第三百二十六話 セブン・P / アナザー・ジャパン
出立154~55日目(通算404~5日目) パラグアイ6~7日目 イグアス居住区3~4日目
iPhoneちゃんが即シャットダウンするようになったけどアップデートしたら事なきを得たでござる(グアラニー語で『みなさんこんにちは』の意味)。
いやー、もうヤバいんだよなー。あとひと月、何とかもってほしい所だ。
さて、この日は前の日より少し早く農協へ。
こんな田舎道が広がるのだが、ここは石畳がある分、車も通りやすい。赤土丸出しの所もあるし。
お目当ては、納豆。一人では見つからなかったが、お店の人に聞いたら引っ張り出してくれた。早速宿に戻り、といで浸けておいたお米を焚く。ガラパゴスのお米ともこれでおさらばだ。
丼飯と納豆。アレですよね、皆さんからしたらわびしい食事的に映るでしょうけど、青い鳥は実は身近にいた的な、普段当たり前だと思っているものも手が届かなくなると価値のあるものになるんですよ。自分の配偶者や家族を大切にしてください。
1個5,400グアラニーの納豆は、完全に納豆だった。スゲーな、おい。
この日は本当に予定がなく、あとはダラダラとするしかない。もうお昼寝とかもしちゃう。誰かが言っていたが、この宿はまるで田舎のおばあちゃん問いに遊びに来たような感覚になる。おばあちゃん居ないおばあちゃん家だから、だれっ放しだし。
お昼になったので、土日の昼だけやっている、別のラーメン屋に足を延ばしてみる。
ラーメン竹下の店内も日本の様。
昨日の祭りについてあれこれ話しているのを聞くと、完全に地元の飲み屋に来たような感覚になる。昼からビール飲んでるし。
で、ここで餃子としょうゆラーメンを注文。
まずは餃子、8,000グアラニー。これがかなりうまい。
「ここの餃子は日本もってってもかなりレベル高い方だと思うんだよ!安いし」とおっちゃんたちの声も聞こえてきたが、160円って日高屋とかのレベルだが、それには余裕で勝っているだろう。皮のもちもちとパリパリ加減と言い、具のジューシーさと言い、文句ない。あと5皿はいける。
そしてこちらはラーメン、20,000グアラニー。先日の所よりも王道って感じのビジュアルだが、味も王道。いい具合にこってりもさっぱりもしているし、スゲー旨い。あと1杯いけたな。大盛りにすればよかった。
そしてついでにこちらの小豆バーも購入。3,000グアラニー。手作りとあったが、それでも固いのは一緒なんだな。小豆のせいなのか。
物価差し引いても海外で高くなりがちな日本食。それがこのクオリティで620円くらいとは、いやはや恐れ入った。
午後も引き続きダラダラしていたが、18時過ぎに奥さんが。
実はペンション園田は「ウェルカムおにぎり」と称して、おにぎりと味噌汁をご馳走してくれるのだが、ラーメン屋とお祭りで先延ばしになっていた。それを今日持って来てくれたのだ。
「ちょっとブラジルまで息子迎えに行ってくるから出掛けるわね、ごめんね」と言われ、思わず吹き出してしまった。えっ、何その「ちょっと隣町まで行ってくる」的なブラジルの使い方は!?さすが国境近く。群馬県民よりブラジルが身近だ。
ごめんねに含まれていたのか、私が一人だったからなのか、おにぎりではなくご飯と味噌汁と肉じゃがと漬物だった。って完全に日本食じゃねぇかっ!?スゲーラッキー。
うまい具合に炊けてもパサつく南米米と違い、しっかりと粘つく日本風の米。スゲー久しぶりだ。なんだこれ。あとで聞いたら日本の昨年の何がしかの賞を取った米だという。
うーむ、予想以上に日本を堪能しているな、私。
量が多かったので翌朝にも食べ、のんびりしていると、園田さんが。
「いやー忙しくて構えなくて悪かったねー。良ければ車出すよ」というお言葉。
そう、なんかここに泊まった人のブログとかではどこかに連れて行ってもらった的な話があったのだが、1人だからかなーとか思っていたのだ。お祭りはあったし、JICAの人らも来ていたし、ついでに別途来た観光客の案内もしていたそうな。勤勉だなぁ、園田さん。
車に乗って出かけたのは大豆畑。パラグアイでは年間1200万トンくらい生産しているらしく、日本の約3倍。日本からの移民が醤油・みそ等を作るために始めたのが、今では国単位になったとか。
ちなみになじみのない赤土だが、パッと見の印象に反してかなり肥沃な土地らしく、ガンガン育つらしい。鉄分と玄武岩で構成されているとかだったかな。
畑の向こうには湖が広がっている。入り組んだ地形にあるので全容は見えないが、琵琶湖と同じくらいのサイズがあるんだとか。
ここから園田さんが館長を務める移民資料館へ。もとはJICAの施設として別の所にあったのを、園田さんがここに持ってきたとか。
さて、ここでイグアス居住区の歴史についてお話を聞いた。
パラグアイは1537年にスペインの植民地とされたが、元はグアラニー族の暮らす国であり、今も国民の大半がそうで、2%くらいをメスチソの人々が占める。1811年に独立。もとはもう少し大きな国だった様だが、1864年に勃発した三国戦争により、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイに領土の多くと、国民の60%を失う結果となった。
当時のパラグアイの国策は戦時中の日本と同じ考え方だったようで、「勝利か死か」という姿勢で戦争に突入していったのだ。
この戦争によって、日本の1.1倍程度の国土にわずか20万人の国民となったパラグアイだったが、戦後日本がそうであったように、国を建て直すには人の力がいる。そこで始めたのが、積極的に移民を受け入れることだった。
これによってパラグアイ各地にオランダやロシア、ドイツといった様々な国の居住区が生まれ、日本もそれに倣う。おりしも太平洋戦争の前年から受け入れが始まった移民だったが、パラグアイが連合国側になったことで移民の受け入れはストップ。ただ、日本移民の勤勉さや社会への貢献から、この間も差別などはなかったようだ。
そして戦後。焼け出された日本人たちは職にあぶれ、特に北国等の厳しい環境にあった人々が、一年中作物の作成ができるこの地への移民を勧誘され、ここに南米への移民が大々的に開始される。10年間で8万人の移民の受け入れをパラグアイと協議していたのだが、日本はそれから数年で高度経済成長に突入し、国内でも人手が必要になった。こうして移民もその数を減らしていくことになったのだ。
実際にはパラグアイも原生林を国が買い取っていた状況で、開墾が必要であり、そんなに簡単ではなかったようだが、もっとやばい状況の国もあり、「だまされた」ということで国を相手取った訴訟なんかも起きた。
北朝鮮への移民も確かあったように思うが、苦しい状況で「より良い楽園がある」と聞かされて旅立った人々は当時多かったのだろう。運よくパラグアイで成功した方も多いというが、それを分けたのは運だったのだろうか。
実際移民が減ったことで、分譲予定だった土地を買い取って大規模な大豆農園にして一財産築いた人もいるのだからわからない。ちなみに、今年の初めに移民された方もいると聞く。たしかに、住みやすそうな土地であると思う。
「そういうわけだから、日本を建て直すには人手が必要。君も結婚して種をばらまきなさい」というありがたい言葉を賜った。何て説得力があるんだ!
初日にはのほほんとされた方だなーと思っていたが、ここで話をされる時の園田さんの目には力があった。昨年は眞子さんも訪れたというが、大学教授とかいろんな人が来るらしい。タイのパーイにいたケンさんもそうだが、何か人を引き付ける魅力を持った人というのはいるもので、海外に来てまで日本人に会いに行くというのは、実はすごく意味のあることなのだと思う。
ま、もっとあけすけな話も聞いたがww、自分の金で自分勝手にバックパッカーをやっている人間だが、その世界を見てきたことは何がしか役に立たせるべき責任があるという話には、考えさせられるところがある。そうだね、帰ったら就活しないとね。
腹も減ったしということで、宿に戻る。宿の隣はレストランで、パラグアイ飯が食べられるというのでお願いした。
タジャリンだろうね。12,000グアラニー。チーズの様なこってり感があってうまい。
ここまで「なに日本食ばっか食ってんねん。そんな興味ない言うてたやん。日本食ならウチで見れんねん」と思ってた皆様、僕もそう思います。納豆のくだりでいろいろ書きましたけど、それ旅行中のお前も現状楽しめや、って言えますからね。違うんです。単純に地元飯食えるところわかんなかったんです。それくらい日本塗れの街。
さて、ペンション園田には初日にも書いたが犬がいる。
4頭の秋田犬で、っていうか秋田犬ってこんなデカいっけ?ってくらいのサイズ。
そして猫。
鼠が出るからともらってきたが、まだまだ小さいのでイマイチという。犬との体格差がやばい。
この三毛猫が膝にのってくるのだが、撫でていると噛もうとするので、どうしたいのかわからない。そして猫が甘えていると犬も寄ってくるという状況で、動物好きにはたまらない。
伝え聞いたところによると、民宿小林も今は人がいない様で、例年より人が減っている様だ。昨年はブラジルワールドカップの期間中ビザ代掛からないからということでブラジル行く際に寄る人が多かったというが、それを差し引いても少ないらしい。どうしたバックパッカー!あんなにいっぱいいたのになんで俺今希少種やねん!
さて、もう1つのサービスがここにはある。
お願いすれば、「パラグアイ式焼肉」が5ドルほどでお願いできるのだ。まぁ客の増える見込みもなさそうなので、お願いする。
こういう窯があるのがすごい。ここで牛の塊とチョリソを焼き、別途サラダとおにぎりを奥さんが提供してくれる。その圧倒的ボリュームたるや、5ドルとは思えない。
実際かなりのサービス価格で、どちらかといえば赤字。それでも「楽しんでほしい」という園田さんのホスピタリティの現れだ。おい皆、早く来てくれ!
あ、犬と猫は大丈夫です!あげられないので!っていうかかわいいな、お前ら。
この肉が抜群にうまい。赤身の残る状態で、塩とレモンを絞ったのみなのに、滅茶苦茶うまい。蒸し焼きにできる窯の構造もあるのだとか。うう、幸せ……。夢中で食ったので写真は以上ですww
ついでに超簡単に隅に火をつける方法も教えてもらったので、今後BBQでもやる機会があったら、これ見よがしに披露して名声を得ようかな。
ワインも1本空けて腹パンパン。苦しいくらいだが、それでも余ったので、それは明日に回す。
さて、翌日は朝早くから遠出。個人的には当初予定していた最後の山場となる観光だ。
うーん、こうやって終わっていくんだねぇ。
残り20日を切った冒険の旅、どうなる第327話!?
輝く自然が、我を呼ぶ!
第三百二十五話 セブン・P / 地球の裏側盆踊り
出立152~53日目(通算402~3日目) パラグアイ4~5日目アスンシオン4日目~イグアス居住区1~2日目
珍しく8時過ぎまで目が覚めなかった。
そのために幼稚園に向かったマナちゃんとお別れの挨拶ができなかったが仕方がない。どうせあたしの事なんかすぐ忘れちゃうわよ……。
朝食と荷造りを済ませてバス停へ。上田夫婦ご両人にも本当にお世話になったところ。最後までご丁寧なお見送りで、感謝だ。
さて、大通りまで出た私はバスターミナルに向かうバスを捕まえる。
荷物おろして席に座り、GPSを確認したらもう降りるところだった。は、早い!
ターミナル内からはいくつものバスが出ていると聞いていたが、客引きの男に連れていかれると、何故かバス会社の裏口へ。絶対ボラれているので別の所へ。
シウダ・デル・エステまで60,000グアラニー。そういえばメキシコの日本人宿で、「パラグアイのバスは値引き交渉できる」という話を聞いていたのを、バスに乗っている時に思い出したので、皆さんはしてみてください。奥様は「50,000グアラニーくらい」と言っていたので、それくらいまで落ちるのかも。
さて、バスはガンガンエアコンの効いた2階建てバス。なのだが、これまでのローカルバス同様に途中でガンガン人を拾っていく。最初は広々2席使えたが、次第に混み合う。
映画も流れていないので、音楽を聞いたり、ぼーっとしたりで、結構時間の使い方が余ってしまった。よく休めていたからだろう。ほとんど眠くならなかったことも大きそうだ。
そんな中、前日の余りの半あーがーを食べ始めるのだが、これが終わらない。何て量だ。恐るべし。
なお、物売りも結構来るので、食べ物を持っていなくても大丈夫だろう。
11時半ごろ出て、大体17時半ごろだろうか。
今回降りる「イグアス居住区」の宿は、シウダ・デル・エステの街から41km地点にあるため、乗る際に伝えておく。GPSを見ながらタイミングを計れば完璧だ。
ビビッて入り口前に早めに出ていたが、それまでの様子を見るに、きちんと呼びに来てくれる。まぁ降りる位置がきちんと伝わっていれば、だが。
こうして無事に降り立った41km地点。目の前にはガソリンスタンド。ここから目的の「ペンション園田」には、バスの進行方向左、つまり通りを渡って石畳を進む必要がある。50mも行けば左手に門が見えてくる。4匹の巨大な犬が吠えながら現れるぞ!
案の定、この宿も一人。Oh……。一番安い部屋35,000グアラニーにして、取りあえず説明を受ける。
この日は金曜日で、週末だけやっているラーメン屋さんに行くのがよさそうだ。情報ノートを見たり、日記を書いたり……をテラスでしようと思ったら蚊に襲われた。忘れていた。アイツらがいることを!そうなんだよな、夏なんだよ!
ということで、開店前に軽く街を見て回ることにした。
このイグアス居住区は日本からの移民が多く住む町であり、すでに2,3世も住んでいる。所々で日本語が飛び交い、日本の文化にも触れることができる。
こんな看板もあったり。うーむ、地面の赤土以外は完全に昭和の風景。
お目当ての「農協」はしかし閉店していた。18時までだったか。シエスタの時間がある点は南米だが、その表記が日本語でされているのが面白い状況だ。
別のスーパーで価格調査。アスンシオンとそこまで大差はない。ビールとワインとお菓子を購入し、宿に戻る。いい頃合いなので、再度ラーメン屋へ。
ま、ラーメン屋っていったけど、スナックで、金~日にはラーメン出してます的な感じらしい。即席系以外ご無沙汰の私を、満足させられるかな?
入り口。もうこの時点でここはどこなんだ状態。地球の裏側なんだが。
入ると完全にスナックで、開口一番に「いらっしゃい」と言われて面食らう。まぁ麺食らうわけですけど、カウンターにも日本人がいて、日本語で会話。テレビでは日本の番組。もう訳が分からない。
混乱する私におそらく2~3世の子だろう。日本語でいろいろ説明してくれる。いや、それがさらに混乱するわけだがww
らぱちょ行ってなかったらさらに訳わからんことになってただろうなぁ。
ラーメンの中22,000グアラニーを注文した。リーズナブルだな。小~特大まであったし、ライスもあったのでラーメンライスもできそうだったが、いやいや落ち着け。
こちらである。うむ、まさしくラーメン。
鳥をメインにした塩系のあっさりスープで、浮いた油で最初はこってり風味だ。チャーシューに見えるのは鶏肉で、甘辛く煮こまれた柔らかさがスープに合っている。注目は麺で、自家製と思われる。もちもちで日本にもなかなかないタイプだ。うむ、うまいぞ!
途中でビール頼んじゃうくらいに旨い。そして冷やし中華もある様だ。
また、店内では日本食品も売られていて、みそ漬けや梅漬け、さらにイカの塩辛まである始末!うっ、こ、これはっ!思わぬ伏兵。しかしこの量を数日で食いきるのは不可!と諦める。
クリームパンまであって、これには迷ったぜ……。
カウンターにはおじさんたちが並んでマスターと話しているが、彼らも移民。塩辛を初めて食べた話なんかを聞くと、見た目も言語も完全に日本人であるが、やはり違う環境で育ったのだということがわかる。不思議なものだ。
ちなみにテレビで流れていたのは録画された「イッテQ」。ブログタイトル的にアレだが、世界の果てまで来て世界の果てに行く番組見なくてもいい気がする。
さて、満足した私は宿に戻って一人で酒盛り。
ここを紹介していたブログでもなんか楽しそうだったが、1人ってのがね。あ、でもNHK見られるんで、あさイチ見ながら飲むっていう日本でやったら完全にダメ人間な真似もできた。いや、今まともな状態かと言うと、それもそうなんだが。
そこに奥さんが登場。扇風機やら色々設置してくれた。最近は宿泊客自体が減っているそうだ。
イグアス居住区には2つの日本人宿がある。このペンション園田と民宿小林と言われるところだ。Jマップにも両記載があったが、メキシコで会った女性からペンション園田を勧められて以来、既に決めてきていたが、どうも最近は小林人気がすごいらしい。あちらの方が新しく、町から離れていることもあって自然が堪能できるのだとか。
ま、確かにこっちの方が年代ものって感じだな。でも人が、特に若いのが多いのも好きじゃないので、これでいいです。時間あれば、両方行くのもありかもしれない。
さて、翌日。とりあえず朝からやっているらしい農協に出掛けてみる。
朝といっても8時過ぎ。既に太陽は高く登り、日差しは強い。しかし湿気がないのが幸いしてしんどいほどではない。
中央公園。鳥居があるが、神社そのものはない。しかし日本感が一気に出る。
農協は7時からやっていて、やはり日本人がたくさん。もうなんだろうな、訳わからん。
お弁当も売られていて、焼きそばが安いので買ってしまった。
宿で前日のハンバーガーとで。昼のつもりだったが、気付けば10時過ぎ。朝食だな。
焼きそばは12,000グアラニー。さすがに日本人居住区だけあり、日本食だからって滅茶苦茶な値段ではない。
ここを紹介してくれた人も言っていたが、ぼーっと過ごすのがここでの時間の使い方だ。街も取り立ててみるものがあるわけじゃない。まぁ日本人が住んでいるってだけといえばだけだからね。
マナちゃんみたいな子もいないので、動画見たりお昼寝したりでゆっくりと過ごす。
リビングにはこんなものも。堤チーフ、意味わかるようなわからんような感じです!
さて、そんなことしていたら奥さんが呼びに来た。
「盆踊りがあるけど行きませんか」
そうなのである。実はこの日、たまたまこの街の夏祭りが行われるらしい日で、特に告知もしてなかったらしいのだが、運よく私は居合わせたのである。よっしゃラッキー!
庭に出ると「JICA」メンバーとしてパラグアイで活動する若者たちが。そういえば、この日は10人くらい来るって園田さん言ってたな。浴衣女子も見れて満足。今年初浴衣だが、やはり3割増しだな。
車に乗っていく彼らを見送って徒歩で中央公園へ。ちょっと距離あるわけだが、7時も回れば涼しいくらいだ。近づくにつれ、祭囃子が聞こえて来る。おいおいマジかよ。
そして中央ステージ。櫓の上には太鼓。お馴染みの「月が~出た出った~」の曲。繰り返しますが、ここは地球の裏側。赤土と時折見かけるパラグアイ人以外は日本だ。
浴衣とドレスっこ混ぜた様なのきているちびっこがかわいい。
屋台も出ている。日本食も~20,000グアラニーくらいで並んでいる。ちまちま日本食レストランに行く必要なかったな。
JICAメンバーが気を利かせて誘ってくれたので、彼らのテーブルに着く。
こちらが私の購入した鳥南蛮とビール。カリカリ&甘カラダレでいい仕上がり。日本人が背後にいるかどうかで、日本食料理屋はだいぶ違う。
研修所が私の地元にあるようで、ここに来るまでの経緯やどんな支援をしているのかを聞く。JICAの人らときちんと絡むのはトルコ~ギリシアの青の洞窟に行った時以来だが、教師や看護師、農業従事者など、幅広い層がいる。こういう時、自分の前職が役に立つものなのか、想いを馳せちゃうよね。
バックパッカーみたいな渡り鳥とは違い、一つ所に根を下ろして活動する彼らの方が、より深くその国を知ることができるのは間違いない。日常的に現地人と触れ合うのだから猶更だ。そういう点が羨ましく感じると同時に、私の様に我慢弱く、落ち着きのない人間には務まらんだろいうなぁという気もする。だっていろいろ見たいじゃん?
しかしアレだな。こういう属性の違う、完成された輪の中に入るのは勇気と行動力が求められる。戦隊の6人目というか、追加メンバーが何か尖って個性出したくなるのもわかる気がする。
「この機会にたくさん飲んでください」なんて言ってくれていろいろと摘まませてくれたが、お好み焼とかタコ焼き、更に刺身まで食えたのは衝撃だった。内陸国やぞ!
この間も盆踊りは続く、いや、まぁ盆じゃないんだが、背中にゼッケンが振られていて、どうやら審査されていた様だ。その結果がアナウンスされている。
さらに神輿も。スゲーな、これはどうしたんだろう。持ってきたのか、こっちで作ったのか……。
そして仕上げに花火があがる。2000年代の夏の定番曲みたいのが流れ、訳の分からない半端なノスタルジーを感じながら、祭りは幕を閉じた。
帰り道も一緒に歩き、ペンション園田まで戻って初めて知ったが、彼らは奥にある別の建物にステイしていたのだ。なんか2次会みたいのやるって言ってたが、1回シャワー浴びてみると、今更合流しに行くのもどうなんだろう、という気がしてきた。手元には食べかけのお菓子とビール2本で、特に持っていけるものがない。しまった、流れで行っとけばよかった!
しかし同じ国というだけで任地も違う彼ら。ここは大人しく引くのもまたいいのではないかと、見送ることにしたのだった。
べ、別にジードの最新話が配信されてるの思い出したからじゃないんだからね!
さて、特に理由もなくあと2日はここにいる予定なので、まぁのんびり行こうかな。
輝く自然が、我を呼ぶ!
第三百二十四話 セブン・P/ 恐るべきニチアサの罠
出立149~51日目(通算399~401日目) パラグアイ1~3日目アスンシオン1~3日目
朝食はどうやら出ないようだ。
バスはほぼほぼ定刻通りにクロリンダの街に着いた。バスターミナルではないどこかだったが、いちいち騒ぐことでもないだろう、最早。
国境の町というのはどこも同じような雰囲気で、観光で訪れる都市とは10年くらい時を遡ったような雰囲気を持っている。ここもそうだ。
ちょっと用心しつつ、パラグアイとの国境へ向かう。
クロリンダからの国境は3か所あるようで、陸路だとバスも通る大きなところと、商店街にポットある、主に地元民が使うところがある。
後者はが面白そうで、歩いていける様なので、こちらにする。
Maps.meにも地味に表記があるので、案外楽だ。周りはマーケットになっているが、重い荷物を背負っているので、さっさと通過。
で、本当に商店街の奥にこれが現われる。右にフルーツが並んでいるのが見えるだろう。
どうもアルゼンチンとパラグアイの両国民はパスポート無しで通れるようだ。どの程度まで通れるのかわからないが、生活圏が被っているんだろう。
この右手にそっとパスポートコントロールが並んでいる。
宿の方からも言われていたが、うっかりパラグアイのイミグレを忘れることがよくあるようで、アルゼンチン側の兄ちゃんも、隣行けよと注意してくれる。
特に書類も不要で、下手するとこれまでで最短の国境通過だ。
この橋の向こうがパラグアイ。もう本当に生活圏。
ここから首都アスンシオンまでは、バスで1時間半ぐらいの様だが、バス代の調達が必要だ。
両替商に効くと、アルゼンチンペソからの両替はかなりレートが悪い。
そういえばアルゼンチン側の方がいい、なんて聞いたことがあったな。
アルゼンチンにはまた行くし、ただでさえレートが悪い中交換しているものを更に減価させてもアレなので、ここは持っていたドルを交換。ま、これもそんなに良くないから、アルゼンチン側でしてくるのがいいだろう。
バスはかなりローカルなものだったが、運よく一番前の荷物が置けるスペースに座れたので、ここでのんびり揺られることに。物売りやらが乗り込んでくる、南米特有のローカルスタイル。バス料金的にも6,000グアラニーだったかな。安い国に返ってきたぜ!
あ、グアラニーは0を2つ取って2倍にすると大体日本円。つまりこの場合は120円。
さて、地図上だと目の前なのだが、川を迂回したりで1時間半以上が経過。長閑な風景から、瀟洒な住宅街みたいな雰囲気の中、終点へ。終点……どこだ、ここは。
GPS見ると住宅街の真ん中。大通りまで出てバスを拾えばいいか、と出てみると、あと1.3km。歩くか!
こうして夏を迎えつつあるパラグアイの日差しの中を、重い荷物を背負って進む私。
おおい、これマンゴー?大量だなぁ……仰ぎ見ると鈴なりの木がちらほら。食えるのかなぁ。
本日のお宿・らぱちょに無事到着した。
ここはジュンジさんのJマップにも記載された、元旅人の夫婦が営む日本人宿だ。
かなり評判もいい。
ここまでに崩した体調を整えるべく、のんびり過ごすつもりでやって来たわけだ。
早速冷えたお水で体調を整えつつ宿の説明を受ける。
「今オフシーズンでお客はいません」と奥様。
えーっ!?
いや、オンシーズンがいつなのか、南米はいまだによくわからんが、つまりなんかこう、旅人同士の交流なんかが、日本人宿に来たらしたくなるわけじゃないですか、ウザい時もあるけど。
まぁいいや。休みに来たんだし。
さて、アスンシオンはパラグアイの首都。ブラジル、アルゼンチン、ボリビアに囲まれたこの国だが、前回も述べたが、取り立てて目立つ観光スポットはない。どれくらいないかと言うと、『地球の歩き方』でこの国だけ2色刷りにされているレベル。さらに記載の仕方も何か侮っている様な具合だ。
ただし、多くのバックパッカーが沈没する国でもある。
取りあえず飯にしよう。
宿から大鳥まで下ったところのこぎれいなレストランを勧められたので入店。ここで例によって訳の分からないものを注文してみた。
ピラフ的な?お肉たっぷりでおいしい味付けだ。少なくともボリビアよりおいしい。15,000だからそんな安いわけでもないか。そして何よりデフォで付いてくるパンの存在。ライス主体の食い物じゃなければ、丁度良かったんだが……。
このままスーパーに行こうと思ったら、あまりの暑さに一度宿に戻ってしまった。といっても32度くらいのもんなのだが、しばらく高地にいたために、少し面食らった次第。
さて、しばらく日が傾くのを待つ間に、Jマップで前日までいた街・サルタの見どころとされた『雲の列車』の話でも。
雲の列車は世界一の標高を走る列車だとかで、チリの国境辺りまで走る観光列車だとか。
どのツアー会社にもあったが、ネットで調べた限り、数年前で17,000円とか。アルゼンチンの急激な物価上昇を鑑みれば、今はもっと高いだろうな。
ブログなどでは「あの」写真が撮れるのはこの辺り、みたいな紹介がされていたが、全く見たことのない写真だったので、そこまで有名になり切れてないんだろうなぁ。
ご飯も付いて優雅なものらしいが、鉄道オタクでもカップルでもないし、今の体力と気力で乗ったら雲どころか天国に行っちゃうかもしれないので、やめておいた。うむ、ま、彼女でも出来たら行くかな。行かないってことかな。
少し日も傾いたので、お金を降ろしてスーパーにやって来た私。
ネット環境なのか、日によって使えるATMが異なるとか聞かされていたが、2軒目で使えたので、良かったのかな。
そしてスーパーに入って、何故沈没者が出るのかわかった。や、安い!
アルゼンチン同様に肉とワインが安いのだが、圧巻はビール。安いもので12缶24,600グアラニー。そうです、12本で500円暗い。つまり1缶40円くらい。あーこれはダメだ。
お菓子も国産のものが安いのはボリビアと一緒。もちろん国産ですよ。輸入物は他の国っていうか、日本でも食えるヤツだからね。
何もない国とか言ったが、ビールが安いだけで大好きな国になってしまったぜ。
宿で情報収集をしていると、奥さんと娘のマナちゃんが帰ってきた。マナちゃんは5歳。これがまたくりくりした目で可愛らしいんだね。最初は距離を取っていたが、すぐに慣れ、いつの間にか彼女のペースに巻き込まれて遊んでいた。さすが宿屋の娘。コミュニケーション能力の高さたるや。
海外勢とはいえプリキュアが好きだという点は変わらない様で、双六を取り出した。
これを一緒にやるのかと思っていたら、お人形遊びが始まった。子どものイマジネーションはマジスゴイ。ストーリーもすごかったけど。
そのうち節分の鬼のお面を塗り出している横で情報ノートとか見ていたが、お面の切り取りが終わると、ごっこ遊びをしよう、と提案……された。
「私が鬼やるから、お兄ちゃんプリキュアやって」
俺がプリキュアやんの!?一つも要素合ってない!いや、そもそも好きなら君がやりたいんじゃないのか!?
困惑する私をしり目に、「早く早く!」と急き立てるマナちゃん。
なんてこった!これは伝説級の難問だ。なんとなくニチアサ枠だから知った様な気でいたが、いざやれと言われると全く何も思い浮かばん!こんな無茶ぶり日本語でされたのはリーマン時代以来や!
取りあえず漫才の出だしみたいな感じで始めて、一挙手一投足の前に「キュア」ってつけとけみたいな感じでやってたが、合っていたんだろうか。子どもに「違うよー」って言われるお父さんの気持ちが初めて分かった。ま、最終的にかめはめ波撃ってたけどな。
子どもはとにかくパワーがある。
療養に来たのに力いっぱい遊んじゃって意味ないんじゃ、とも思ったが、気力は充実して、むしろ調子がいい。子どもにパワーがある、というのはいろんな意味があるもんだ。
ただ、小さい女の子と遊んでいると、どうしても「事案」という言葉がちらついて、どの程度までやっていいのかという正解のない躊躇が生まれていたのも事実だ。まったく、変態よ、滅べ。
夕飯は玉ねぎまみれのステーキと冷やしトマト。そして奥が40円のビールだ。ビールは南米らしいテイストだが、普通にうまい。日本の発泡酒とかより断然うまい。そら本物ですものね。ただ、滞在3日で12本飲むとなると、休む気あんのかって感じだがな。
翌朝、パンとコーヒー・紅茶の軽い朝食付きで、下でやっている食堂の余りがもらえるときもあるとか。この日は味噌汁ゲットだぜ。
実は前の日もいただいていたのだが、赤だし系。取り立てて日本食食べなくてもいいかなーみたいな気分だったが、実際に一口含んでみると、ああ、やはり俺は日本人なんだな、としみじみに思うのであった。
もとより休む気でいたので、外出も特にせず、宿にある漫画を読みだす。「三つ目がとおる」と「City Hunter」をチョイス。やっぱ手塚治虫天才だわ。この呪文にセンスが……。
とかやっている内にマナちゃんが帰宅。午前と午後で日本語とスペイン語の幼稚園に通っているといっていたが、スペイン語の方が夏休みに入るのだとか。
そうです皆さん、南半球なので、これからが夏休みなのですよ。
つーかもう昼じゃん、ということで、昼飯を食いに出かける。
メルカドを見て回ったりしたが、どうもピンと来ない。そのうちに韓国人経営のパン屋に。日本系のもあると聞いていたので、ここで買って戻ることにした。
パラグアイはハングルを町中で見かけることが結構あり、日本人もいるが韓国人も多い国の様だ。
宿に戻ってこちらがお昼。あんパンと、手前はなんかしょっぱいかと思ったら甘かったパン。
パン生地がもちもちとしていて、パサパサの南米系とはやはり違う。あんこも結構いい感じに再現できている。うまい。
午後は当然の様にマナちゃんと遊ぶ。他に宿泊客がいたら過ごし方も違ったかもしれないが、そうなると、どうだったんだろうなぁ。
この日は隣の男の子も現れ、二人を振り回したり水遊びしたりで大騒ぎだった。別に楽しんでるからいいが、休めているのか、俺は!?
食材の都合で夕食は前日と同じものに。酒が潤沢にあると心にゆとりができるのがいい。この日はおかしも食べたが、日系の企業のものらしい。仕上がりにムラがあるが、安くていい。
翌日。ここまで読んでいただいたみなさんもお気づきかと思うが、まぁ写真がないほど行動していなかったので、流石にセントロまで行ってみっか!と腰を上げる。ちょっと曇っていたので、出掛けるにはちょうど良さそうだ。
らぱちょからセントロまでは結構距離があり、歩いていけないほどではないが一苦労だ。
アスンシオンは地方都市っぽい感じだ。コロニアル系の街並みなのだが、地図見た感じ、セントロにカテドラルもなさそう……
ハイ、メインの広場にある霊廟。パリのアンバリッドを模して造られたもの。興国の英雄が祭られているらしいが、工事中で入れず!
独立の家。
1712年に建てられたコロニアル風建築で、1811年のパラグアイ独立発祥の地である。
三国戦争当時の大統領の邸宅にもなっていた様だ。ここはガイド付きで、英語で話してくれたのだが、イマイチわからなかった。興味がわかなかったんだろうな、我ながら。
ここから川の方にしばらく歩いて見えてきたのが、大統領邸宅。
19世紀後半にパリのルーブル美術館を模して建てられたという。ヨーロッパ被れだな。
川岸まで出てみた。うむ、濁っている。こんなもんだろうなぁ。
帰りに旧鉄道駅へ。そういや、今は走ってないんだなぁ。
さて、ひねり出して見てみたが、本当にすることがないんだな!諦めて宿へ戻り、その途中でスーパーに寄った。
丁度マナちゃんも幼稚園帰り。「お兄ちゃーん!」と呼んでくれるのだが、いかなる時もこうなので、時々テリーとドリーを思い出す。
買ってきたのはこちら、「ソパ パラグアイ」。奥様曰く、コーンポタージュ煮詰め過ぎて出来た的な由来を持つもので、その名の通り、チーズ掛かったコーンの塊といった感じ。雑な経歴だが国の名を背負っている、付け合わせ等でよく使用される料理らしい。うむ、悪くはない。
ちょいちょい遊びつつ、ここで今後の航空チケットを購入。おお、ついに帰国が見えてきた!
マナちゃんの遊んで攻撃に妨害されつつ風呂を出て、夕食へ。
らぱちょ1階は「菜の花食堂」になっていて、お父さんが営んでいる日本食レストランだ。リーズナブルな定食屋をコンセプトに、かつ丼などの定番をはじめとして、様々なメニューが提供される。
折角なのでお願いすることにしていたのだが、初日から迷っていた。案外、数か月ぶりにいざ日本食を何か一品食べるとなると困るものだ。
悩みぬいた末、焼き鳥をオーダー。
1本5,000グアラニーで、外の焼き場できちんと炭火焼きにしてくれる。皮、モモ、ハツ、レバー、砂肝をたれでオーダーした。塩ならペルーでも食べたし、日本らしさを出すならタレだろう、という発想からだ。ハツと砂肝をたれで食べるのは初めてだが。
これがうまい。皮はパリパリだし、他のも日本の居酒屋で食べるのとそん色なく、ビールに合う。思わず笑みが漏れるほどだ。
奥様がおっしゃることには、パラグアイ人は結構不器用だったりいい加減だったりするようで、なかなか教えるのが難しいらしい。文化や考え方の違いというのは出るものなんだな。
さて、少し量を控えたのは訳がある。この辺りにはもう1つ、名物がある様だ。超巨大ハンバーガー。1kgを優に超えるという代物で、1度の完食はなかなかに厳しいとか。
それなら買ってみようということで出掛けた。
で、デカい!
隣に置いた缶ビールでお分かりいただけるだろうが、ほぼ同じ高さ。そして小鍋くらいはある大きさ。以前、某国際的なハンバーガーメーカーが「日本のハンバーガーよ、遊びは終わりだ」とか抜かしていたが、これくらいのを出してからデカい口を叩いてほしいものだ。あ、ちなみにこれで35,000グアラニーなので、700円くらい。やばい!
肉もかなりの厚さがあって、店でしっかり焼いているので味もよし。トマトやチーズのアクセントもいい感じだ。店ならサルサが数種あるのだが、味変しないと後半はきついだろう。
まぁ翌日のお昼に回す気満々の私は普通に半分くらいで残したが、それでもかなり腹は膨れる。
宿の情報ノート上ではこれを一気に食べることに美徳を感じた様なイキッた大学生みたいな書き込みが散見されたが、そういうことしないで普通にシェアするのもいいだろう。相手がいれば。
そんなこんなで最終日のステイも終わりを告げた。
さて、翌日はパラグアイ内での移動だ。
戦後に移住した日本人たちが暮らす村だという!日本人周りが続くが、その先はまた修羅の国に向かわなければならないので、チャージが必要なんだ。みんな、応援よろしく!
輝く自然が、我を呼ぶ!
第三百二十三話 モーター・A・ダイアリー / 血の定め
出立147~8日目(通算397~8日目) アルゼンチン3~4日目 サルタ3~4日目
起きた時に気付いた。あ、ちょっと体調悪い。
やっぱ完全回復前においしいからって酒飲み過ぎたのはよくなかったな。全く後悔してないが。
ちょっと早めに来たツアーの迎えのバンに乗り、静かに他の客のピックアップを待つ。ペットボトルを凍らせておいたのが良かった。頭や首を冷やしながら待つ。
さて、今回のツアーはCafayateという街の周辺を巡るものだ。
片道3時間半くらいの距離にある小さな街で、ダイナミックな渓谷を見ながら向かう。朝7時半ピックアップで、12時間で帰る。申し込んだときは思わなかったが、結構ハードだな。レインボーマウンテン程じゃないが。
ちなみにツアー料金は550~600ペソ。600のところはトリップアドバイザーマーク付きだったので、聞き忘れたが、もしかすると英語のガイド付きかもしれない。
つまりガイドは英語出来ない。インカムを装着して道々喋りながら運転していくガイド。結構笑いも起こっているので、旨い調子なのだろう。1mmも理解できなかった上に体調が思わしくない私には、雑音でしかなかったわけだが、どうも他はアルゼンチン人か、違っても南米の人ばかりの様で、珍しく外国人的な参加者はいなかった。いや、そういう人は他のツアーなのかもしれないが。
とはいえ景色だけは何となくでも楽しめるものだ。ダイナミックで面白いが、最近の私のブログ、大体山とか岩の景色ばっかりよね。地形的にはすごく面白いのだけれど。
1度の休憩を挟み、最初の目的地へ。
「悪魔ののどぼとけ」と言われる場所。ダイナミックな地形で、入り口には露天商が訳のわからんお土産を並べている。
川の浸食で削られた地形らしく、今でもときどき氾濫するらしい。
以降も何度か停車しては写真撮影タイムが発生。
うわー、なんかのマンションみたい。ガイドが「中国!」とか言ってた気がするが、集合住宅といえば、なのだろうか。面白いが地味だ!
これは何かの動物か?わかりづらいが犬かな。こういうのってもうこじ付けだよね。
なんとなく、コロンビアで見た、何でも太らせるというタイムマシーン3号のネタ的な絵を描くボテロさんを思い出させますな。
アルパカにしてはデカいし、リャマにしては体系がアルパカだし、謎の動物。相変わらず訳の分からない露天商が買っているものの様だが、撮影代は取られなかった。
そしてカファジャテの街の手前で停車。ワイナリーだ。
そう、カファジャテはアルゼンチンにおいて、メンドーサに次ぐワインの産地。酒を愛する私としては、来ないわけにはいかなかったのだ。
目の前にはブドウ畑が広がる。サボテンとの揃い踏みが南米らしい。
ドライバーの説明だと、他にはたばこも名産っぽい。もうね、「たばこ」っていう単語を聞き取っただけだから、詳細は不明。でも、水捌けがいい土地なんだろうね。
ワイナリーの姉ちゃんの説明も全く理解できないので無視していたが、ここで作っているのは間違いなく、国際的な賞も何度かとっている様だ。
そしてお待ちかねの試飲タイム!
白からスタート。貴腐ワイン程ではないかもしれんが、かなりの甘口ワインで、女性受けしそうな一品。
赤は2種類。最初は白と同じラベルのもので、こちらはベーシックな赤。渋味とスパイシーさがある辛口ワインで、肉に合いそう。そして、スーパーで買った安いのより確実に高そうww
2杯目は別ラベルで、何と甘い。いや、赤らしい渋味と同じくスパイスのような風味がありつつ、甘いのだ。ちょっと赤で甘いのは飲んだ記憶がないので衝撃だったな。こっちの方がお値段は高かったが、最初の2本は130ペソ(約780円)~とかで買えることを考えると、さすがはワインの産地と唸らざるを得ない。
さて、緩やかな回復傾向にあった体調は、ワインによってすこぶる良くなり、バンは出発。
街でお土産屋によって、しばらくの自由時間へ。
ガイドはスペイン語ながらも個別に集合時間を教えてくれ、助かった。というか、これまでこんなに聞き取れなかったことなかったので、おそらく集中力も散っているのだろう。体調なのか、モチベーションなのかww
街は大変小さく、見るところも少ない。これは……なんだろうな。
というか、日曜日で店も中心地以外開いてないので、安いものもないし、することもないのだけれど。
適当にお土産屋を冷やかしてワインの金額を見て~とやりつつ、次なる目的地、アイス屋さんへ。ワインアイスなるものがあると聞いていたのです。コーンで金額が違い、2つだとどこの店も40ペソ~。日本よりちょっと安いくらい?
こちらは奮発して50ペソ。その分アイスの量が多いかは不明だ。
肝心のアイスは白と赤それぞれがあり、どちらかと言うとシャーベット状。アルコールも入っているっぽいので、必然的にそうなるのだろう。
これが、うまい。
甘すぎず、本当にうまい具合にシャーベットにしたワインといった趣。白の方がサッパリ、赤の方がコクがあって、それぞれのワインの特徴が出ている。サルタ~カファジャテは半袖推奨の暑さ(日本でいうと5月末なのだけど)なこともあり、毎日でも食べたいと思った、マジでマジで。
あとはカテドラルとかも行ったが、することもない。こういう時一人はどうしようもありませんな。
なんだかんだで時間まで待ってピックアップ。
帰りもちょいちょい停車して記念撮影。
ダイナミックな地形のうねりが見えて……いや、すごいんだけど、絵的には代わり映えしないよね。ごめんね。
20時前に宿で降りた。大体時間通り。
ちょっと体調悪化していたが、明日は移動なので、前日に買った肉を食べないといかん。気合を入れてスーパーへ。
ワインとオリーブ買ってきた。オリーブもまぁまぁ安いかな。
やはり牛肉と赤は合う。今日のワイナリーで飲んだ冷えたヤツとは質は違うかもしれんが、十分にうまい。そしてやっぱり上向く体調ww
翌朝。朝食後、バスターミナルに向かってクロリンダまでのチケットを買うことに。
しかし私の気持ちが通じたのか、現金払いなら20%オフにしてくれるという。
ターミナル内の多分ATMが混んでいたので、セントロまで戻る。実際金おろしたらいくらかかるのかも知りたかったからだ。105ペソの手数料なので630円くらいか。噂通り、高いな。
チェックアウトやらをバタバタして、ターミナルで購入。1,340ペソくらい。
さて、高いといっても、やはりその国の料理は食べておかなければならないだろう。
メルカドに行って食堂を探る。しかし、どこも100ペソくらいか、ピザなら安め、といった状況。うーむ、この国では外食は外食とs知恵、特別な存在になってしまうのかもしれない。つまり、先進国と同じ。
なんとか80ペソの「ナポリターナ」なる料理を見つける。ピザよりはパスタの方がマシかなーとこれを注文。
なんか思ってたの違ーう!
牛肉?にチーズを乗せて焼いた代物の様だ。目玉焼きが半熟なので、それを付けるのもいい。なかなかうまいな。ワインも合うかもしれない。見えないかもしれないが、下にライスが敷かれているので、満腹度もばっちりだ。
スーパーでスプライトを買って飲むが、これまた日本と同じか、スーパーで買うものとしては日本より高いくらいだ。あ、アルゼンチンは水道水飲めるので、そこはいい点だ。
さて、宿で準備を整えて、15時半過ぎにターミナルへ。
なんか日本のアーケードゲームがある。誰もやってないな……。需要あるんだろうか……。
16時発の18時間の旅だ。定刻過ぎに出発。
御所の周りでも走ってるんじゃねぇかみたいな景色が過ぎ、田舎道へ。前日のツアーの景色って、ツアーにするだけあって滅多にないものだったのね。
夕食付と言うが、こんな感じのが20時過ぎに出た。サンドイッチ2種類が同じチーズとハムという具。コイツラに野菜を食うという概念を、誰か早く教えてやってくれ!
映画も音が出なくて何度も途切れ、そのたびに機械がリスタートしている。先進国アルゼンチンのバス、期待していたがこんなもんか。まぁ、道の整備がされている点は大きく違う点かもしれないが。
さて、明日にはまたまた別の国。「次の国に観光の名所はありません」という、ディケイドの物語状態だが、どうなる第324話!
全てを破壊し、全てを繋げ!
輝く自然が、我を呼ぶ!