?ってか通訳してたよな!?

「いいじゃーん、酒飲み行こうぜー」お前完全にたかる気じゃねぇか!

「じゃあコーラ買うから0.5CUCちょうだい」死ねぇえええええええええっ!!!

ま、顔にタトゥー入れちゃう奴なんてこんなもんだよ。おい、キックボクサーの兄ちゃん、こいつはやめとけって!碌な奴じゃない!

 

Tちゃんの様に助けてくれたお礼とかならそれに見合う報酬というギブ&テイクが成り立つが、貴様の様なやからにくれてやるものなどびた一文とてないわ!

S女史の話じゃないが、いくら逞しく生きないと生きられないキューバ人でも、限度があるよな……仕事しろよ。

 

翌朝もイマイチ体調が優れないが、この日のオムレツは最高だった。そしてこの家にいる5歳くらいの女の子が、慣れてきたのか挨拶とかしてくれるようになったわけだが、これがものすごくかわいい。

っていうか、私もこれくらいの子がいてもおかしくないんだよなぁ。

い、いかん!疲れてるんだな!

少し休んで日陰をそっと街へ向かう。アレ、妙に人が少ないな。日曜日でカストロの誕生日のお祭りなんだろ、今日。なんか人影がまばらだな。どこ行ったんだ?声かけ事案も一気に減ったが、サングラのせいか?

 

 

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「Museo Municipal Emilio Bacardi Moreau」は、かの有名なラム酒バカルディを製造していた一族の邸宅だった場所。当主エミリオはサンティアゴの初代市長だったが、革命後、彼らはプエルト・リコへ亡命し、ラム酒は「Habana Club」に名を変えた。

 

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ラム的な展示は一切なく、芸術、歴史、考古学の展示物があり、エジプトからギって来たミイラまで展示されていた。

うむ、博物館も1日1ヵ所とかだとストレスがなくていいな!

 

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昨日と同じところで昼食。今日は鶏肉のフライだ。ご飯が酸味のある仕上がり。まぁ暑いからな、そういうのが好まれるんだろう。ジュースと合わせて50CUP=2CUC。ああ、一人分だと安いww

 

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古い建物を見て回り、といっても暑いので、人もいないし、カフェへやって来た。何となく毎日行ってるせいか、顔見知り感が出てきたな。

第二の都市の割に、あとの見どころは郊外になっているからか、意外とコンパクトにまとまっていて、することもないし風邪もあるので、宿に戻る。

 

19時前にTちゃん再襲撃。まめである。イイ奴ではあると思うが、そろそろソロで周りたいなぁ……。

 

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さて、前述の通り、この日はフィデル同志の91回目の誕生日である。そのため、セスペデス広場にも彼のパネルが出ている。

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革命キャラクター?ショギート君、だったかな?子どもに大人気で皆寄って来て、中には手を繋いでついて行っちゃう子もいる。もう本当、歩くたびにマジで子どもが寄って来る。そんなにいいか?そこまでか?サイズ合ってなくて下から見たら中の人の顔見えそうな奴いたよ?いや、中の人なんていないな。

しかし、同時にこんなにたくさんいてもいいのか。ミッ○ーとかなら何体も同時に現れたら混乱を生みそうなもんだが、性質が違うんだな。さすが革命的キャラクター。

 

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マルテ広場前には仮想した子どもたちがいて、楽器の演奏に合わせて腰を振って行進。

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先日見たのはこれだったのね。このままMuseo 26 de Julio Cuartel Moncadaまで練り歩く。

広場ではカラオケ大会みたいなのがあり、他の場所でもガンガン音楽が鳴り響くので、もう音がぶつかり合っている。これぞサンティアゴ!なのか?!

 

Tちゃんが袋入りの人民ジュースをおごってくれたことに驚きつつ、モンカダまで行くと、既に人の波。兵営もプロジェクションマッピングのスクリーンに。いいのか?まぁ、いいんだろうな……。

 

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ステージでは大人や子どもが出てきて、雰囲気的にEテレの番組みたいな形で歌や劇が展開される。家族連れも多いので、こういうのが受けるんだろうな。でも脇とはいえステージ上で着替えて直後に何事もなかったようにアニメ声でキャラクターになりきるお姉さんには「それでいいのか!?」感が満載だったな。そして手前は子どもをえらいとこに登らせている。

 

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子どもも大人もダンスや歌がみんなうまいが、彼らが有名人だったのかは定かではない。が、ぱっと振り替えてみても、フィデル感はゼロ。

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この時の背後とかはアレだけどね。もう少し厳粛な雰囲気かと思ったが、そういうのは昼にでもやったのかな?そうだとすれば、何人か死んでるな。

 

流石に全快していないので、飲み食いを断って帰って来た。まぁ、財布はこっち持ちだろうし。デートでもないのに―いや、デートだったのか?まぁ、いいや。

 

翌朝の食事後にビアスールのバスオフィスでチケットを予約し、その近くの「Cementerio de Santa Ifigenia」へ。

ここは墓地で、昨日のバカルディさんや革命軍のメンバーの墓がある。

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着いたところでちょうど衛兵の交代式をやっていた。勇壮な音楽と共に足を高く挙げ、行進、敬礼など、作法に則って一糸乱れずに行う。暑いのに。

 

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こちらがフィデル同志の墓。多分。誕生祝の翌日に墓というのは、何ともタイムリーだ。後ろにはモンカダ襲撃で死亡した兵士たちの慰霊碑的なものが見える。

建国の父ホセ・マルティの墓は左奥に見える巨大な奴で、衛兵たちはここを守っているわけだ。

 

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中には像と植民地時代の6州を表す柱が。レリーフラテンアメリカ諸国の紋章とか。

 

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像の足元の吹き抜けの底に、国旗に包まれた棺がある。

「国旗と花に包まれ太陽の当たるところ」というマルティさんの詩をもとに設計されたという。

 

しかし、フィデルさんもそうだが、キリスト教徒だったのかもよく知らないし、どうすりゃいいんだろうと分からなかったので、とりあえず諳んじれる「白衣観音経」を唱えてきた。まぁ、彼らも初めて聞いただろうな。

 

帰りがけに入ってくる人が入場料を求められていた。アレ?いるの?

そうか衛兵交代見てる時にツアー客に紛れ込んでいて、それで何も言われなかったのか。つーか墓に入場料って……。墓だけに、観光客の足元まで見てるわけだ。

 

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灼熱のハイウェイを歩きながら戻り、ラム博物館へ。2CUCの割にさらっと行程が書いてあって機会が置いてあり、歴代のラベルや記念版のボトルが飾られた程度。しかし、ここサンティアゴのラム「Santiago de Cuba」の7年物が試飲できる。うむ、ハバナクラブの7年の方がうまいな。

 

よく考えれば熱さが限界なので、例のカフェでビールをがぶ飲みし、ルーチン的に食事に行ってカフェでコーヒー。うむ、こんなもんでしょう!もうこの街でやることなさそう。

この街にもカサ・デ・ラ・ムシカがあるが、もういいや。なんかそういうのは、誰かと行くべきだよね、自分の財布持った。

 

翌朝、8時のバスに乗るために1時間前に着いた方が良くて、そうなると6時ごろには起き出したのだが、ものすごい腹痛に襲われる。な、なんだ!?夜は食べてないからあるとすれば水ぐらいだぞ!?悶えながらもなんとか荷物をまとめる。移動日にこれとか!昨日にしろよ!

 

朝飯はマンゴージュースをがぶ飲みしてる隙に、女将さんがパンにはさんでくれた。うむ。ここのオムレツはキューバで一番うまかったからな。これは助かる。

言語の壁もあって絡みが薄かったが―というかオブさんが喋れ過ぎたのか―まぁ、悪くはなかったかな。

次の街のカサも

友達のとこを手配してくれたし。ダメなとこだったらアレだけど。笑顔で手を振り、バスの発まで残り1時間ほどとなった道を急ぐ。間に合わなかったら色々嫌だ!というか、お腹は大丈夫なのか!?あらゆる不安を抱えてバス停と向かうのだった。

 

カリブの海が、我を呼ぶ!