第百三十六話 Iが止まらない / フール・フィール・フォール
出立146日目 インド60日目 デリー2nd 2日目
サンタナは朝食付きなので、食しながら、同室になったR君、K君と話す。
R君はまだインド入り立てで、観光する気満々。その気迫に押され、デリー観光でもするか、と久々に闘志を燃やす。
そうと決まれば、ということで目星をつけて、出発。3km程度なので歩いていく。
ジャマー・マスジットという、イスラム寺院。カメラ持ち込み代300R。
やっぱりタージっぽい感じなんだなー。ご本尊はない。これまた当たり前。
日差しも強いので、ぼーっと見ている。隣のオヤジがみかんやバナナを食い出したが、まぁ、いい。
ちょっと歩いて、もう一つ、ラールキラーへ。
ムガール帝国の建築物で、「レッドフォート」異名を持つ巨大な城壁。250R。
そういえば、入場料とか払うの、久しぶりだわーww
と、ここでR君に遭遇!マジか!
中を一緒に回ってみる。建物やら、庭園やらがあるが、まぁ、思ったほどでもない。1人だったら飽きてたな!
R君と別れて、商店街的なところを通りながら、駅に向かう。
しかしここで悲劇が起こった。
スリにあったのだ。
リュックの小さいポケットに入れたもので、個人的にスゴく大切なもの。
日本を出るときにある筋からいただいた巾着に入れた、お守りとお菓子とリップクリームと、旅の途中で手に入れた、仏教の霊的なパワーの強いもの。
つまり、金銭的にはほぼ価値のないものであり、盗んだ奴には全く意味がない、盗って「何だよコレ、チッ!」ってなって多分捨てられるけど、俺は死ぬほど大切なんだよ、畜生がっ!!
怒髪天を突いた。
しかし、である。これまでのこともあり、これは一種の「カルマ」なのだろう、という思考に至った。
……あ、ちょっと長くなるよ?
以前読んだ本で、とある女性の逸話が紹介されていた。
その人は不治の病で、死を前にしていたが、心は乱れていた。
形見としてもらった指輪が見当たらず、お手伝いの女性が盗ったのでは、という疑心暗鬼にかられ、平穏に死を迎えられない、と悩んでいたのだ。
相談を受けた精神科医(だったかな)が、彼女にこう問うた。
「では、そのことで、貴方が損なわれましたか?」
しばらく考えた彼女は、晴れやかな顔でこう答えたという「私は、何も、損なわれていない」と。
彼女は死の前に自分の持っているものを多くの人に分け与え、そのお手伝いの女性にも同じ様にした。彼女は安らかに亡くなり、死後の整理をしていた親戚は、家の中でその指輪が見つかったという。
果たして真実はわからないが、彼女の心は救われていた。
何が言いたいかというと、同じことを思いました。
さらに踏み込んで考える必要を感じる。
では失われたことに、どんな意味があるのか。
お釈迦様から与えられた(ものが仏教絡みだからね)、所有に関する問いかけ、ではないだろうか。
そうして一つの結論に至る。
大切なものを奪われて、それでもなお、「愛せるか」。
「優しさを失ってはならない。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも、友達になろうとする心を失わないでほしい。たとえその気持ちが、何百回裏切られようとも」
そういうことですね、エース兄さん!!
……いやー、強くなったわー。
つーか、残り油断すんな的なメッセージ?
メトロでコンノート・プレイスまで出て、以前も行ったスイーツ屋へ。
チョコレートドーナツとアイスクリーム(Glabro)で、125R。暑いし疲れると、甘いもの食いたくなるよね(自爆)。ついでにストレスあったしさ!
そこから歩いて今度はシク教寺院・Bangla Sahib Gurudwaraへ。
ここで話しかけてくるインド人。先ほどの決意を胸に、話をしてみる。
あー、典型的な詐欺というかぼったくりのやつキター!!
・インドは何度目か → 慣れているか
・残りどれくらいいるのか → 騙された後に訴えられるか
・家族の話をし出す → 安心させるため?
・そこは今は時間外だからやっていない → 誘導
で、正直に話をして、途中までついて行ってみる。
案の定、ここの地下がいい店とか、チャイでも飲んでけとか、休憩していきな、みたいな。
挙句、渋っていると通り掛かりの男「彼はグッドマンだから信用できる」。
……はい、信用できなーい。
行ってみたら、当たり前のように中に入れる。
お前らのカルマはドロドロだな。
シク教は人口比で見るとかなり少ないが、インド人でイメージする、髭もじゃで頭にターバンはシク教徒のしるし。
教徒以外も参詣時は同様に頭髪を隠すよう、求められ、入り口で無料で布を借りることもできる。
入るのに身を清める的なことが必要らしく、靴を預け、手を洗い、足洗い用の水槽を通過して、中に入る。
中は金ぴか、どデカいシャンデリアがぶら下がって、生演奏で経のようなものを唱えている。
こちらの心はまだ収まっていないからアレだが、比較的落ち着いていられる空間。
外には大きなため池のようなところがあり、そこで顔を洗っている。なお、昨日来たR君曰く、胸まで浸かっている人もいたらしい。マジか。
というのも、「お腹が満たされていれば、悪いことはしない」という教えのもと、無料で飲み物や食べ物を供給していたり、寺に関わる人たちも教徒たちがボランティアで行っているからだ。
富の多寡に関わらず、もらえる。お菓子を配っていたのでもらってみた。きなこ系の味の緩い米の塊みたいなものである。おっさんがすくって配っていた。不衛生?インドだから。
そのまま歩いてメインバザールに行き、ショッピングも。
お互い笑っていられる範囲での値引き交渉までが、買い終わっても気持ちがいいねぇ。
夕食はR君、K君と一緒にローカル食堂へ。
DXターリー70Rという、アレなくらい安いけどうまいところ。まぁ、1か月前にも行ったとこね。
2人のおかげで、楽しい夕食であった。
明日は遂にインド出国に向けた移動。つまり、このブログのインドでの更新は今日が最後になるわけで(明後日更新だね!)。あー新しい国やー。楽しみやー。
……けど、ちょっぴり本音言わせてもらうと、結構今日なくしたものって、大事なもんだったんだよねぇ。意味は汲み取れたし、エイプリルフールだって言われてもさ(開いた手元に戻っているならともかく)、神様も冗談キツイぜ。
本当、冗談キツいぜ……。